花崗閃緑岩(2)・風化した花崗岩
加古川市周辺の山地はほとんど流紋岩(凝灰岩)です。
その中にあって志方町大藤山(251.4メートル)付近の山容は少し違っています。
それは山頂が平らで、その肩の部分は丸味をおび、斜面はふくよかで、その斜面は赤く厚い土壌層からなっています。
山は風化が進んでいることを現しています。
大藤山の近くの宮谷付近では、川原でもないのに角のとれた、ときには1、2メートルもあるような丸い岩塊が点在しています。
このような状況が観察できる大藤山を中心にした、南北・東西それぞれ約三キロメートルには流紋岩類とは違って、岩石は花崗閃緑岩(かこうせんりょくがん)が広がっています。
この岩石は中生代後期白亜紀末に地下から流紋岩の中に貫入してきた岩石です。
花崗岩地域でよくみかけるように、この岩石は流紋岩に比べ早く激しく風化し、ときには、そのままで砂状に分解しやすい真砂土(まさつち)となり、厚い土壌を作ります。
長楽寺を襲った岩は、そのような風化をうけた岩石や真砂土でした。
この岩石は、流紋岩が形成されてのちに、地下から上昇してきたものです。
いずれにしろ、この二つの岩石(凝灰岩と花崗閃緑岩)が加古川市域の基盤(土台)となっています。
この花崗閃緑岩は、風化が激しく真砂土を作ります。
大藤山から長楽寺を襲ったのは、この風化の進んだ花崗岩と真砂土でした。
写真は、長楽寺を襲撃した花崗閃緑岩が災害後一時長楽寺の下の広場に集められていました。もちろん、今は撤去されています。(no4560)
*写真:災害後、一時集められていた花崗閃緑岩
◇きのう(3/5)の散歩(2.450歩)
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