お寺さんぽ Ver.03

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高崎白衣大観音・慈眼院 (群馬県高崎市)

2011年06月26日 | 仏像
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日はすらりと背の高い「高崎白衣大観音」さまで有名な「慈眼院(じげんいん)」です。

関東八十八ヵ所霊場の札所で、東国花の寺でもあるこちら「慈眼院」
起こりは鎌倉時代の中期。
鎌倉幕府の執権「北条泰時」の三男、六波羅探題の責任者であった「北条重時」の創建と言われています。
もともとは高野山の学問寺。
元禄頃(1688~1703)の火災で古文書などを焼失していますが、明治までとして栄えておりました。
現在の場所には、昭和十六年に”高野山別院”として、観音山へ移転されたのでした。
なお本尊の「聖観音」は、もともと鎌倉の漁師が網で引っかけたものだとか。


※観音様です。足元の人に注目下さい。

メインの「高崎白衣大観音」は昭和11年(1936)のこと。
実業家の「井上保三郎」という方が、昔から観音にゆかりのあった観音山に建立されたのだとか。
「混迷した世の中に一つの光明を照らす~」
なんて考えだったみたい。
そうした訳で、コンクリート造りの高さ四十メートル以上という大観音が完成したのでした。
こないだ紹介しております、「白衣観音」ですね。
七十年ほど経過した今ではすっかり高崎のシンボルとして定着。
ひでるさんが行った際にも、多くの人で賑わっていました。
九階からなる各階には、合わせて二〇体ほどの仏像が。
ちょぴりユルめでしたが(笑)楽しめると思います。
なお、胎内拝観は300円です。


※観音さまからの景色です。

地図で駅からみると近そうなんですが…。
ちょっとした山頂にあり、徒歩で行こうとすると激しく後悔すると思います。たぶん。
車ではだいたい10分程度。
タクシーがいいでしょう。


また、付近の店で販売している観音最中がオススメです。
治したい部位から食べるんだってー。


[住所]
 高崎白衣大観音 慈眼院 高崎市石原町2710-1

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パズルの超達人 2016ベリースモールピース 龍頭白衣観音 23-054
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※パズルにもなっている「白衣観音」さまです。
 かっちょえーですね。

ゼリーフライ (埼玉県・行田名物)

2011年06月19日 | ネタ
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は、目指せB級グルメという行田名物の「ゼリーフライ」です。

美味いですか?

現地に着いて、そう聞いたのは一ヵ所ではないんですが…観光施設のおねーさんも、タクシーの運ちゃんも、微妙な表情で、困ったような笑みを浮かべるのでした。

簡単に「ゼリーフライ」ってのは、そうした食べ物。
ちなみに↑それは冗談でも何でもなく、事実です。

フライ、とあるので揚げモノ、ゼリーとあるので甘いぷるるんとしたアレを想像すると思いますが、どっちも間違い。
書いてあった説明では、”衣のないコロッケ”です。
ジャガイモとかニンジン、そしてオカラが大量に入っているもの。
食物繊維が豊富で、おいしくてヘルシーなんだそうな。
ちなみに、その形状が小判ちっくであるため、「銭フライ」と呼ばれていたのが、なまって「ゼリーフライ」となったんだって。


※きました、これが「ゼリーフライ」です。


忍城近くに店があったので、さっそく食べてみました!

「…………」

うん、うん……なるほど。
お腹減った寒い日とかに食べると…いいかも。


※割るとこんな感じよ。

ひでるさんは同じB級グルメのチャンピオンである「富士宮やきそば」を食べたことありますが…「ゼリーフライ」はちと(かなり)厳しい気がします。
皆さんの微妙な表情の理由がよく分かりましたよ。
バラ肉とか入っていたら美味くなるのでは(←それじゃダメなのか?)


※フラべぇ 名前が直接書いてあるのが悲しいですね。

ちなみに、小麦とちょっとした具材作る、お好み焼のような「フライ」と共にプッシュされているらしく、それぞれをユルキャラ化した「こぜにちゃん」・「フラべぇ」なんてのもいました。
忍城で会えましたよ。



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※B級グルメは本などもでておりました。
 「富士宮やきそば」は当初の予想に反して、かなーり美味かったですよ。 

閻魔大王 (天部・仏像)

2011年06月12日 | 仏像
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日はこないだヘタくそな絵でやりましたレア仏「閻魔天」でなく、皆さんがぱっと想像できるだろう、メジャーな「閻魔大王」です。

人間の死後三十五日目に冥府は閻魔王庁で罪業の審判を下す、十名ほどの神様の中心に位置する方。
(※十三というのもありました)
左右の魔神が善徳、悪行を記録した閻魔帳、いかなる隠しごともできない生前の行いを映しだすという浄玻璃鏡(じょうはりのかがみ)を細かく点検し、人の善悪を判別するのです。

その誕生は、中国が唐であった時代。
こないだ紹介しました、密教十二天の一人「閻魔天」に「地蔵十王経」、「預修十王生七経」などの思想が加わって作られたもののようです。
中国では「地蔵菩薩」と同体であり、その「地蔵菩薩」が地獄にて救いの手を差し伸べる~という考えの普及と共に、信仰が盛んになったようです。
梵名は「ヤマラージャ」
「閻魔王」、「閻羅王(えんらおう)」とも呼ばれます。



日本では平安末期から高まった「地蔵菩薩」の信仰と共に、認知されることとなりました。
そんな訳で、「閻魔天」の信仰は平安時代でしたが、こちらの「閻魔大王」は鎌倉時代から。
浄土教の広がりと共に、地獄・極楽のイメージも流行。
特に、あまり現実味ない(かもしれない)極楽よりインパクトのある地獄は当時の日本人にて大流行し、八大地獄・八寒地獄・孤独地獄…などが多く語られるようになりました。
(※ちなみに八大地獄:1等活、2黒縄(こくじょう)、3衆合(しゅうごう)、4叫喚、5大叫喚、6焦熱、7大焦熱、8阿鼻、ほか百三十六もの地獄があります)
その地獄界の王、「閻魔大王」は中世から近世にかけて地獄絵の解説をした「絵解き」から、庶民の間でも”死後をゆだねる存在”として畏れられるようになったのでした。
舌を抜かれる
など伝わっている言葉のだいたいは、もともとの仏教からではなくて、世俗的なものであるようです。

そのお姿は一目瞭然。
冠をかぶり、笏(しゃく)を持った中国的な道服のお姿。
激しい怒りの表情がポイントです。
物凄く見つけやすいと思います。
眷属として、「泰山府君(たいざんふくん)」、「五道冥官(ごどうめいかん)」、「司命(しめい)」、「司録(しろく)」などと一緒だったりしますね。
有名な京都は「六波羅光寺」、「六道珍皇寺」ほか、結構あちこち寺院で見掛けると思います。

