のんびり気軽にさんぽがてら。
本日はこれまで当ブログでは一度もまともに触れていなかった、戦国時代での四国のお話なのです。
…あんまり詳しくはないんですよねー、はっきり言って。
戦国ファンにはお馴染み。
しかし、一般の方にはほとんど知られていないであろう、四国の覇者・長宗[曾]我部(ちょうそかべ)氏。
こちらは時代の寵児「豊臣秀吉」に反発したことで領土を大幅に削減されたことに加え、関ヶ原合戦において西軍へ参加。
さしたる活躍もないまま敗戦・領土没収をされていることが大きいのだと思います。
(※ちなみに、大阪の陣では大阪城[※写真]へ入城し、華々しく散るんですが…)
やっぱりねぇ、将来有望な嫡男に先立たれてしまったのはお家にとって非常に大きいことなんですよ。あの時代は。
仙石のバカチンが余計なこと言わなければ…、という余談はこれくらいにして。
(※↑そのあたりのお話は「戸次川合戦」にて書いておりますので、宜しければ)
さてはて、今回の主人公にして長宗我部氏の大将「長宗我部元親(ちょうそかべ・もとちか)」は、当初”姫若子”と呼ばれるような、引っ込み思案で線の細い方だったようなのです。ひでるさんもそんなんでした(←ある程度本当)
あの時代も筋骨隆々とした、無骨でいかにも武将然とした方だけでなく、女性から黄色い声が上がるような、色白繊細な男性もおったようなのです。
発見された遺体が女性と見間違われたという「石田光成」、青白い学者風であったと言われる「竹中重治」、そう「織田信長」も色白な美男子とか言われておりましたね。
性格・容姿のどちらも、そんなんだったのでしょう。
とりあえず、無骨なタイプではなかったらしい、というのでした。
さて、後にそーんな大将をいただくことになる、長宗我部氏。
家系はさまざま不確かなものも多く、はっきりしないものばかりなんですが、渡来人として古くから名前のある「秦氏」、「蘇我氏」であるとか言われています。
それが真実なら、脈々と続いてきた名門家なんですね。
平安時代。
土佐に流罪となった「源希義(みなもとの・まれよし)」に従って平氏と戦ったとされる、初代「長宗我部能俊」
彼が「源頼朝」より地頭職を与えられたことが始まりとされております。
南北朝時代では途中で北朝方へ転じて守護・細川氏の下で活動。
毎度お馴染み「応仁の乱」では、守護・細川氏が上洛していた留守をついて着実に勢力を固めた長宗我部氏は、いつしか”土佐七族の雄”へと成長していたのでした。
⇒つづく
次回は「父国親と誕生した姫若子」(2/4)
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[関連記事] 【室町時代セット】
⇒ 室町時代(歴史さんぽ)
⇒ 続・室町時代 中央政治編
⇒ 続・室町時代 地方政治編
⇒ 関東公方と関東管領 (歴史さんぽ)
⇒ 南北朝時代の若き英雄 「北畠顕家」(1 2 3 4 5)
⇒ 父の背中を追う英雄 「楠木正行」(前編 中編 後編
⇒ 史上最悪の市街戦「応仁の乱」[1 2 3 4 5 6]
※なんと、いまではゲームキャラとして復活した「元親さま」です。
ご本人は雲の上でどう思っているのかなぁ。
本日はこれまで当ブログでは一度もまともに触れていなかった、戦国時代での四国のお話なのです。
…あんまり詳しくはないんですよねー、はっきり言って。
戦国ファンにはお馴染み。
しかし、一般の方にはほとんど知られていないであろう、四国の覇者・長宗[曾]我部(ちょうそかべ)氏。
こちらは時代の寵児「豊臣秀吉」に反発したことで領土を大幅に削減されたことに加え、関ヶ原合戦において西軍へ参加。
さしたる活躍もないまま敗戦・領土没収をされていることが大きいのだと思います。
(※ちなみに、大阪の陣では大阪城[※写真]へ入城し、華々しく散るんですが…)
やっぱりねぇ、将来有望な嫡男に先立たれてしまったのはお家にとって非常に大きいことなんですよ。あの時代は。
仙石のバカチンが余計なこと言わなければ…、という余談はこれくらいにして。
(※↑そのあたりのお話は「戸次川合戦」にて書いておりますので、宜しければ)
さてはて、今回の主人公にして長宗我部氏の大将「長宗我部元親(ちょうそかべ・もとちか)」は、当初”姫若子”と呼ばれるような、引っ込み思案で線の細い方だったようなのです。ひでるさんもそんなんでした(←ある程度本当)
あの時代も筋骨隆々とした、無骨でいかにも武将然とした方だけでなく、女性から黄色い声が上がるような、色白繊細な男性もおったようなのです。
発見された遺体が女性と見間違われたという「石田光成」、青白い学者風であったと言われる「竹中重治」、そう「織田信長」も色白な美男子とか言われておりましたね。
性格・容姿のどちらも、そんなんだったのでしょう。
とりあえず、無骨なタイプではなかったらしい、というのでした。
さて、後にそーんな大将をいただくことになる、長宗我部氏。
家系はさまざま不確かなものも多く、はっきりしないものばかりなんですが、渡来人として古くから名前のある「秦氏」、「蘇我氏」であるとか言われています。
それが真実なら、脈々と続いてきた名門家なんですね。
平安時代。
土佐に流罪となった「源希義(みなもとの・まれよし)」に従って平氏と戦ったとされる、初代「長宗我部能俊」
彼が「源頼朝」より地頭職を与えられたことが始まりとされております。
南北朝時代では途中で北朝方へ転じて守護・細川氏の下で活動。
毎度お馴染み「応仁の乱」では、守護・細川氏が上洛していた留守をついて着実に勢力を固めた長宗我部氏は、いつしか”土佐七族の雄”へと成長していたのでした。
⇒つづく
次回は「父国親と誕生した姫若子」(2/4)
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※なんと、いまではゲームキャラとして復活した「元親さま」です。
ご本人は雲の上でどう思っているのかなぁ。