東志方町細工所には、明治~昭和の綴りが数点残されています。
その内、いま明治32年、大正4・6年、昭和13年の村の書綴りから細工所の名称について見ています。
細工所村から細工所へ
明治22年3月31日まで細工所は細工所村で、それ以降は東志方村細工所となりました。
しかし、細工所の名称は一挙にはなくなりませんでした。
明治22以降も東志方村役場から細工所にだされた通知には、どうどうと「細工所村」と書かれています。
つまり、東志方村には東志方村のほかに細工所村があるような記述です。
各地でも若干の混乱があったようです。
そこで、大正二年四月二日、「本村大字名を左記の通り改称し・・・本月四月一日より実施することに相成・・・」という県からの通達が東志方村長・沼田一良を通して細工所にも通知されました。
「大字名(細工所村)を改称して細工所としなさい」という通達です。
東志方村の各地区にも同じ通達が出されました。
さすがに、大正七年以降、役場から旧村々への通達には、東志方村の文字が消え、「○○惣代御中」に代わっています。
部落対抗リレー
かつての旧村落の名称を使わないとすると、こんどは様々な不便なことが起きてきます。
一例をあげます。年配の方は覚えておられると思いますが、小学校の運動会で最も燃えあがったのは「村対抗リレー」でした。
ここでも「村」の用語が使えません。「部落対抗リレー」といっていましたね。
このようにかつての村に代わって、集落を意味した「」の用語が使われました。
大正4年の「細工所村綴込書類」には「」の名称は一カ所あるだけで、ほとんど使用されていません。
大正6年以降、役所の通達には「細工所村」に代わりに「細工所」が多用されるようになります。
昭和13年の公的な書類でない書類綴りでも「細工所」(写真上)の名称が使われています。
*写真:「昭和十三年度 雑書類綴 細工所」(細工所町内会所蔵)
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