ちなみに、死後七日目渡るのが、三途の川。
これを渡って、閻魔王庁へと向かうんですねー。




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 石仏・五百羅漢像 千二百羅漢像 びんずるさま (仏像・仏弟子) 羅怙羅 (仏像・仏弟子)


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よくわかる「魔界・地獄の住人」事典―サタン、ハデスから、死神、閻魔大王まで (廣済堂文庫)
幻想世界を研究する会
廣済堂出版

※そんな訳でこうした本を。
 過去に流行したそうですが、やっぱり天国よりも興味深い感じですよね。

太田市立史跡金山城址ガイダンス施設 (群馬県太田市)

2011年06月05日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は「金山城跡」へ行った際にぜひ立ち寄りたい、「太田市立史跡金山城址ガイダンス施設」です。


「金山城跡」へ向かう途中、ぱっと目を奪われるだろうこの施設。
こちらこそ、城の歴史を伝える「太田市立史跡金山城址ガイダンス施設」なのでした。

施設とてはそう大きくなく、ぶっちゃけ…これをメインにするほどではありません。
解説と写真が主で、展示物も少しだけ。
館内には金山の歴史が詳しーく書かれており、各ポイントでは横瀬氏が築城したり、軍議をしていたりというジオラマが展示されていました。
さらに中央には、”戦国シアター”という大スクリーンがあり、その手前には体験装置の”城ナビ”が。
やや薄暗く、ぱっと見はどこぞのゲームセンターのよう。
歴史紹介施設としてはかなり洗練され、格好良いです。

そのうち”城ナビ”を体験しました。
解説つきの、バーチャル「金山城」ですね。
空中撮影など、空からの風景が見れるほか、歩いたりもできました。



※金山城模型 雰囲気出てます。
 前回記事で書きましたが、門に見える線路みたいな溝が水を外へ逃がすというソレです。


↑あの、特徴ある外観がそうなんですが…。
まるで美術館であるかのような特徴的な模様は、石垣をデザインしたのだとか。
館内の方からそれを聞いて納得。

実は「隈研吾(くま・けんご)」さんという、かなーり有名な方のデザインなのでした。
なるほどー。
その関係か、施設の方針で大々的に看板などを掲げないとのこと。
道を行き来する地元の方も、知らなかったりするようです。

また、「金山城」を再現した模型もありました。
なかなか素敵だったので、ちゃんと許可を取って撮影させて頂きましたよ。
入口からの風景に注目。
実はさして距離ないものの、下からだと遠く見えるよう、遠近法の効果があるんだとか。


※金山城模型 入口からの風景

また、施設の反対側(向かって左)は「地域交流センター」ということで、別の団体が管理していいる様子。
こんなところでも、なかなかややこしい感じです(笑)

太田駅からは徒歩で三十分とありましたが…雰囲気としてもっとかかるように思います。
やっぱり車とか、タクシーで行くのがいいかと。
ちなみに、駐車場は約十台まで大丈夫です。
入場料は無料なので、ぜひ一緒にお立ち寄り下さい。


[住所]
太田市立史跡金山城址ガイダンス施設 群馬県太田市金山町40-30


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知識ゼロからの博物館入門
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幻冬舎

※こんな本もあります。
 たまにふらっと立ち寄ると面白いですよね。

ぜひ行きたい・風情たっぷり「金山城跡」 (群馬県太田市)

2011年05月29日 | 歴史

のんびり気軽にさんぽがてら。
ぜひ行きたい!
本日は写真で見てそう思った、史跡「金山城跡」です。


①頂上からの景色

どうですかー、↓この風情は。
いちおう復元されているコチラ。
変に天守閣とか建てたりせず、山城な雰囲気を壊すことない程度に整備されておりました
また車で近くまで行くことができ、頂上である「新田神社」までも徒歩でそう遠くはなく、道もそう厳しくもないという按配。
オススメです

こちらの起こりは文明元年(1469)
「応仁の乱(※1467年)」の後で、室町時代の末期頃になります。
もともとこの付近を治めていた「新田義貞」の一族「岩松家純」が築城したようです。
「新田金山城」、「太田金山城」とも別名がありました。
戦国期関東七名城の一つ。
同族を追って本領に復帰した家純でしたが、その没後から重臣「横瀬国繁」が勢力を拡大。
(もともと築城の中心人物であったのも国繁のようです)
その後、岩松氏の筆頭家老であった横瀬氏でしたが、「由良(横瀬)成繁」は下剋上を果たし、金山城を占拠したのです。
しかし、上野国は上杉、北条、武田に囲まれており、成繁も北条・上杉の間で所属を変えつつ存続。
武田、上杉の軍勢の攻撃もあったようですが、落城することなく、”難攻不落”と言われたのでした。

太田駅からは徒歩だと一時間以上…たぶん二時間くらいはかかりそう。
車では展望台まで行けるので便利です。
展望台にはいちおう駐車場がありましたが、そう広くはないので要注意。
トイレもここにあります。


②山道はだいたいこんな感じ。

展望台からは徒歩ですね。
単なる山道に矢倉台・馬場曲輪…など、当時の面影あるものが見え、月ノ池の先が大手虎口になります。


③先に見えるのが「馬場曲輪」です。それほどキツくない山道です。

メインの大手虎口です。
こちらの石垣の景色が非常に良く、いかにも城址という風情です。
かなりゆっくりめに歩いても、展望台からだいたい十五分くらいで到着する筈。


④こちらが「大手虎口」です。格好良いですね!

その先にあるのが、日ノ池です。
後で紹介しようと思いますが、ガイダンス施設の方が言うところ「この地域は水が湧く」そうです。
そのため、「月ノ池」・「日ノ池」も自然に湧いた水が確保されているのでした。
雨の日ともなると、今でもかなり水が出るのだとか。
なお、大手虎口の道脇にくぼみありますが、それは水を逃がすためのものだそうです。


⑤特徴的な「日ノ池」です。

頂上には新田神社があります。
ちょっとした広場になってました。


⑥こちらが「新田神社」です。

写真撮りつつざっと歩いた結果、ここでちょうど二十分でした。
運動不足なひでるさんでもそんなくらいです。
自販機とかあっても良さそうですが、ないので要注意。
水飲み場とトイレがあります。
駅の観光協会などでもらえる「金山ハイキングガイド」が便利なので、もらってから行くのがいいでしょう。




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新田義貞〈上巻〉 (1978年)
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新潮社

※新田義貞です。
 有名な割に、イマイチ感漂う人なのですよ。

白衣観音 (仏像・観音)

2011年05月22日 | 仏像
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は”マリア観音”なんて別名もある、宗派を越えてしまいそうな「白衣観音(びゃくえ・かんのん)」です。

なんとなくですが、けっこう見覚えあるのではないかなぁ。
例えば、群馬県高崎市にある大観音、通称「高崎観音」はこちらの「白衣観音」です。
大船駅から見える「大船観音寺」の観音様、京都の隠れスポット「霊山観音(↑上写真)」などもそうですね。
独特なお姿(↓後述します)で印象に残り易いというのもあるかと思いますが、石仏・ブロンズとかをちらほら見掛けているような気がします。

