播州葡萄園にかける
中学生が使っている歴史教科書から「官営工場」の説明を読んでおきます。
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「政府は、欧米から機械を買い、国が運営する官営工場をつくり、民間の産業も育成しました。これを殖産興業といいます」
少し付け加えておきます。
明治10年当時、民間には大規模な工場をつくる技術も資本もありませんでした。
そのため、国が運営するモデル工場をつくり、やがて民営に移管して工業を育てようとしました。
そして、どの教科書も代表的な官営工業として富岡製糸工場(群馬県)の写真を紹介しています。
印南新村につくられた国営播州ブドウ園(播州葡萄園)もその一例です。
北条直正、播州葡萄園にかける
母里地区は、水が少ないため作物が十分に育ちません。綿作は急速に衰退しました。地租が高い。従って土地は売れなません。
どう頭をひねっても、祖額を完納するお金ができないのです。
そんな時でした。北条は、大阪朝日新聞に、「官営ブドウ工場をつくるため、国は土地を求めている」というニュースをみつけました。
北条は、土地を母里地区に誘致し、土地を国に買い上げてもらう。
その金で納税することができる。
税を完納して、今度は疎水の誘致を確実にさせよう。
土地を売った農民は、ブドウ園で働かせてもらう。
北条の頭にこの構想が、一瞬にして駆け巡るのでした。
これより外の方法は考えられませんでした。
さっそく上庁し、県令にそのことを話しました。
その日の県令は、納税の方法を話したためか上機嫌でした。
「わかった。担当の福羽(ふくば)氏が、兵庫県にこられたら話してみよう。
その日がわかったら郡長にも連絡をするから、直接にお目にかかり、お願いしてはどうか・・・」
福羽逸人の来県
数日後、福羽逸人(ふくばはやと)らの来県の知らせを受け、郡長は急いで上庁しました。
「福羽さん、彼が今話していた加古郡の北条郡長です」
郡長は、福羽逸人をみて、驚きました。生気溢れる若者だったからです。
北条が、ビックリしているのを察したかのように、「若すぎますか。24才です」
「どちらで、ブドウ酒の勉強をされました」
「フランスです。あちらの人は、ワインをよく飲みます。私もワインを飲みながら勉強しました」
「それは、飲みこみの早いことで・・・」
「ノミコミですか? ア・ハハハ」
二人は、心安く話を続けることができました。(no5033)
*写真:播州ブドウ園発掘現場(稲美町印南)
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