右の文章は、寛延三年(1750)の新野辺の明細帳の一部である。
一 水呑百姓百三拾七軒
一 人数千七拾五人 内
男 五百四拾四人
女 五百三拾壱人
新野辺村の明細帳によれば、百姓家数227軒のうち本百姓90軒、水呑(農地を持たない百姓)137軒と水呑の割合がおどろくほど多く、本百姓を大きくうわまわっている。
本百姓90軒、水呑137軒(新野辺村・寛延三年)
全国には、農業にたよらない他の仕事で書類上は水の呑ではあるが裕福な生活の村がある。
が、新野辺村の場合は、農業のための農地が少ないのと、汐風の害・水損・旱損の地であり農業にばかりたよれない条件があった。
そのため、農業での収入を補うために新野辺村から多くの出稼ぎがあったことが明細帳(寛延三年・1750)から読み取ることができる。
次回の「新野辺探訪」で、新野辺村の職業・出稼ぎについて調べてみることにしたい。
*文書の二行目に小さく、右に「姓」そして左に「百」の文字の書き込みがある。書き忘れたか写し間違いのために後から書き入れたものです。このような例は「写」や「下書き」の文書の中に時々見られます。うっかりしてしまったのでしょう。
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