ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

志方町を歩く(59):東志方村誕生

2011-07-26 06:59:28 |  ・加古川市東志方

東志方村誕生

1ac74dcf  いま、東志方村を歩いていますので、「東志方村誕生」の経過を見ておきます。

明治2241日、全国的に市町村の再編がおこなわれました。

この時、細工所村・高畑村・岡村・広尾村・野尻新田村・大沢村・行常村・大宗村・畑村・雑郷村・東飯坂村・東中村の12か村が合併して東志方村が誕生しました。

そして、昭和298月1日、東志方村、西志方村、志方村が合併して志方村が誕生しました。

東志方村の各村(旧村)をみておきます。

  <東志方村の村々>

東志方村は、地図のように細工所村・高畑村・岡村・広尾村・野尻新田村・大沢村・行常村・大宗村・畑村・雑郷村・東飯坂村・東中村の12か村です。

役場は、細工所村に置かれました。

全部読めるでしょうか。チャレンジしてください。「加古川検定」に出題されるかもしれませんよ。(答は文末)

この内、広尾村は明治92月に吉村と柏村が合併して、お互いの一字をとり広尾村としました。

尚、これらの村々の江戸時代の経過をみておきます。

細工所村・高畑村・広尾村・岡村・野尻新田村・大沢村・行常村・大宗村を含む地域は、慶長5年(1600)姫路藩領、元和3年(1617)幕府領、寛永16年(1639年)姫路領、慶安元年(1648)幕府領、延宝6年(1678)相模国小田原藩領に、そして延享4年(1748)から121年間にわたって一ツ橋領(天領)でした。

それ以外の4村は、他の志方と同じく姫路藩に属していました。

答:さいくじょ・たかはた・ひろお・おか・のじりしんでん・おおざわ・ゆきつね・おおむね・はた・ぞうごう・ひがしいいざか・ひがしなか

*『兵庫県市町村合併史(上)』(兵庫県総務部地方課)・『かこがわま万華鏡』(岡田功)参照

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 志方町を歩く(58):とん... | トップ | 志方町を歩く(60):円福... »

コメントを投稿