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ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

志方町を歩く(189):細工所(22)・細工所にあらず(2)

2011-12-25 08:33:02 |  ・加古川市東志方

東志方町細工所には、明治~昭和の綴りが数点残されています。

その内、いま明治32年、大正46年、昭和13年の村の書綴りから細工所の名称について見ています。

細工所村から細工所へ

58283787明治22331日まで細工所は細工所村で、それ以降は東志方村細工所となりました。

しかし、細工所の名称は一挙にはなくなりませんでした。

明治22以降も東志方村役場から細工所にだされた通知には、どうどうと「細工所村」と書かれています。

つまり、東志方村には東志方村のほかに細工所村があるような記述です。

各地でも若干の混乱があったようです。

そこで、大正二年四月二日、「本村大字名を左記の通り改称し・・・本月四月一日より実施することに相成・・・」という県からの通達が東志方村長・沼田一良を通して細工所にも通知されました。

「大字名(細工所村)を改称して細工所としなさい」という通達です。

東志方村の各地区にも同じ通達が出されました。

さすがに、大正七年以降、役場から旧村々への通達には、東志方村の文字が消え、「○○惣代御中」に代わっています。

    部落対抗リレー

Puaru_173かつての旧村落の名称を使わないとすると、こんどは様々な不便なことが起きてきます。

一例をあげます。年配の方は覚えておられると思いますが、小学校の運動会で最も燃えあがったのは「村対抗リレー」でした。

ここでも「村」の用語が使えません。「部落対抗リレー」といっていましたね。

このようにかつての村に代わって、集落を意味した「」の用語が使われました。

大正4年の「細工所村綴込書類」には「」の名称は一カ所あるだけで、ほとんど使用されていません。

大正6年以降、役所の通達には「細工所村」に代わりに「細工所」が多用されるようになります。

昭和13年の公的な書類でない書類綴りでも「細工所」(写真上)の名称が使われています。

*写真:「昭和十三年度 雑書類綴 細工所」(細工所町内会所蔵)

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