「稲美町探訪(183)・加古八幡社」の説明の中に「・・・加古八幡社は、加古地区の開発がはじまってから、約20年後の延宝8年(1680)に現在の鳴岡神社に仮の社殿を設け、開発人らが氏神として祖先から崇敬してきた上西条八幡神社を勧請して村の守護神としたことに始まります」と書いておきました。
鳴岡稲荷神社を訪ねる
『稲美町史』では、「鳴岡神社は、享保年中(1716~1735)に、姫路藩主・榊原政祐が家臣に命じて社殿を建立する」とあります。
ということは、加古八幡社の仮社殿がこの地に建立され、そして八幡社が今の地へ移転した後に京都の伏見稲荷を勧請して鳴岡稲荷神社がつくられたということです。
先日、鳴岡神社を訪れた日は、雨の後で鳥居が印象的でした。
旧参道に60㍍に亘って朱塗りの鳥居(写真)が林立していました。
旧参道に寝そべってみました。
雨あがりの青空を背景にした朱塗りの鳥居は見事な景観です。
「稲美町○○景」という企画があるなら、ぜひ入れて欲しい一風景です。
天気のよい日にお立ち寄りください。
できれば、参道にねそべって斜め上を見上げてください。
きっと感動の風景が見つかります。
鳴岡稲荷神社の地面は鳴のか?
「・・・社殿の裏側の地面を強く踏めば音を立て、地下に空洞あるごとく感ぜられる。鳴岡の名称の由来である」
こんな記述を見ると無性に実践してみたくなります。
その日はさいわい、私のほかに誰も居られません。
66才のオッサンが地面を強く踏みつけました。
確かに音がするのですが、地中からの音とは思われません。
いろんな場所で試みたのですがダメでした。
どこかポイントがあるのかもしれません。
石造のお稲荷さん(狐)が、こちらを睨んでおられました・・・