もともとの成立はインドから。
梵名は…本にあった「Pandara-vasini」のカナがなかったのでどう読むのかよく分かんないですが、ネット検索したところ「パーウヌヅラヴーシニー」な様子。
これが「白衣観自在母(びゃくえかん・じざいも)」、「白住処(びゃくじゅうしょ)」とも訳されています。

単独での信仰があったほか、人々を救済するため「観音菩薩」さまが三十三の姿に変えたという「三十三観音」のメンバーの一人。
そちらでは白い着衣をまとって、清楚な姿であらわされるため…”白衣観音”と呼ばれているそうです。
あるいは、「白」が菩提心を意味しているとか、常に白蓮華に座っているためとか言われていました。

図像では宝冠の上から最大の特徴である白衣をかぶることあります。
これがそのまま「マリア様」っぽく、”マリア観音”と呼ばれる要因となっています。
画像で描く場合、特にこちらの姿が好まれているんだとか。

「胎蔵界曼荼羅(たいぞうかい・まんだら)」では、蓮華部の西北隅(左上)に位置。
こちらの場合は、赤色の蓮華座で左手に蓮華、右手は与願印(よがんいん)がいちおうメジャーなお姿。
この場合、特に白衣は描かれていません。



※こちらも「白衣観音」さまです。


ほか、右手に如意宝珠を持つ、念珠(ねんじゅ:数珠)を持つ、左手に羂索(けんさく:縄のようなもの)を持つ…などお姿は様々にあり、一定ではないみたい。
要するに、何かとハッキリしてない方なんですねー。

この「白衣観音」さまは、
”念ずる者の一切の不吉事を、吉祥に転ずる”
というすさまじい効力があり、息災延命の修法などでは本尊にされるようです。




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長谷寺・長谷観音 (神奈川県鎌倉市)

2011年05月15日 | お寺
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は神奈川県は鎌倉市の「長谷寺(はせでら)」です。

こないだ2度目の参拝をしてきました。
堂内にて度肝を抜くような大きさの、通称「長谷観音」で有名なコチラ。
付近には鎌倉大仏があり、どうしてもそっちが目立ってしまうんですが、お寺として楽しいのは断然「長谷寺」です
宝物館には仏像もあり、神奈川寺院の中でも特にオススメ。

正式には「海光山慈照院長谷寺(かいこうざん・じしょういん・はせでら)」です。
開創は天平八年(736)の奈良時代。
奈良は「唐招提寺」とだいたい同じくらいで、当時政権にあった「藤原(中臣)鎌足」の孫・藤原四兄弟が天然痘の流行によって相次いで病死しているような時代ね。
こちらの縁起が面白いので紹介します。


※頂上からの眺め。

「長谷寺」を代表する、「長谷観音」こと本尊「十一面観世音菩薩像」
もともとは、奈良で造られていました。
養老五年(721)
現在の奈良県、当時は大和国の「長谷寺」の開山である「徳道(とくどう)上人」
その本願に基づき、進み出た「稽文會(けいもんえ)」、「稽首勲(けいしゅくん)」と名乗る仏師二人。
巨大な楠の霊木から、わずか三日三晩にて二体の観音像を造り上げたのでした。

これは凄い!
しかも、二体もの観音像ですよ!!

とても人間業とはとは思えませんね。
…とか思ったら。
この仏師、実は「不空絹索観音」、「地蔵菩薩」の化身なのでした。
ああ、なるほど。
ともかく、そのうちの一体は大和「長谷寺」の本尊となり、もう一体は衆生救済の願いを込められ、開眼供養をした「行基上人」によって海中へと奉じられたのでした。

その後、天平八年(736)
像は横須賀市長井まで流れ着き、報告を受けた「藤原房前(ふじわらの・ふささき:藤原四兄弟の一人)」によって鎌倉へと送られるのです。
まあ、モロに流れ着いたんでしょうね。
伝承によると、仏像に付着した”かきがら”の導きによって鎌倉へたどり着いたとされ、境内には「かきがら稲荷」というのが祀られております。


本尊となった「十一面観世音菩薩像」は、九メートルを超える巨大な仏像(9.18m)
錫杖を右手に、岩座に立つ姿は独特で、”長谷寺式”と呼ばれているんだとか。
見上げる巨大な姿はモノ凄いですよ。


※弁天窟です

ともかく、こうして、東国を代表する観音霊場となった「長谷寺」
「聖武天皇」からは勅願所と定められ、栄えていったのでした。
境内には色々と見どころあり、「源頼朝」の厄災除去のため造立されたという「阿弥陀如来座像」
なにげにこちらも六尺という大きさで、鎌倉六阿弥陀の一体。
「弘法大師」が修業の際に訪れ、「弁才天」を感得したという「弁天窟」もちょっとしたダンジョンになっていて、なかなか面白いかと。
仏像好きな方には、やっぱり宝物館。
「観音三十三応現身」という、衆生救済のため観音菩薩さまが三十三の姿に変じたという仏像群があります。
ちらほら名前が分かる方もいるんですが、
名前の分からない方もいるので、あえて表示はしていません
…とのことでした。
一部破損しているのが残念ですが、基本的にはちゃんとした姿で残されています。
これらは室町時代の県指定文化財です。



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※1家に1体な観音さま。
 先立つものと共に置く場所ないのが悔しいですよー。


甲府城 舞鶴城公園 (山梨県)

2011年05月08日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は山梨県甲府市は「甲府城」です。

甲府駅から徒歩数分。
駅前で「武田晴信」像を見た後、とりあえずすぐ行ける歴史スポットがこちら、「甲府城」こと「舞鶴城公園」です。
公園名にも含められた「舞鶴城」ほか、「甲斐府中城」、「一条小山城」などとも呼ばれています。
典型的な平城ですね。
戦略上、甲斐国は関東の「徳川家康」に対する重要拠点であり、戦国末期に築かれた「甲府城」もなかなか意味深いものだったようです。



天正十年(1582)
武田氏の親族衆「木曾義昌」の寝返りによって、「織田信長」はその支援と共に武田氏討伐を決意。
嫡男「織田信忠」を総大将に、大軍を出陣させました。
岩殿城の重臣「小山田信茂」の寝返りによって天目山へと追い詰められた「武田勝頼」・「武田信勝」親子はここで自害。
ここに武田氏は滅亡したのでした。

こうして甲斐国は織田氏の支配下となったんですが…それから約二ヶ月後。
勝利者だった信長も本能寺にて自害。
その混乱をついた「徳川家康」は、武田氏の旧領をちゃっかり奪ったのです。

