ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

瀧瓢水研究⑤・瓢水の父(仲春)、母(参)の墓標②

2011-10-29 07:14:34 |  ・加古川市別府町を歩く

 

   瓢水の母(参)の墓碑

032  写真は、瓢水の母・参(さん)の墓碑です。

またまた余話になってしまいますが、ご了承ください。

別府町西町の墓地に瓢水の墓碑がることを知ったのはもう25年ほど前のことです。

郷土史を研究されている木戸正氏は、昭和60118日発行で『ふるさとの文化遺産(第二巻)』を発行されています。

その第一章で瀧瓢水について述べておられるのを読んだときです。

三節が「瓢水関係の石造物」です。

どんな経過か忘れましたが、二巻を木戸氏からいただきました。

木戸氏のサインもあります。

生前、木戸氏と直接お話をしたことはありません。

もちろん、私は地道に郷土史の研究をされている木戸正氏のお名前は知っていましたが雲の上の方でした。

 Mさんのこと

そして、最近高校の同窓生のMさん(女性)とあることで、よく話をするようになりました。

県立高校であるのに男女別々の教室でした。

気弱なために、ほとんど学校で女性と話したことはありません。

それに加えて、数学が病的にできなくてコンプレックスがあり、きっと女の子は私ごとき者を、きっと無視していたと思います。

最近は年(68)のせいか、若干あつかましくなりました。

Mさんと話している時、何かのきっかけでお父さんの話になりました。

途中で、話の内容があやしくなりました。

「もしや、Mさんのお父さんは『木戸正さん』ではないですか」と尋ねると、ビックリされていました。

話がどんどん進み、「私も地域史に興味を持っています。生前にお父さんから『ふるさとの文化遺産(第二巻)』をいただきました」と話をすると、Mさんから一巻から六巻まで全巻が届きました。

本当にありがとうございました。

 

   『ふるさとの文化遺産』からの報告

話が横道にそれてしまいました。話を瓢水のお母さん・お父さんへ戻します。

次回から報告しようと思っている、瓢水のお父さんとお母さんの話は、『ふるさとの文化遺産(第二巻)』の木戸正氏の研究によるものです。

若干、私見を添えさせていただきます。

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