ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

お爺さんが語る郷土の歴史(269) 近世の加印地域 高砂篇(67)、工楽松右衛門と高田屋嘉兵衛(38)・嘉兵衛、エトロフ渡航を決める

2018-09-10 10:22:35 | お爺さんが語る郷土の歴史

 

            嘉兵衛、エトロフ渡航を決める

 もし、ここ(クナシリとエトロフの間の水道)で安全な航法を発見すれば、幕府の蝦夷開発が、資金面でそれなりの潤いを得ることができるというのです。

 重蔵に課せられた任務は、とりあえずはそのことでした。

 もっとも去年、最上徳内がクナシリからエトロフに渡ったとき、できればカムチャツカ半島にまでゆきたいという望みがあったのですが、季節がそれをゆるしませんでした。

 こんどの嘉兵衛の水路調査は、そういう探検でなく、とりあえず幕府が開発を求めていたのです。

 「大船を持ってゆけば、わけはありませんが・・・」と、嘉兵衛は辰悦丸のことを思いつつ言いました。

重蔵は、かぶりを振りました。

 「小さな漁り舟ぐらいでも渡れる方法を考えてもらいたい。でなければ、操業のたすけにはならない」というのです。

 クナシリで働いているのは、小さな漁り舟か、蝦夷舟、もしくは5、60石程度の運び船で、今後、クナシリを基地にエトロフ稼ぎをしたかったのです。

 大船で渡ってしまっても、あと何の役にもたちません。

 嘉兵衛は、重蔵の依頼を、いとも簡単に引き受けました。やってみたかったのです。(no4588)

 *地図:クナシリ水道

 ◇きのう(9/9)の散歩(11、437歩)

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