その後、後継者となった「豊臣秀吉」の支配地域となっています。
甲斐へ入った甥「羽柴秀勝」・「加藤光泰」らが築城を開始し、五奉行の一人「浅野長政」・「浅野幸長」親子の時代に完成したようです。
これが慶長五年(1600)頃。
もしかしたら天守閣があったかも、とのこと。



なお、ちょうどその年の夏に「関ヶ原合戦」があり、結果として甲斐は徳川氏の支配となっています。
かなり支配者がコロコロ変化していましたが、九男「徳川義直」が入ってようやく落ち着くのでした。
宝永元年(1704)
「徳川綱吉」の側用人として有名な「柳沢吉保やなぎさわ・よしやす)」が甲府藩・藩主になっています。
この際に城・城下町ともに整備されたようです。


※城門です。
 階段途中の人で大きさが分かると思います。

明治時代になって廃城となりますが、明治三十七年(1904)には残った城郭と共に「舞鶴公園」として整備されるのでした。
城門や櫓は復元されたもの。
城壁などが立派ですが天守がないため目立つ写真ポイントがなく、面白さとしてはいまいち。
いわゆる戦闘城(山城みたいな)とは違うのでアクセスにも優れ、ふらふらし易いのが良いトコロ。
…ただ、本丸まで行った際には、ひでるさんやや息切れしてましたが(本当)


[住所]
 舞鶴城公園(甲府城) 山梨県甲府市丸の内1-5-4

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※武田と言えば…コレですか。
 漢字並ぶとかっこえーですよね。

「信長の野望 烈風伝」 合戦編 (光栄・PSP版) 

2011年05月01日 | ネタ
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日もこないだからハマっている「信長の野望 烈風伝」についてです。


今どきなんでこんなネタをやっているのかについては、前回を参照下さい。
今回は合戦関係ですねー。
ゲーム紹介のブログではないので、さすがにこれまでとしますが。

【調略について】
内応、謀反は似た感じですが、どうせならば内応がお得。
合戦中に寝返って自軍ユニットになるため、特に城攻めでは難局をひっくり返すこともあります。
防御度の高い城の攻略には、有効な手段でしょう。
ただし寝返ったそのターンは行動できないため、タイミングに注意。

流言、変心は内応などの成功率を上げるというもの。
後半で武将に余裕がある場合、ターゲットを決めてしつこくチャレンジするのもありかと。

暗殺は直接武将数を少なくできるため、内応が難しい相手などに運だめし。
工作は城防御度そのものを下げる、やはり城攻めにお得なもの。
どちらも忍者な人が成功率高いようです。
(※ほか剣豪、智謀、戦闘なども関わりますが)

【合戦について】
前回の政治も調略も、全ては他国(城)を攻略するための前準備です。
合戦には野戦、海戦、攻城戦などがありますが、だいたいは攻城戦ですね。
総大将の壊滅、士気を0にする、本丸を占拠する(攻城戦)…などで勝利となります。
ほか、30日経過で引き分けになるため、状況が不利ならばひたすら粘る方法も有効でしょう。
(※ちなみに城攻めで引き分けとなった場合、次のターンではその途中ではなく、また外から攻め込むこととなります)


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【兵科について】
■足軽:特に何もしないと足軽ユニットになります。
 防御が高く騎馬突撃を受け付けない長槍隊、遠距離攻撃ができる弓隊、通常の足軽隊という3種類のタイプに武装を変更できるのが特徴。
 攻城戦で壁越ができるのもこちらユニット。
■騎馬:同数の馬があれば騎馬隊にできます。
 基本的に移動力はあるものの、森などの地形では足軽よりも遅いので要注意。 
 騎馬突撃は野戦・攻城戦のどちらでも有効ですが、直接武将を討ち取ってしまうこともあります。
■鉄砲:同数の鉄砲があれば鉄砲隊にできます。
 攻撃力ある半面、他の各能力値が最低、雨の日は使えないなどのマイナス面もあります。
 特に城攻略では、内側から撃ちまくれる守備側だけでなく、狭い通路の後方から撃てるため攻撃側でも有効。
 なお、武将を狙撃することもあったので、気をつけて。
■騎馬鉄砲: 同数の騎馬、鉄砲があれば騎馬鉄砲隊にできます。
 遠距離攻撃ができ、基本能力は騎馬隊という最強ユニットです。

■大砲:
 鉄砲鍛冶村があると、たまに献上されます。
 威力があり、当たると混乱してしまう恐怖の兵器ですが、壊れやすく、鉄砲適性がないとなかなか命中すらしません。
 味方に直撃してしまうこともあり、扱い辛いものです。
 ちなみに、鉄甲船の大砲もコレと同じです。
 やはり適性がないと当たりません。当たんないんだ、コレが。
■鉄甲船:
 鉄砲鍛冶村、海戦が得意武将の存在、そして金銭という条件が合えば、イベントで所持できます。
 海戦で使用が出来、鉄砲、大砲が使用できるほか基本能力高いのが特徴。
 なお、鉄甲船の大砲は壊れません。




【小規模野戦】
基本的に野戦・海戦は同じなので、海戦は省略しますね。
5部隊以下だと「S」がつき、小規模部隊・小規模野戦となります。
なお、規模については攻撃側の部隊規模に合わせられるので、覚えておくと良いでしょう。
(※大軍で攻められた場合、精鋭で小規模合戦を挑む方が良いケースがあります)
こちらのパターンが最も攻城戦と近く、武将能力、地形などが如実に影響します。
基本的には、いかに2部隊以上で囲み、一斉攻撃を加えれるかがポイント。
また実際の合戦と同様、渡河時を狙うといいでしょう。

【中規模野戦】
6~10部隊だと「M」がつき、中規模部隊・中規模野戦となります。
陣形が使用でき、軍師も選択できます。
陣形攻撃は個々武将の能力より、選択した陣形の影響が大きい様子です。
能力高い、いわゆる有名武将との合戦では、こちらのがいいかも。
軍師は各種計略のほか、チョイスできる陣形が増えるので慎重に。
なお、1武将の部隊が陣形攻撃を受けると、たいてい1回で壊滅してしまうので先行しないよう注意。

【大規模野戦】
11部隊以上だと「L」がつき、大規模部隊・大規模野戦となります。
中規模からさらに陣形の使える副将、兵糧部隊が選べ、軍師の計略もいくつか追加されます。
通常時は見えない兵糧部隊ですが、攻撃する(される)と発見。
その部隊壊滅することで、大きく士気を下げることができるため、逆転の可能性もあるでしょう。
中規模以上は、士気の低下によって決着がつくことも多いですね。
また、ここでは指揮範囲があり、離れてしまうと直接命令を出せなくなるので注意が必要です。

【攻城戦】
勝利条件のうち、狙いは”士気を0にする”こと。
わざわざ最大兵力を率いることの多い(能力の高い可能性がある)、総大将を狙う必要はありません。
敵部隊を壊滅させる、櫓を占領する、計略を用いる…などを駆使して、士気の低下を狙いましょう。

