ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

高砂市を歩く(195) 裏  VS  表

2015-04-23 08:40:44 |  ・高砂市阿弥陀町

   どうでもよいことですが・・・

 中学校の頃、といっても ずいぶん昔の話になりました。

 昭和30年から32年が、私のそれに当たります。

 その頃、地理の教科書では、日本海側を裏日本、太平洋側を表日本と言っていました。

 現在、これらの表現は消え、気候区分も「日本海岸気候区」「太平洋海岸気候区」と言っています。

 裏には、どうしてもマイナスのイメージがつきまといます。

 先日から阿弥陀町を歩いています。前号では、阿弥陀町南池を歩きました。

 そこから北を眺めると、高御位の山塊が壁を作り繋がっています。

 どうでもよいことを考えています。

     裏  VS  表

 「高御位山の表は阿弥陀町側から見る山を言うのだろうか。志方町側から見る山をいうのだろうか・・・」と。

 どうでもよいことですが、こだわってみると気になります。

 このブログ(ひろかずのブログ)を始めたころ、志方町へ毎日のように出かけました。志方町側から見る高御位山を当然のように「表」と考えていました。

 いま、少し違って見えかけています。高御位の山麓の北山・長尾・地徳の集落を歩いてみたくなりました。

 「この地域は、江戸時代の新田としてできた村」と言うこと以外に、何の知識もありません。

 『高砂市史』を読むことにします。そして、地図を片手にカメラを持って出かけます。

 今頃、この辺りは新緑で埋まっていることでしょう。ウグイスが鳴いているかもしれません。楽しくなってきました。(no2772)

 *写真:阿弥陀町側から見る高御位山の風景

 

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