昭和11年のことである。水足(加古川市野口町)に高射砲隊の施設が、設置することに決定した。村人にとっては寝耳に水であった。
しかし、住民の意見などが認められる時代で はなかった。相手は、なく子も黙る陸軍である。
形ばかりの話し合いがもたれた。この場では、地元から水足村に決まった説明を求めている。主な理由は、次の3点であった。
(1)既に活動している尾上飛行場との距離が近い。
(2)工事が行いやすく、国道に近い。
(3)土地の買収が一つの村で好都合である。
土地の買い上げについては、軍も村の実情をくみとったのか若干高く買い上げている。しかし、これは地主に対しての配慮であり、小作には何の保障もなかった。
水足経由で、加古川駅と神野倉庫(弾薬庫:今の加古川刑務所はその跡地)とを結ぶ鉄道も敷設され、村人も利用できるとのことであったが、その事実はなかった。
注:高射砲隊が設置された場所に、現在、播磨化成・陵南中学校・大規模スーパーマーケットがある。
*『水足史誌』参照、 写真は『加古川・高砂の100年』(郷土出版社)より
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