ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

稲美町探訪(460):蛸草を歩く(3)・地名「蛸草」

2011-04-10 07:12:18 |  ・稲美町蛸草

地名「蛸草」

それにしても「蛸草」は不思議な地名です。「蛸草」の語源についての定説はありません。

『地名でたどる小さな歴史Ⅱ(橘川真一編著)』(神戸新聞総合出版センター)では、「・・・地名の由来は、ここは昔海に近く、よく蛸が草にからみついていたからというが、ちょっと信じにくい。

おそらく高草(たかくさ)がその語源であろう」と書いています。

   蛸草は「タケクサ」からの転訛!    

144 また、郷土史家の石見完次氏は、蛸草の地名について次のように説明されています。

・・・現在の「蛸草」という地区は、旧蛸草村の人達が開拓した新田村であるから、「蛸草」という地名の起源は当然(江戸時代以前の)蛸草村にあるわけである。

「長草」という小字名が大池の下の谷に今もある。

ナガクサという土地の人は読むが、「タケクサ」が本来の呼び方であろう。

「タケクサ」が転訛して「タコクサ」になることは容易に納得できる。

この長草(たけくさ)の茂る谷に臨む両岸の六か村(今の北山・中村・森安・六分一・国安・岡)が「タケ草谷村」と呼ばれ、「タコ草谷村」と訛って呼ばれるようになったことも肯けるのである。・・・(『印南文華(4)』より)

余談を付け加えておきます。

日本語では奈良朝ぐらいから明治ごろまで、身長・高さのことを、もっぱら「たけ(丈)」といいました。

樋口一葉の「たけくらべ」思い出していただければ想像がつきます。

橘川説より石見説に引かれるのですが・・・

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