問題は通路の狭さ。
攻撃側はいかに部隊を多く隣接させる(攻撃できる部隊を増やす)かが課題。
守備側は逆に相手を隘路に導き、包囲殲滅を狙うこととなります。
どちらも弓、鉄砲など、遠距離攻撃をいかに扱うか、もポイント。
計略での混乱、挑発、放火は全員が使えるので、暇な武将は色々と手を出すのがいいかと。
特に混乱は有効でした。

門壊ができるのは必ず1部隊のみ。
戦闘・建設特技で効果に差があるため、門壊部隊を誰にさせるかは非常に重要。
それ専用の武将が欲しいところ。
なお、通路狭くて見辛いですが、結構隣接していないようで戦闘可能マーカーが表示されることも多く、焦らないことも重要ですね。

防御度高く、門の多い城は落城困難ですが、門壊の効果は引き分け・撤退後にも影響があります。
(※防御度が下がる)
ガンガン開門していきましょう。
ちなみに、そうした巨大な城は武将数が少ない(=士気を落とし辛い)より、武将数が多い(=士気を落とし易い)のが総大将まで接近する前に決着つくことも多く、意外と有利だったりします。

なお、兵糧攻めは城の上下左右に兵を配置することで実現できます。
この状態にすると、相手の金銭、兵糧収入がなくなります。
(※情報画面で確認できますよー)
9月を狙って包囲するのがいいでしょう。
なお、守備側は当然ながら出陣してくるので、撃退できるくらいの兵力が必要です。

■兵士数のポイント:
 説明書にあったように、兵士数は身分によって決定します。
 足軽の500から始まり、侍大将600、武将700、家老800、宿老900…と、率いることのできる兵士数が上昇。
(※大名は1000)
 そのため、城にいくら兵が大量にいても、残る武将が足軽・3名とかいう場合は、出撃できる兵力は基本的に1500くらいになります。
 城兵士数がそのまま兵力とはなりません。
 そのため、頻繁に出し入れのあるかもしれない最前線は別ですが、敵の来ない生産地域に兵はあまり必要ないでしょう。
 なお、櫓数が出陣武将よりも多い(要するに城防御度が高い)場合は無名な足軽隊が出陣してきます。

 あと、武将のいない本城が浪人に乗っ取られることありました。
 本城は誰かいないとダメみたい。

【その他】
■武将を集める:
 元服、登用のほか、戦闘時の調略や捕虜で武将を増やすことができます。
 登用は威信とか相性とか、運的な要素もありそうです。
 めげずに頑張りましょう。
 特に序盤については頭数いくらあっても良いので、能力とか無視してもいいでしょう。

■忠誠度について:
 相性のためか、なかなか上がり辛い武将もいます。
 ただし、低くても必ず寝返る、独立する訳ではないので、あまり気にしないように。

■家宝について:
 能力から兵科適性、特技に職業なども付加でき、お金次第でお気に入り武将を短期間で強化することもできます。
 忠誠度が高ければもったいないような気もしますが、どっちかというと能力アップ目的で与えた方がいいと思います。
 無論、能力が高く忠誠度が低い武将にも積極的にどうぞ。
 部隊移動力が上がる、すべての陣形が使用できる、などの特殊効果も見逃せません。
 
■職業・忍者:
 あまり気にしない職業ですが、特に忍者は計略や攻城戦で有利なほか、城へ忍び込む敵将捕獲の確率も上がります。
 もともとの適性がない場合は、家宝などで誰かに付加するのがオススメ。

だいたい以上ですね。
箱庭で政治状況が目に見えるほか、規模の異なる戦闘などもいい感じ。
PSP版は地域、大名の数などが減っているというデメリットはあるものの、それがため展開はスムーズ。
操作もそう複雑なものでなく、難易度もそう高くはなく(←ここが重要)、シリーズの経験があれば直感でも大丈夫でしょう。
コツを覚えれば、また違った戦略・遊び方もできます。
オススメですよ。



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「信長の野望 烈風伝」 政治編 (光栄・PSP版) 

2011年04月24日 | ネタ
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日はこないだからハマっている「信長の野望 烈風伝」についてです。

最近、PSPを手に入れました。
そこでベストが出ている「信長の野望 烈風伝」を買ったんですね。
このシリーズは全国版からやっているんですが、ぶっちゃけ「天翔記」以降はやってません。
時間もなくなったことで、それ以降の新作はあまり画面も見てないくらいで、最新の「革新」とかはよく分かんないんですが…個人的にベストな「戦国群雄伝」に次ぐ面白さでした。
(※そっちは88版、98版、ウィンドゥズ版、携帯版…と、長きに渡ってプレイしてます)

そんな訳で今更とは分かってますが、「信長の野望 烈風伝」についてお送りいたします。
攻略…とまではいかないものの、説明書にない細かい点についてちらほら書きたいと思います。
ただし、詳細にデータ取ったりはしていません。
プレイした感覚(※難易度は初級ですよ)で、こざっぱりと書きますね。
購入の際、あるいは初プレイな方の参考になればいいかな、くらいの感覚で。


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まずは政治関係から。

【開発について】
支城は城を中心に3×3(8マス)が支配地域。
ぐるりと一周囲んだ感じ。
本城は城を中心に5×5(24マス)が支配地域で、支城からさらにぐるりと一周囲んだところまで。
この支配地域部分の開発が出来、収入へと結びつくのです。

山岳・川(湖)マスには何も開発できず、逆に平地では全ての開発が可能。丘陵は一部のみ。
全国の本城・支城はいちおう同じ開発スペースですが、そうした地形による差、特殊地形(下記参照)の差によって収入差が出るようになっていました。
平地には全て開発できるものの、そちらのみという開発地形もあり、どうチョイスするのか、ちょっとしたパズル感覚になっています。
例えば、近畿の各城は都市・港があるほか平地も多く、基本的にがっちりとした収入が得れました。
途中変更も可能なので、状況に応じて比率を変えるのがオススメ。

金銭収入については町以外に特殊地形でも多くあり、ポイントはいかに兵糧収入を増やしていくか。
毎月増加する金銭より、なんとなく兵糧に困ることのが多い感覚でした。
そのため、レベルの高い水田を1マスでも揃えることが重要かな。
なお、兵糧が無くなると兵が減少し、金銭がなくなると武将の忠誠度が下がり、結果出奔したりします。


