今日の話題「居屋河原(いやがわら)神社」は、「加古川町寺家町探検(29)」と同じ内容です。ご了解ください。
居屋河原日岡神社
加古川地域の地名を研究されていた石見完治(いわみかんじ)さん(故人)は、著書 『古地名新解』で、居屋河原(いやがわら)について、次のように「いつの頃か、はっきりしませんが、日岡山に神社がなかった昔、居屋河原(いやがわら)のこの地初めて宮を建てて、九州の「日向はん」をお迎えして祀りました。
そして、神武天皇がここに祖神を祀り、礼(禮「いや」)をつくして、この神を崇められたので「禮ヶ原(いやがはら)」という」という地名伝承を紹介されています。
なお、江戸時代、日岡神社は「日向(ひゅうが)神社」であり、日岡神社と呼ばれるようになったのは、明治の初めのころです。
「居屋河原神社は、現在の日岡神社発祥の神社ではないか」とも想像されます。
*神武天皇:日本の初代の天皇、実在の天皇ではなく伝説上の天皇です。
なお、居屋河原日岡神社については、池田吉弘さんが『Kako-style2』 で紹介しておられるので、お借りしました。(『Kako-style2文:池田吉弘氏』より)
居屋河原日岡神社は、
日岡神社の境内にある大鳥居神社
正式名は「居屋河原日岡神社」といい、昭和46(1971)1月まで、現在の播州信用金庫加古川支店と大鳥居会館にあたる場所に建っていました。
昭和44(1969)年に日岡神社が焼失し、その2年後の再建に伴って、大鳥居神社は、日岡神社と合併して現在の場所に。
日岡神社の兄弟宮とされていたため、他の境内社の中でも別格扱いされており、本殿は小さいながらも格式の高さが窺えます。
かつて神社があった居屋河原は、旧街道に面しており、江戸時代の参勤交代で諸国の大名が通るのに、鳥居があったため 一旦、馬を降りなければならず、将軍が鳥居を移転させたという話も伝えられています。[取材/池田吉弘](nono5141)
*写真:日岡神社へ移転前と現在の居屋河原日岡神社
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