動明王像
常楽寺の境内にある不動明王について『大野史雑』は『聖不動明王の祭り』として、次のようにわずかに説明している。
・・・昭和十二年(1937)五月にお迎えして以来、毎月二十八日を命日として、お祭りをしている。(『大野史誌』より)
『仏像・羅漢(梅原猛著)』(集英社)、から不動明王の説明を付け加えておきます。
動明王はどんな仏?
『仏像・羅漢(梅原猛著)』(集英社)より
不動明王像からわれわれが受ける感じは、圧倒的な力の感じである。それは怒り狂う生の力の表現なのである。
カッと見開いた眼、唇をかみしめた口、むき出した歯、それはどう見ても恐ろしい像なのである。
そして、右手に持つのは剣、左手に持つのは索、その剣で敵を切り、その索で人を縛るのであろうとわれわれは思う。
像の中には、剣に恐ろしげな竜がまきついたものがある。
いずれにせよ、われわれはこの像から、巨大な力と恐ろしい敵意を感じる。
ことに不動のまわりを取りまいている火は、はげしい怒りの象徴であるかのように、炎々としてもえているのである。
・・・・・
われわれが不動の中に直観的に見るのは、一つの力であり、衝動である。
しかし、経典は、違った説明を不動に与えているのである。不動の怒りは、決して敵に向けられたものではなく、むしろ己の煩悩に向けられたものである。
不動のもっている剣で切るのは憎むべき敵では欲望であり、索でしばるのは他人ではなくして己の心なのであり、炎々と燃える火炎も、衝動の炎ではなく煩悩を焼きつくす炎なのである。
不動の怒りは、外より内に、他人よリ目己に向かっている。
それゆえ、不動の力は人に勝つためのものでなく、己に勝つためのものである。
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