瓢水の母(参)の墓碑②
前号で瓢水のお母さんの墓標(写真)を紹介しました。今回も同じ写真です。
現在、お父さん・お母さんの墓標は、西町の墓地の中央部にある瀧家の墓所ではなく、少し離れて、同墓地の南東隅あたりに置かれています。
墓標は砂岩の笠塔婆で、中央に割れた跡がくっきり残り、文字等もかなり傷んでいます。
まず、墓標の文字を読んでおきます。
現在、左側面の文字は他の墓標のために読めませんが、さいわい以前に郷土史家の木戸正氏が書き写されていますので、お借りします。
(正面)
癸享保十八年丑七月廿九日
勝林栄舜之墓
(右側面)
母神成孀不妍四十余歳不出外在乎内守
節忌享楽、不聞淫聲後世以我母為主矣
(左側面)
一代新右衛門元春
二代与一右衛門清春
三代新右衛門仲春之妻
姓三木福田与六郎娘名参
四代目新右衛門恒春建之
仏は、三代目新右衛門仲春の妻で瓢水のお母さんです。
お母さんは、三木町の福田与六郎の娘で名前を参(さん)といいました。
この墓を建てたのは四代目新右衛門恒春です。
恒春については次号で考えます。
母は母神
右側面の文章は、少し難しい文字が使われていますので一緒に読むことにします。
まず、単語の意味を調べておきます。
・成孀(やもめ) 独身
・不妍(ふげん) 化粧をしないこと
・淫聲(いんせい) みだらな音楽
意味は「母はヤモメとなり、化粧もせず、四十年間外出することなく、内にあって節操を守っています。
享楽を避け、みだらな音楽を口にすることもなく、聞くことすらしませんでした。
母こそ、ひたすらに一家の主人として、瀧家を守った母神様です。
*『ふるさとの文化遺産(第二巻)』参照
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