※城による収入差の例。右は開発マスが少ない。


【開発地形】
■水田:9月に兵糧収入があり、レベルは3段階です。平地のみ開発可能。
 湿地、川、湖の隣にのみ開発できます。
 あるいは、建設の治水によって川から3マスほど範囲を広げられます。
 条件が厳しいだけ、レベル3の収入は非常に多くあります。
■畑:9月に兵糧収入があり、丘陵や範囲外の平地のみ開発可能。 
 水田・畑は自動的にチョイスされ、畑は水田のレベル2よりも収入が落ちます。
 即効性があるものの、畑は収入が少ないんですね。
 場合によっては、特産品のが収入あったりするようです。
■町:毎ターン金銭収入があり、レベルは3段階です。平地のみ開発可能。 
 金銭収入のあてが他にない場合、平地には必ず1つでも開発しておく必要があるでしょう。
■村:毎ターン兵士収入があり、レベルは3段階です。どちらでも開発は可能。
 どこでも配置できるので、丘陵に開発するのがベスト。
 ただし、兵士が多過ぎると兵糧の減りも多くなるので注意です。
■特産品:年に1回ほど金銭、または兵糧収入があります。どちらでも開発は可能。
 地図上に大根など、ポツンと置かれた姿がシュールで可笑しいですね。
 木材、硫黄とか蜜柑、茶、牛、大根など、お得なものもあります。
■楽市:毎ターン兵士収入があり、イベントが必要。平地のみ開発可能。 
 イベントがあれば、即開発しましょう。
 最前線がベストですが、後方でも輸送すればいいので、とりあえず開発。
■鉄砲鍛冶村:毎ターン鉄砲収入があり、開発にはイベントが必要。平地のみ開発可能。
 薩摩、紀伊など、開始当時から存在する地域もあります。
 これは大砲、鉄甲船の入手条件にもなっています。

【特殊地形】
■港:毎ターン金銭収入があります。
  海へ出るにはこちらから。
  全国のあちこちに存在するので、築城の際には支配に入れるのをオススメ。
■金山:毎ターン金銭収入があります。レベル1以外は港や都市よりも高収入。
  隠しを含めて結構数が各地に存在し、レベルは3段階です。
  特に長尾(上杉)家でプレイする場合、佐渡のレベル3金山をぜひ活用したいところ。
■都市:毎ターン金銭収入があります。
  京、博多、堺などにあります。
■馬:毎ターン馬収入があります。
  東北、中部にあり、戦闘でガンガン騎馬隊が使えるので便利。
  武田家が恐い理由の1つです。
■寺:一向一揆勢力がここから出撃してきます。
  さして強力な部隊ではないものの、北陸や近畿地方は注意。
 (※5部隊で兵力は2500です)
  うざいだけで、それ以外には特にないみたい。


※見逃せない、佐渡のLV3金山。

【建設について】
主に実行するのは、治水、改修あたりではないかと。
軍団ではなく、なんとなーく城外へ出たい場合などにもこちらを利用します。

■築城:支城を建築します。
 特に必要はないものの、金山、港、馬など特殊地形の恩恵を受けたい場合にもこちら。
 わざとこちらを攻めさせてコンピューター勢力の分断を謀る、野戦へ引っ張り出すため、わざと支城を建築するというのもアリ。
■改修:城防御度を上げます。
 城攻めで痛感していると思いますが、守備側はやはり防御度が命
 特に本城では常に最大にしておきたいところでしょう。
 逆に支城では、最大値でもせいぜい80程度。
 余裕があれば別ですが、急務ではないかと思います。
■治水:水田の範囲が広がるほか、台風被害も受け辛くなります。
 序盤はほったらかしても、兵糧収入を増やすためどちらかでやっておくと便利。
■道造:街道を造ります。
 道があると、軍団ユニットの移動力が各段に上昇します。
 軍事行動より、物資輸送に必須ですね。
 当然ながら敵軍にもその恩恵があるので、突如攻め込まれたりしないよう注意。 

【朝廷、外交について】
■朝廷:
 今回のポイントである威信に関わる、朝廷工作。
 この「威信」については後述します。
 ただひたすらに金銭を献上して、官位を得ていくのが目的。
 高い官位によって威信を上昇させると共に、家臣にあたえて忠誠度を上げることができます。
■外交:
 同盟は便利で、結構簡単に結ぶことができます。
 ただし手切となった際には、忠誠度、名声(威信)が下がるため、ひたすら結ぶのは考えもの。
 婚姻も同様。
 コンピュータから破棄されるのは、ほとんどないみたい。
 取込はわざわざせずとも、ほっといて傘下になることあります。
 これは武将の性格かな。

【威信システム】
ターンは1ヶ月に1度。
戦略の順序はランダムでなく、威信の高い大名が早いようです。
これは実際戦略上で先制が出来るので有利です。
外交、調略の成功率が上がるなどありますが、独立勢力や他家城主が勝手に降伏してくるのがデカイです。
合戦に勝利する、京を制圧するほか、隠し要素の「香木」でも上昇します。
多門山城のちょっと上あたりで発見しましたよ。

⇒ つづく。
  次回は『「信長の野望 烈風伝」 合戦編 (光栄・PSP版)』です。
  書ききれなかったので、次にしてみました。 

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閻魔天 (天部・仏像)

2011年04月17日 | 仏像
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は「閻魔天(えんまてん)」です。
皆さんお馴染みな、おっかない顔の「閻魔大王」とはちょっと違います。
…というか、そっちをやりたいので、その原点であるこちらをやることとしました。
なお、この方はほとんど見掛けず、資料もないため、↑イメージはひでるさんが描いてます。
大雑把にはあんな感じよ。


梵名「ヤマ」、あるいは「ヤーマ」を音写したものが「閻魔」です。
他に「夜摩(やま)」、「焔摩(えんま)」、「焔魔(えんま)」…といった表記もある様子。
また、それに「王」の意味がある梵名「ラージャ」をつけて「閻魔羅社(えんま・らしゃ)」、それを略して「閻魔羅」、「閻羅」というのもありました。
その「ヤマ」には”一対をなす”という意味があり、「双王」とも訳されます。
彼には「ヤーミー」という双子の妹がいたんだって
…どんな顔してるんだろ。

その「ヤマ」は、最初は天上の楽土に住んでいた光明神の一人。
それが人類最初の死者となって冥界へ行き、そのまま死後の世界の支配者となったのでした。
暗黒世界を主催する彼は地獄の王とされ、いつしか死者の生前の行為に従って、賞罰をつかさどる神となっていったのです。
インドの「ヴェーダ神話」、「マヌ法典」では、だいたいそんな感じの内容。
それらの性格が仏教にも取り入られ、さらに密教では十二天の一人として”南方を守る護法神”とされたのでした。

これが中国に伝わって…道教の冥界思想と融合した姿が…冒頭でちょろっと書いた「閻魔大王」です。
別にやりたいので、今回は詳細についてばっさり割愛しますね。
(※ただ、各本の記述はどっちだか曖昧なものもあり、よく分かりません。次の「閻魔大王」記事とセットで見ていただければ幸いです。…まだ書いてないけど)
日本では、密教と共に「閻魔天」が平安時代に、「閻魔大王」はやや遅れて鎌倉時代に伝わった様子。
十二天の一人として信仰されるほか単独の信仰もあり、天台密教「冥道供」では本尊とされます。

