ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

(大野)常楽寺研究(26):常楽寺の石造物(10):不動明王像

2013-11-08 07:51:15 |  ・加古川市加古川町大野

     動明王像

007 常楽寺の境内にある不動明王について『大野史雑』は『聖不動明王の祭り』として、次のようにわずかに説明している。 

・・・昭和十二年(1937)五月にお迎えして以来、毎月二十八日を命日として、お祭りをしている。(『大野史誌』より)

『仏像・羅漢(梅原猛著)』(集英社)、から不動明王の説明を付け加えておきます。

    動明王はどんな仏?

           『仏像・羅漢(梅原猛著)』(集英社)より

不動明王像からわれわれが受ける感じは、圧倒的な力の感じである。それは怒り狂う生の力の表現なのである。

カッと見開いた眼、唇をかみしめた口、むき出した歯、それはどう見ても恐ろしい像なのである。

そして、右手に持つのは剣、左手に持つのは索、その剣で敵を切り、その索で人を縛るのであろうとわれわれは思う。

像の中には、剣に恐ろしげな竜がまきついたものがある。

いずれにせよ、われわれはこの像から、巨大な力と恐ろしい敵意を感じる。

ことに不動のまわりを取りまいている火は、はげしい怒りの象徴であるかのように、炎々としてもえているのである。

・・・・・

われわれが不動の中に直観的に見るのは、一つの力であり、衝動である。

しかし、経典は、違った説明を不動に与えているのである。不動の怒りは、決して敵に向けられたものではなく、むしろ己の煩悩に向けられたものである。

不動のもっている剣で切るのは憎むべき敵では欲望であり、索でしばるのは他人ではなくして己の心なのであり、炎々と燃える火炎も、衝動の炎ではなく煩悩を焼きつくす炎なのである。

不動の怒りは、外より内に、他人よリ目己に向かっている。

それゆえ、不動の力は人に勝つためのものでなく、己に勝つためのものである。

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