国包(くにかね)は、志方町の投松(ねじまつ)と共に難解地名としてよく紹介される。
そして、加古川市の人にとっても、国包はよほど八幡地区と思われているらしく、国包には下の写真のような丁寧な説明板がある。
国包の歴史は、「国包は、元加古川西岸の村」(3月29日のブログ)参照して欲しい。
ここでも、JR厄神駅(加古川市上荘)を「八幡町探訪」に含めて書いておきたい。
JR加古川線は、大正二年(1913)、加古川~西脇間で開業した。会社名は「播州鉄道」であった。
開業後、経営難もあり、大正12年(1923)に播但鉄道に経営は移った。
その後、国鉄に買収され、さらに国鉄民営化の中で、JR加古川線となって現在にいたっている。JR加古川線の歴史ついては、3月1日のブログを参照して欲しい。
厄神駅に話をもどす。大正五年(1913)、西脇まで播州鉄道は開通した。この時、国包に「国包駅」が設けられた。
そして、大正五年(1916)に国包と別所(三木市)間に三木鉄道が開通し、翌年、三木まで延長された。
三木鉄道に「国包駅」が設けれらることになった。それにともなって、加古川線の「国包駅」は「厄神駅」になり現在に至っている。
現在、三木鉄道は廃止される方針が発表されている。「国包駅」の名称はなくなりそうである。
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