ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

ぶらり散歩(24) 花崗閃緑岩(1)・長楽寺の裏山が崩れた

2019-03-05 06:58:11 | ぶらり散歩

     花崗閃緑岩(1)

      大藤山(おおふじさん)の岩

 志方の長楽寺の裏山は大藤山です。竜山石に続き、大藤山を形成している岩石について紹介したいのですが、その岩・土砂が崩れました。

 岩石を紹介する前に長楽寺の山崩れについて先に書いておきます。

 大藤山の岩石は、このあたりの多い竜山石(凝灰岩)ではありません。

    長楽寺の裏山が崩れた

 2011年の9月4日、午後1時ごろでした。志方の長楽寺の裏山が崩れ長楽寺は土砂に埋まってしまいました。

 新聞は、「寺は一部が埋まってしまったが、幸いけが人はなかった・・」と長楽寺の本堂の崩壊した写真を報じました。

 地滑りは、狭い範囲で、裏山が少し崩れた程度だろう」と思い込んでいました。

 後日、長楽寺にでかけました。

 ただあぜんする光景がありました。

    記憶を風化させないために

 とくに、長楽寺さんのご住職の長女の方が書かれた、生々しい報告をHPで読み「本当に、命があってよかったですね・・・」と言いたい気持ちになりました。

 生きておられたのが奇跡のようです。

 その一部を掲載させていただきました。

    九月四日のこと  *桐山文江さんの体験

 「大丈夫やで!」せめて流されるときは子ども達と一緒に離れないようにとそれだけを思っていました。

 長女(4歳)にはリュックを背負わせ、その中に飲み物とおかしを入れました。

 もしも何かの奇跡でこの子だけ生き残ったらと思ったのです。

 下の子(2歳)はたぶん1人では無理だろうから、せめて私が離さないでおこうと思いました。

 子ども達を怖がらせないように懐中電灯を子ども達の座るソファに向かって照らし、「大丈夫やで、大丈夫やで」となんども言いました。

 それはもちろん自分に言っているようなものでした。

 2時過ぎ頃、また雨音に混じって地鳴りのような音と激しい水の流れる音がしました。確実に何かが来る!と感じました。

 「こわいよこわいよ」このときばかりは私も恐怖で子ども達を抱えながらそうつぶやいていました。(no4559)

 *写真:2011年9月4日の土砂崩れの跡

 ◇きのうの散歩(3.097歩)

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