余話として 「別府城の戦い・毛利軍来る」
「瀧瓢水物語」ですが、瀧家のご先祖が別府城と関係があったようなので、余話として「別府城の戦い」を挟んでおきます。
以下の「別府城の戦い」は、『播磨灘物語』からの引用ですが、一部省略したり、加筆(主に挿絵)をしています。
別府城の戦い(『播磨灘物語』より)
・・・別府を領していたのが、今度の争乱(三木合戦)で織田方についている別所重棟であった。
重棟は、兄の賀相と不仲ということが主因とになって、織田方に属している。そこに毛利軍が水軍によって運ばれてきたのである。
毛利軍といっても、大坂の本願寺に加担している紀州雑賀(さいか)党もこれに加わっていたから、毛利・雑賀の連合軍といっていい。
雑賀党は、大坂の湾から出ている。毛利軍は、はるか西の広島あたりからでている。
それらが、淡路の岩屋で結集し、多数の軍船をそろえて、別府の浜にむかって漕ぎだしたのである。
・・・官兵衛は、別府城の望楼にのぼって敵の来襲を待っていた。夜は、まだ明けない。
海面は暗いが、敵の動きはわかる。対岸の淡路島の岩屋から、無数の火が押し寄せてくる。
かれらは、夜中に播磨灘を押し切って、夜明けに上陸しようとしているのである。
「敵は八千」という情報がとどいていた。
「敵の目的は何か」 と官兵衛は考えていた。おどしか、本気か、本気なら目的は何か。
・・・(別府城の)望楼は官兵衛を載せて、しらじらと明けはじめた空に浮かんでいる。
海浜には、毛利・雑賀の兵がふえている。
官兵衛の視界には、海浜をおおっている松原でさえぎられていたが、それでも人数の推定はできた。
「・・・・二千人か)と、官兵衛が踏んだのは、海浜にいる人数である。
船でなおも、到着しつつあった。
夜が明けきって海面が白く光ったとき、淡路島の北端から播州海岸にいたるまでの海面に、ゴマをまいたように船が浮かんでいた。
どの船も軍兵を満載し、この別府の海岸にむかってすすんでいた。
「撃つな」、勇気が要った。
・・・ついに寄せ手が土塁や石垣に取りついたとき、官兵衛はいっせいに撃たせたのである。
官兵衛は城門をひらき、三百人の突撃隊を突出させた。
官兵衛が、子飼いで育ててきた母里太兵衛(もりたへい)が、その指揮者だった。
後年、黒田節という今様でその逸話をうたわれた母里太兵衛が、武名を世間に知られるようになるのはこの時からである・・・(no3354)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます