松前藩(1)
嘉兵衛も松右衛門も、やがて活躍の場所を蝦夷地に求めます。松前藩についてみておきます。
江戸時代初期の寛文年間、アイヌの英雄的な酋長シヤクシャインにひきいられた大反乱がありました。
松前藩はこれに対し、寛文9年(1669)に征討し、シヤクシャインを降伏させ、毒殺してしまいました。
以後、松前藩は実質上、蝦夷地(北海道)を支配しました。
「場 所」
「場所」というのは、そこで漁業や商業を営んでよいという縄張のことです。
藩は全土を80余か所の「場所」に切り割って、これを藩士にあたえました。
まさに、さかり場ごとに「場所(ショバ)」をもつヤクザのようです。
「場所」の運営は、武士にとって重荷でした。
みずから親方になって場所へゆき、アイヌから水産物を買ったり、本土の米、塩、酒、麹、鉄器、漆器などを売ったり、あるいは、時にアイヌを雇って直接、網を打つという仕事は、だれにでもやれるというものではありません。
これらを近江商人が請け負いました。
松前藩は悪の組織
「松前」という藩は、広大な採集の宝庫の一角を占めた悪の組織というほかの言葉が見つかりません。
松前藩は、みずからの藩や藩人個々の利益になること以外に、どういう思想ももっていなかったようです。
「場所請負制」という利益吸いあげの装置の上に、藩も藩人も寝そべっていたのです。
松前藩史の上で、たとえばアイヌの医療に従事したという者も聞きません。
アイヌに読み書きやそろばんを教えたという例もありません。むしろ、その逆でした。
アイヌをそのままの状態にとどめておくことが藩の利益であると考えられていたし、また、アイヌが死のうが生きようが、藩人たちにとってなんのかかわりもありませんでした。
(以上『菜の花の沖』より抜粋・文体等は変えてます)(no4577)
*挿絵:アイヌ人からの搾取・マンガ『北海を翔ける男』(実業之日本社)より
◇きのう(9/2)の散歩(15.239歩)