鹿子水門(かこのみなと)
『日本書紀』応神天皇13年の条に、次のような話があります。
・・・天皇が淡路島に狩に出かけた時に、多くの鹿が「鹿子水門(かこのみなと)」に入るのを見ました。
調べてみると、日向(宮崎)の豪族の娘(髪長媛-かみながひめ)が都に仕えるために東上するための一行だった。
彼らが鹿皮の衣を着ていたので、鹿と見あやまったのでした。・・・
これは、地名説話ですが、九州と畿内を結ぶ瀬戸内海の泊(港)のひとつに、「鹿子水門」があったことを物語っています。
古代には河口が港として利用される場合が多かったが、航海に必要な水や食料も得やすかったのでしょう。
それに、加古川の河口は内陸部と結ぶ重要な拠点でした。
「鹿子水門」がどこにあったか、明らかではないのですが、研究者は、「鹿子の水門(みなと)」は、現在の稲屋(加古川市加古川町稲屋)辺りで、当時は、このあたりまで海が迫っていたと推定しています。
稲屋の近くにある泊神社(木村)は、古代の港(水門・みなと)の守護神であったと考えられています。(no3861)
*『加古の流れ(市史余話)』『加古川市史(一巻)」参照
*写真:加古川町稲屋、福田寺付近(鹿子水門址)
◇きのう(2/1)の散歩(10.810歩)