その姿は、叙事詩「マハーバーラタ」では王冠をかぶって片手に棍棒、片手に索を持ち、水牛に騎乗していました。
それが密教になると菩薩形。
片手に人頭をつけた半円月のステッキのような、”人頭幢(※)”を持っていて、水牛に半跏座で騎乗しています。
菩薩で水牛なら、ほぼ間違いなく「閻魔天」である筈。
仏像はほとんど見掛けませんが、京都「醍醐寺」には大きいものがありましたよー。
これは必見。

(※)人頭幢(じんとうどう):
儀式または軍隊の指揮などに用いた旗の一種。彩色した布で作り、竿の先につけたり、柱に懸けたりした。
人頭とあるので、先には人の頭がついている。

密教での「閻魔天」は亡者の救済、死すべき者の延命などのご利益があります。
なお、「地蔵菩薩」の化身とも言われています。


[関連記事] 【天部、その他】
⇒ 仏像の種類 (お父さんのための仏像講座) [前編] [後編]
⇒ 木彫の技法について (お父さんのための仏像講座)
⇒  お寺で動物ウォッチング「鳥獣座について」(お父さんのための仏像講座)
⇒ 帝釈天 (天部・仏像)
⇒ 梵天 (天部・仏像)
⇒ 毘沙門天 (仏像・天部) 前編 後編
⇒ 兜跋毘沙門天
⇒ 大黒天 (仏像・天部) 仏像編 信仰編 拳印大黒天(滋賀・石山寺)
⇒ 布袋尊 (七福神)
⇒ 荼吉尼天 (天部・仏像)
⇒ 摩利支天 (天部・仏像)
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⇒ 五百羅漢 (仏像・仏弟子)
 石仏・五百羅漢像 千二百羅漢像 びんずるさま (仏像・仏弟子) 羅怙羅 (仏像・仏弟子)


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ドロロンえん魔くん Vol.4 [DVD]
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東映ビデオ

※「えん魔くん」は閻魔大王の甥だそうです。
 なんかリニューアルのやつやってますね。

高尾山薬王院 (東京都・八王子市)

2011年04月10日 | お寺
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は天狗のメッカ、東京都は八王子市の「高尾山薬王院(たかおさん・やくおういん)」です。

連休ともなると、多くの人で賑やかな「高尾山薬王院」
アクセスが良く、ちょっとおでかけには最適な場所ですねー。
ひでるさんが行ったの時も連休中だったので、ケーブルカーはえらい行列になっていましたよ。


※天狗もあちこちにいます

さて、こちらの正式名称は「高尾山薬王院有喜寺(~・ゆうきじ)」
真言宗・智山派の大本山です。
なんと、関東三大本山の一つでもありました。
(※他は成田山新勝寺、川崎大師平間寺)

こちらの起こりは天平十六年(744)、奈良時代のこと。
「聖武天皇」の勅命によって、”菩薩”の称号を持つ「行基(ぎょうき)」によって東国鎮護の祈願寺となるべく開山されました。
ただし、「行基菩薩」の主な活動地域は関西方面。
そちらには実際に開山した寺院が多くありますが…ここの場合は名前を借りただけかなー。
まぁ、いいか。
本尊として「薬師如来」が祀られたため、「薬王院」と名付けられたのです。


※飯縄権現

それから時代がずーっと過ぎて、永和年間(1375~ 1379)
将軍「足利義満」の室町時代のこと。
京都は醍醐寺より「俊源大徳( しゅんげんだいとく)」が迎えられ、こちらは「飯縄権現」を守護神として奉納・中興されたのでした。
これこそが、ヒットの要因。
飯縄信仰では霊山であるという認識が広まり、また修験道の道場として大いに繁栄することとなるのです。
また、戦国時代。
兜の前立にした「上杉謙信」を筆頭に、「飯縄権現」は”戦勝の神”として当時の武将の間で流行しています。
それがためか、関東を支配していた北条家、続いて徳川家からも保護を受け、大きな勢力を持ったのでした。
めでたし、めでたし。


※神変堂

「飯縄権現」のおわす「飯縄権現堂」は修理などはありますが、享保十四年(1729)の建立。
その「飯縄権現」の眷属こそが「天狗」なのでした。
境内に「天狗像」がちらほらあったのは、それがため。
天狗伝説もあるようです。


※伝説だけでなく、こんなんもあります。て、天狗丼!?

大本堂は明治三十四年(1901)のもの。
他には「役小角(役行者)」を祀る「神変堂」などもあります。
ちゃんと二対の鬼、前鬼「妙童鬼(みょうどうき)」、後鬼「善童鬼(ぜんどうき)」がいましたよー。




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※そんな訳でキューピーも天狗でした。
 鞍馬…ですが。
 こちらは現地でゲットしてます。

非凡な嫡男・父の念願を果たす (村上義清6)

2011年04月03日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日が源氏の血を引く名門家の末裔「村上義清(むかかみ・よしきよ)※写真」のラストです。

信濃へ侵攻した甲斐の若き大将「武田晴信」
これに義清は上田原で大敗させたほか、戸石城攻防戦でも”戸石崩れ”という痛い敗戦を味あわせたのでした。
しかし、晴信に仕えていた「真田幸隆」は調略によって次々にその勢力を削ぎ、晴信念願の戸石城をも調略によってあっさり攻略。
こうした事態に動揺した北信濃の国人らは、こぞって村上方より鞍替えをしてしまうのです。
ついに葛尾城を支えられなくなった義清は、越後の龍「上杉謙信」を頼って落ち延びたのでした。

天文二十二年(1553)
葛尾城の落ちた数ヵ月後には、謙信の支援もあり八幡にて武田勢に勝利。
この時は葛尾城の奪回に成功しておりますが、反撃を受けて越後へと撤退しております。
さらに三カ月後、上杉の主力と共に信濃へと侵攻。
ここでは先鋒として出陣した義清は、布施での合戦に武田勢の先鋒を崩すなど活躍していました。
しかし、決戦を避けた武田勢がため、兵を退いています。
こちらが第一次の「川中島合戦」です。

武田・上杉が激突した「川中島合戦」には二度ほど従軍している義清。
しかし、結局望みは果たせなかったのです。

晩年はその庇護を受け、根知城を預けられて越後西浜地方を支配しておりました。
元亀元年(1573)にて越後・根知城で病死。
享年七十。
菩提寺は長野県埴科郡は「満泉寺」です。

上杉勢に属した嫡男「村上国清」
父と似て非凡な才を発揮し、信濃、越中などを転戦して活躍しています。
「上杉謙信」にも気に入られ、その側近となていました。
謙信に代わって書状を発行する要職を得たほか、越後の名族であった山浦上杉家を継いで「山浦国清」との名乗りになりました。
こうして、一門衆並みの厚遇を受けるのです。
なお、上洛から急遽沈黙した「武田晴信」について疑問を持ち、その死を謙信まで伝えたのも国清であったようです。
相続争い「御館の乱」でも、判断良く「上杉景勝」を支持して勝利に貢献。
その一字を拝領して、「山浦景清」となったのです。

