ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

志方町を歩く(191):細工所(24)・暴風雨

2011-12-27 08:44:02 |  ・加古川市東志方

Photo_3加古川市の平岡町中野に、寛政元年(1785)から始まり現在まで200年以上の長きにわたって書き続けられた『中野村坪刈記録』が残されています。

この『坪刈記録(大正七年)』は収穫状況だけでなく、その年の天候も記録しています。一部を読んでみます。

「・・・・(大正七年)稲作は植付後大暴風有り、其後天気順調二百十日後雨天続き度々風あり、・・・」

とあります。

当地方への大型の台風の襲来を記録しています。

この植え付け後の大暴風については、被害が大きく「細工所・書類綴込帳」にも記録があります。

    小学校講堂傾く

大正七年七月十三日     東志方村長   沼田一良

   細工所惣代御中

本月十二日、暴風雨のため伝染病院隔離病舎、亜鉛葺一棟転覆全滅し、大破損傷。

尚、尋常高等小学校(東志方小学校)講堂も西へ約七、八寸ほど傾き、校舎も大破損傷しました。

通知いたします。

    自然災害・病虫害そして伝染病

 細工所に残された、数冊の「書類綴込帳」を読んでいると、事実だけの報告がほとんどですが、病虫害・自然災害それに伝染病など様々な記録が多く、苦難の連続であったようです。

もちろんこれらは、細工所に限った問題でなく近隣の村々も同じでした。

伝染病(病気)については後日報告します。

ただ、村の記録には普通みられる「水争いの記録」がありません。

記録に残るような大きな水争いはなかったようです。

水については細工所は比較的恵まれていた地域だったようです。

これも詳細について調べてみます。

*写真:大正七年の大風のものではありません。

コメント
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