前号に引き続き『志方町誌』からの転載です。
中道子山城の伝承(3)
鯛の坂
鯛の坂城山の頂上から尾根づたいに細工所方面へ下る途中の坂で、二の丸跡、三の丸跡の台地から向かって少々下りてゆく地点で、ここはやや急峻である。
この鯛の坂にまつわる伝説も、城山攻めに関係のある一つで、応戦中のある日、味方のあるさむらいが、この坂の上に立って、坂を攻め上ってくる敵兵に向かって、一尺五寸はあろうという大鯛を頭上たかくかかげて「これを見よ」と誇示したので、この坂を鯛の坂と呼ぶようになったというのである。
標高271.6㍍の「こんな山の上でも食料には困っていないぞ、このみごとな鯛を見よ」という意味である。
おそらくこの鯛の坂は、城の搦め手にあたっていたのであろう。
伝えるところによれば、当時の三木城へは大塩方面から生石(おおしこ)、高御位等、山の尾根づたいに間道があって、塩、魚の類を運んだといい、城山もその通路にあたっていたという。
*図:中道子山城現状図『ひょうごの城紀行(下)』(神戸新聞総合出版センター)より
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます