松右衛門の夢
若い松右衛門にとって、高砂は刺激にあふれた町であった。
いっぱい荷物を出積んだ出船、入船があった。そのたびに賑わいがあった。
「あの船は、どこから来たのだろう・・・どこへ行くのだろう・・」と、まだ見ぬ世界への思いをつのらせた。
大人から、まだ見ぬ兵庫・大坂・江戸の町の賑わいのようすも聞かされてそだった。
こんな風景の中で松右衛門は育ち、夢を膨らませた。
松右衛門を育てた高砂の町
『風を編む 海をつなぐ』(高砂市教育委員会)は、松右衛門の少年時代を次のように書いている。
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松右衛門は、漁師の長男として高砂町東宮町(ひがしみやまち)に生まれた。
幼い頃から舟に乗り、一日のほとんどの時間を海で過ごした。
彼は持ち前の好奇心で海をよく観察し、こつをつかんでは漁に生かした。
たとえば、魚釣りの糸の手ごたえだけでかかった魚の種類がわかるようになったり、どの季節のどの時間帯に、どんな魚がどこに群れるかを知るようになったりした。
松右衛門がねらいをつけて網を打つと、それが外れることはなかったという。
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そして、少年であった松右衛門は、漁をするための小船に乗りながら、高砂の港にさまざまな物が運び込まれ、それらが兵庫津へと向かっていく様をじっと観察していたに違いない。
そして、「いつかは自分の船をもって日本各地をかけめぐりたい」という思いを強くしたのだろう。
このように、漁師として十分な技量を備えていた松右衛門であった15才の時、高砂を飛び出してしまう。・・・
当時にぎわいを見せていた兵庫浜(現在の神戸市こあった港町)へ向かったのである。
*挿絵:響灘海門(「十二景詩歌」より)