ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

北条直正物語(21) 播州葡萄園にかける  

2020-07-20 08:29:38 |  北条直正物語

    播州葡萄園にかける

 中学生が使っている歴史教科書から「官営工場」の説明を読んでおきます。

 ・・・・

 「政府は、欧米から機械を買い、国が運営する官営工場をつくり、民間の産業も育成しました。これを殖産興業といいます」

 少し付け加えておきます。

 明治10年当時、民間には大規模な工場をつくる技術も資本もありませんでした。

 そのため、国が運営するモデル工場をつくり、やがて民営に移管して工業を育てようとしました。

 そして、どの教科書も代表的な官営工業として富岡製糸工場(群馬県)の写真を紹介しています。

 印南新村につくられた国営播州ブドウ園(播州葡萄園)もその一例です。

    北条直正、播州葡萄園にかける

 母里地区は、水が少ないため作物が十分に育ちません。綿作は急速に衰退しました。地租が高い。従って土地は売れなません。

 どう頭をひねっても、祖額を完納するお金ができないのです。

 そんな時でした。北条は、大阪朝日新聞に、「官営ブドウ工場をつくるため、国は土地を求めている」というニュースをみつけました。

 北条は、土地を母里地区に誘致し、土地を国に買い上げてもらう。

 その金で納税することができる。

 税を完納して、今度は疎水の誘致を確実にさせよう。

 土地を売った農民は、ブドウ園で働かせてもらう。

 北条の頭にこの構想が、一瞬にして駆け巡るのでした。

 これより外の方法は考えられませんでした。

 さっそく上庁し、県令にそのことを話しました。

 その日の県令は、納税の方法を話したためか上機嫌でした。

 「わかった。担当の福羽(ふくば)氏が、兵庫県にこられたら話してみよう。

 その日がわかったら郡長にも連絡をするから、直接にお目にかかり、お願いしてはどうか・・・」

    福羽逸人の来県

 数日後、福羽逸人(ふくばはやと)らの来県の知らせを受け、郡長は急いで上庁しました。

 「福羽さん、彼が今話していた加古郡の北条郡長です」

 郡長は、福羽逸人をみて、驚きました。生気溢れる若者だったからです。

 北条が、ビックリしているのを察したかのように、「若すぎますか。24才です」

 「どちらで、ブドウ酒の勉強をされました」

 「フランスです。あちらの人は、ワインをよく飲みます。私もワインを飲みながら勉強しました」

 「それは、飲みこみの早いことで・・・」

 「ノミコミですか? ア・ハハハ」

 二人は、心安く話を続けることができました。(no5033)

 *写真:播州ブドウ園発掘現場(稲美町印南)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 北条直正物語(20) 森岡... | トップ | 北条直正物語(22) 播州... »

コメントを投稿