天文十年(1582)
この年には信濃四郡の代官として「海津城」を与えられ、父の念願だった信濃復帰を果たしております
(※後に越後へ帰還してますが)
さらに、徳川家との外交交渉にも尽力。
後の「小田原城合戦」でも「上杉景勝」と共に従軍し、こちらでは先鋒を任されています。
謙信に続き、よく景勝を補佐しておりました。

なお、上杉勢として活躍する彼の陣中へ手紙を出していた義清。
”家臣を自らの分身とし、人の扱いには留意するよう…”
そうした内容であったようです。
息子の活躍に満足しているという書状もあり、武田勢を駆逐した猛将の優しい一面が垣間見えます。
調略によって崩されるあたりを含め、おそらくこの方は単純にイイ人だったのではないでしょうか。




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※あまり関係ないですが。
 この信長かっこえーですね。



最強武将を手玉にした真田の智謀 (村上義清5)

2011年03月27日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日も源氏の血を引く名門家の末裔「村上義清(むかかみ・よしきよ)」です。

信濃へ侵攻した甲斐の若き大将「武田晴信」
義清は上田原にて激突し、これを大敗させたのです。
しかし、信濃守護「小笠原長時」を追って勢いを取り戻した武田勢は、義清の留守を狙って山城・戸石城へと侵攻。
争っていた「高梨政頼」と結んで軍勢を急遽反転させた義清は、撤退する武田勢を追撃して再び大敗させたのでした。
こちらが、世に宣伝された”戸石崩れ”という晴信の敗戦です。


天文二十年(1551)
あの晴信をしても落とせなかった堅城・戸石城。
しかし、仕えていた「真田幸隆」は調略をもって、内通者を押さえ、この城をあっさり攻略しております
さらに葛尾城より北の清野氏の内通にも成功しているなど、合戦での勝利者であった村上勢を次々に切り崩していったのでした。

そのあまりな鮮やかさに、武田の宿将らは幸隆を牽制したようですが、晴信は彼を重用し続けています。
優秀な参謀として、以後は特に信濃攻略にて大活躍することとなるのでした。

なお、ライバル「上杉謙信」は、
我、弓を取らば真田に劣らぬが、智謀は七日遅れあり
そう評しておりました。
真田氏と言えば大坂合戦で華々しく活躍した孫「幸村(信繁)」、晴信に側近として仕え、「両眼の如し」と言われた子「昌幸」が有名ですが、この幸隆も只者ではありません。
信濃攻略ほか、西上野侵攻でも功を上げています。
謙信の批評そのまんまな活躍を見せていたんですね。
晴信との相性も良かったらしく、譜代家臣と同様の扱いをされていました。

天文二十二年(1553)
その敗戦を切っ掛けに、これまで村上家を頼っていた国人らにも動揺が走りました。
安雲、筑摩から武田勢が侵入すると、次々にそちらへと鞍替えを始めたのです。
それまで共に戦っていた「布下雅朝」、「屋代政国」、「楽巌寺雅方(らくがんじ・まさたか)」という各将までも、武田氏に降ってしまったのでした。

局地戦では勝利していたものの、結局は居城・葛尾城を支えることができなった義清。
越後にて勢力を伸ばしていた「上杉謙信」を頼って、落ち延びたのでした。
なお、彼の居城であった葛尾城は、義清の脱出後に総攻撃で陥落しています。

助けを乞われた謙信は、戦国時代では珍しく義理がたいことで有名な大将。
実際に彼を客将として遇した謙信は、その失地回復のため、信濃へ頻繁に出兵することとなるのです。
天文二十二年(1553)の数ヵ月後には八幡・布施での合戦に勝利。
一度は葛尾城までをも奪回するなど、武田勢と死闘を繰り広げることとなるのです。

⇒ つづく。
 ※次回は「非凡な嫡男・父の念願を果たす」(6/6)


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※そんな訳で、お弁当箱まで戦国です。
 真田家は人気あるねぇ。



誕生、”北信濃最強武将” (村上義清4)

2011年03月20日 | 歴史
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本日も源氏の血を引く名門家の末裔「村上義清(むかかみ・よしきよ)※写真」です。

クーデターによって家督を継いだ「武田晴信」
信濃へ侵攻するとたちまち諏訪氏、大井氏、高遠氏などを下し、村上氏と対立することとなったのでした。
上田原にて激突した両軍勢でしたが、地の利を生かした村上勢が優位。
両腕と言われた「板垣信方」、「甘利虎泰」が討死するほか、晴信自身までもが傷を負う大敗となったのです。
しかし、その敗戦に乗じた信濃守護「小笠原長時」が武田勢にあっさり駆逐されたことで、反武田勢力の勢いは弱まってしまったのでした。
もう、余計な事するんだからー。


天文十九年(1550)
「上田原合戦」から二年後のこと。
”東には神川へのぞむ崖、西も険しく、山上は広く要害堅固、規模広大”
…という、小県郡の山城・戸石城。
かねてより、晴信はこの戸石城を狙っていたと言われています。

「高梨政頼」との争いから、義清自らが出陣していたのを好機とし、再び晴信は軍勢を動かしました。
しかし、その報を受けた義清は逆に政頼と結び、共に戸石城の救援へと駆け付けてきたのです。
これは、義清が単に武力一辺倒の大将ではなかったことを示していると思います。
こちらの合戦が晴信にとって二度目となる敗戦、「戸石城攻防戦」です。

戸石城を攻囲して一ヶ月という武田勢。
軍勢を急遽反転させた義清の報に接した晴信は、撤退を決意しました。
しかし、六千の村上勢はそれを執拗に追撃。
戸石城から討って出た守備隊と挟撃されてしまうのです。
こうして、殿軍となった備中守「横田高松(よこた・たかとし)」が討死したほか、千ほどの兵を失う大敗となるのでした。

これが”戸石崩れ”と、世に宣伝された敗戦です。
なんと、この「村上義清」は二度に渡って戦国最強軍団と言われた武田勢を退けているのです。
スゴイでしょ。
”北信濃最強武将”
そう呼ばれていたのも、決して伊達ではありません。

ちなみに、またまたそれに乗じて旧領回復をめざした懲りない信濃守護「小笠原長時」
家臣「平瀬義兼(ひらせ・よしかね)」を頼って筑摩群へ侵攻を図りましたが、こちらでも失敗。
武田勢の総攻撃を招く切っ掛けとなり、以後長時は流浪生活となっていくのでした。
この名目上での支配者と、自力で勢力を拡大した実力者の対比がちょっと可笑しいですね。

⇒ つづく。
 ※次回は「最強武将を手玉にした真田の智謀」(5/6)


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※ふと気付いたら…なんと、毛布になっていました(笑)
 でも、ぶっちゃけ本気で欲しいかも。