ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

大河・かこがわ(77) 奈良時代(1) 条里制(1)

2019-10-28 08:01:15 | 大河・かこがわ

 西条廃寺中西廃寺を紹介しました。この他にも同時代(白鳳時代)の野口廃寺(加古川市尾上町)・石守廃寺(加古川市神の町)を訪ねたいのですが、先を急ぎ奈良時代の歴史探索に出かけましょう。

      条 里 制(じょうりせい)

 奈良時代、中央・地方の政治の仕組みも整ってきました。

 地方には国司・里長等の地方官が置かれました。

これら地方官の仕事は治安、そしてなによりも農民から確実に税を納めさせることでした。

 政府は、税を確実にするために、まず土地制度を整えます。

これが条里制です。

 条里制は、七世紀の末には始まっていただろうと思われます。 

 その仕組みは、六町四方(43.2ヘクタール)の大区画を縦横六等分、つまり36の小区画に分けました。

 そして、その一つをさらに36等分し、その一つひとつに一の坪・二の坪・三の坪・・・のような番号をつけ所有者をはっきりさせました。

 条里制の遺構(図)をご覧ください。

 加古川市域では、五の坪(加古川町西河原)、九の坪(加古川町溝ノ口)、一の坪(尾上町長田)、十二の坪(尾上町口里)、三の坪(尾上町今福)等がその例です。

 この他にも多くの坪名と思われる小字がたくさん残っています。

       池がない

 条里制の土地があったことは確かめられました。

 が、土地だけでは田畑になりません。水がなくては田畑になりません。

 どのようにして水を得たのでしょう。

 池から得たとも考えられますが、池の遺構が見つからないのです。

 埋もれてしまったとも考えられますが、これだけ発達した条里制です。

 どこかで池の遺構が見つかってもよさそうなものです。(no4778)

 *図:条里制遺構(番号は、字名に残る坪番号)

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