お寺さんぽ Ver.03

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土浦城址 (茨城)

2010年09月19日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は茨城県土浦市は県指定史跡「土浦城」です。

「亀城(きじょう)」とも呼ばれるこちら。
こないだ「牛久大仏」へ行った際に行ってきました。
完全に平城でしたね。



※そんな訳で亀。

室町時代に完成したという土浦城。
若泉氏が築いたとされています。
戦国時代までここを居城としていた若泉氏でしたが、永正十三年(1516)に周辺を支配していた常陸・小田氏方の代官「菅谷勝貞」が攻め落としていました。
城主「若泉五郎左衛門」はここで敗死。
一時期は小田氏の「信太範貞」が守備をしていましたが、後に奪った勝貞はここを居城として上杉・佐竹ら周辺大名と戦っていたようです。

なお、主君「小田氏治」はたびたび佐竹氏に敗れていますが、勝貞の子「菅谷政貞」、その子「菅谷範政」はそのたびごとに氏治を土浦城へと迎え入れています。
氏治と共に小田城を奪還しているところから察するに、なかなかの武将であったようです。
後に佐竹氏、徳川氏と降り、特に範政は小田氏への忠節を賞され、徳川家の旗本に取り立てられています。
(※最終的には幕末まで存続)



こうした時代の変化の間に「結城秀康」の支城となったこともありましたが、江戸時代では「松平信一」に与えられ、土浦藩の初代藩主となりました。
最終的には土屋氏(※武田氏に仕えていた土屋氏です)が入封。
明治維新まで代々城主となるのでした。

9万五千石というこちらは、常陸国(茨城県)では水戸藩に次ぐという大きな領土の中心地。
明治三十一年(1898)に土浦へと寄贈され、亀城公園として整備されることとなるのです。
現在の土浦城は櫓や門などが復元されています。
東櫓では資料の展示があり、すぐ隣には私立博物館がありましたが、ぶっちゃけちょっとした程度もの。



周辺には旧水戸街道沿いに古い商家、歴史あるお寺もあったりするんですが…あまり観光っぽくはされていません。
街並みとか風情あっていいんですが、もう少しなんとかならないかなーって印象でした。
お城も歴史あるものなんですが、小田氏が…ねぇ。




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