ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

志方町を歩く(146):綿のある風景(6)

2011-11-09 17:58:07 |  ・加古川市志方全般

稲岡商店(志方町横大路)

Westshikata_045 江戸時代の後期の加古川市域は、木綿の一大産地でした。

特に、江戸時代後期には姫路藩の木綿専売制の下で莫大な生産高をあげました。

しかし、江戸幕府の終焉とともに専売制は終り、綿作は衰退します。

開国により、外来木綿の輸入が本格化し、木綿問屋の経営を圧迫し、ほとんどの問屋は没落してゆきました。

そんな中で、経営を存続させていくことのできたのは、横大路村(志方町西志方)の稲岡九兵衛(九平)家のように、大坂の有力問屋と強力な関係を結ぶことのできた一部の者に限られました。(写真は稲岡家)

大木綿問屋であった稲岡九平は、明治24年に稲岡商店(稲岡工業)を創業し、同39年には個人商店から会社組織に変更して、合名会社「稲岡商店」とし営業を拡大させました。

注目すべきことは、それまで木綿をあつかっていた稲岡商店は、次第にタオルの製造へと切り替えていきました。

日清戦争後に、タオルを清国(中国)へ輸出したことをきっかけに、タオル生産は急速に普及しました。

日露戦争以後は、広東・上海・香港・インドさらにオーストラリアまで市場を拡大させました。

 *『加古川市史(第二巻)』・『加古のながれ』(加古川市史編さん室)参照

◇以前に紹介した記事の再掲です◇

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