上荘町見土呂(みとろ)山条のお堂の横にみごとな石棺仏(写真)がある。
この三体の石仏には、次のような話がある。
お堂にその説明があるので読んでおきたい。
(注:一部書き変えている)
◇「見土呂(みとろ)」姫◇
赤松円心の砦として室町時代の初めに井口城がつくられた。
その後、井口城は、赤松満祐(みつすけ)の支配下におかれた。
当時、城主は井口家治(いえはる)であった。
家治の娘は、心やさしい美しい見土呂姫だった。
井口家に出入りしていた若者は、姫のあまりの美しさに心を奪われた。
ある年の「月見の祝」の時だった。
若者は、やっと姫に近づくことができ、思いを告白したが、断られてしまった。
絶望のあまり若者は、姫を殺してしまった。そして、裏山に埋めた。
しばらくして、そのことを知った村人は姫の死を悼み、この石仏を立てたという。
実話とおもえないが、こんな見土呂姫の悲話を伝えている。
現在の「みとろ荘」のある場所に井口城はあった。
南北朝時代、この地域は赤松氏の支配する地であった。
赤松氏と上荘・平荘地域との関係は、シリーズ「野の仏たち」の後で取り上げたい。
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