ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

大河・かこがわ(78) 奈良時代(2) 条里制(2)・旧加古川流路が条里制の土地を潤す 

2019-10-29 10:38:03 | 大河・かこがわ

      旧加古川流路が条里制の土地を潤す

 「加古川の近くですから、加古川から水を引いたのだろう」と考えられますが、そう簡単な話ではありません。

 加古川からの水が条里制の全ての田畑を潤したとも思えません。

 加古川は暴れ川でした。加古川に堰をつくり、勾配をつくり加古川の水を引いたとも考えられません。

 この時代に大規模な用水作る土木技術はまだ発達していません。

 加古川は、太古よりその幾度となく流路を変えた暴れ川です。

 加古川の旧流路をご覧ください。

 不思議なことがわかります。

 これらの流路と条里制の遺構がたぶんに重なっているのです。

 つまり、条里制の土地は加古川の旧流路を用水路として利用して開墾されたと考えられます。

 これらの流路は後の「五ヶ井用水」と呼ばれている流路です。

 ですから、現在の「五ヶ井用水」の始まりは条里制の時代まで、さかのぼることができると想像されます。

 「五ヶ井用水」については、後に詳しく紹介しましょう。

 ここでは、加古川下流部の条里制は、加古川の旧流路跡を利用したものとしておいてください。(no4779)

 *図:黒く塗りつぶしたか所が加古川の旧流路(『五ヶ井土地改良区誌』より)

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