田原家(宮本武蔵生家)屋敷跡(1)
宮本武蔵の生家を探しに出かけました。暑い日でした。
庭の掃除をしておられたお婆さんに聞くと、生家跡の碑はすぐに見つかりました。
この碑について、1999年(平成11年)の神戸新聞は、次のように紹介しています。お借りします。
田原家跡(宮本武蔵の生家跡)の碑
江戸時代の剣豪・宮本武蔵とその養子伊織の高砂生誕説をPRしている武蔵・伊織顕彰会(松下歳和会長)はこのほど、武蔵の生家される「田原家」の屋敷があった同市米田町に碑を建てた。
30日(1999年5月〉に開く「第13回武蔵・伊織まつり」で除幕式を行う。
武蔵の生誕地は、吉川英治の小説などにより岡山県大原町とされてきた。
しかし、最近の研究では、播磨で生まれ、幼いときに大原に養子に出されとする説が有力視されている。
顕彰会の説明によると、北九州の宮本家に伝わる系図では、武蔵は田原家の二男となっている。
田原家は、戦国時代まで播磨地方で勢力を誇っていた豪族・赤松氏の子孫で、播磨国印南郡米田村(現在の米田町)に屋敷があった。
武蔵が出たのち、商家として何代か続いたという。
碑は、同家の子孫の梅本武さん(広島県佐伯郡大野町)の了解を得て、米田町内にわずかに残る梅本さんの土地に建てた。
赤御影で高さ1.5㍍、幅1.23㍍で、薄い三角形にした。(以下略)(no4680)
*写真:田原家跡(宮本武蔵の生家跡)の碑
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