ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

稲美町探訪(173):稲美町の桜②・「さくらの森公園」にて

2010-04-08 10:02:51 | 稲美町

野寺の高薗寺に来ています。

いまから「さくらの森公園」へでかけます。

高薗寺の西の道を真っ直ぐに北行くと、突き当りが「さくらの森公園」です。

「さくらの森公園」というだけに、見事な桜です。

日本人は、桜の下で酒を酌み交わし、お話を楽しむのが好きです。

   桜は農耕の開始を予兆する花

Sakura_and_flower_028 この行事は、まるで長い歴史の中でDNAに組み込まれているかのようですが、以外に新しい行事です。

花見として有名なのは豊臣秀吉の醍醐の花見ですが、花見の風習が庶民に広まったのは江戸時代で、徳川吉宗が江戸の各地に桜を植えさせて、花見をしてからだといわれています。

春の暖かい一日、桜の下で「酒を酌み交わし、おしゃべりをする」のは、何よりの楽しみであり、日ごろの骨休めになったことでしょう。

中一色(稲美町天満)の松田和薫さんは、その著書『印南野だより』(日本文学館)で桜について次のように書かれている。

「・・・桜は予兆の花であり、春の訪れと農耕の開始を指していた。

桜が咲くと村人たちが、お神酒をそなえて豊作を予兆した。

万葉の時代は、このように桜は稲の花の象徴であったので、盛りの花を愛で、古今和歌集の時代になると、散花の美に感動した歌になっている・・・」

 この春の訪れの象徴としての桜は、また農耕の開始を知らせる花であったというのです。

庶民、特に百姓にとって、花見はレクレーションであり、神に豊作を願う行事となっていたのでしょう。

きっと、直会(なおらい)の意味合いがあったのかもしれません。

<直会>

お祭のあと、お供え物を神と分かち合い飲食することで、いまで言う神様との懇親会(宴会)でした。

ウィークデイの「さくらの森公園」は、お年寄りがほとんどで、静かな陽だまりのお花見でした。

次の日曜日の「さくらの森公園」は雰囲気が一変して、神様もどこかへ退散した花見になるかもしれません。

そんな喧騒にも桜は似合う花です。

コメント
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