ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

上荘町・平荘町探訪:野の仏たち⑧・見土呂姫の伝承

2009-03-24 08:20:36 |  ・加古川市上荘・平荘町

Taira_135 上荘町見土呂(みとろ)山条のお堂の横にみごとな石棺仏(写真)がある。

 この三体の石仏には、次のような話がある。

 お堂にその説明があるので読んでおきたい。

 (注:一部書き変えている)

 ◇「見土呂(みとろ)」姫◇

 赤松円心の砦として室町時代の初めに井口城がつくられた。

 その後、井口城は、赤松満祐(みつすけ)の支配下におかれた。

 当時、城主は井口家治(いえはる)であった。

 家治の娘は、心やさしい美しい見土呂姫だった。

 井口家に出入りしていた若者は、姫のあまりの美しさに心を奪われた。

 ある年の「月見の祝」の時だった。

 若者は、やっと姫に近づくことができ、思いを告白したが、断られてしまった。

 絶望のあまり若者は、姫を殺してしまった。そして、裏山に埋めた。

 しばらくして、そのことを知った村人は姫の死を悼み、この石仏を立てたという。

 実話とおもえないが、こんな見土呂姫の悲話を伝えている。

 現在の「みとろ荘」のある場所に井口城はあった。

 南北朝時代、この地域は赤松氏の支配する地であった。

 赤松氏と上荘・平荘地域との関係は、シリーズ「野の仏たち」の後で取り上げたい。

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