のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は泣ける籠城戦「岩屋城合戦」と「高橋紹運(たかはし・じょううん)※写真」についてです。
九州統一に向け、怒涛の勢いで侵攻を開始する島津勢。
迎え撃つ岩屋城には「高橋紹運」、宝満城には「立花直次(高橋統増)」、そして立花城には「立花宗茂」が籠城。
矛先は紹運へと向き、岩屋城は島津勢にぐるりと包囲されてしまったのです。
「わが墓はこの城と思い、討ち死にする覚悟です。それがしは地下で太閤殿下の御厚意に報いましょう」
使者を送った「黒田官兵衛」にも、そう返答しているのでした。
天正十四年(1586)
こうして「高橋紹運」の籠る筑前・岩屋城は「島津忠長(しまづ・ただなが)」率いる五万という軍勢に包囲されました。
守備隊は紹運以下七百程度。
圧倒的な戦力差です。
ここで数倍という敵を引き寄せた紹運は、壮絶な籠城戦を展開するのです。
城兵の士気の高揚を知った島津勢は、まず僧「快心」を降伏の使者として送っています。
それを紹運が承知する訳もなく、七月十四日の午後から攻撃は始まりました。
周囲を焼き払って足場をつくり、じわじわと包囲を狭める島津勢。
紹運は十ヶ所に兵を配置し、それを鉄砲で狙撃。
城壁へ取りついた兵には、岩石や木などを投げる、火矢を放つなど、日没まで必死に防戦したのです。
鉄砲の轟音が鳴り響き、士卒のわめき声が大地に響く…。
断続的に繰り返される攻撃は、城方の激しい抵抗によって撃退され続けていました。
初戦の二日間だけで、島津方はすでに千という死傷者を出しているのです。
三日目には「高橋越前」の守る秋月口の砦を攻略されていますが、紹運の絶妙な指揮によって守備隊はなおも強固に耐え続けたのです。
そこで島津は、降伏勧告というより講和に近い形で彼に交渉を持ちかけました。
九州全土を制圧せんという勢いであった島津勢に、そこまで譲歩させたようなのです。
さすがですね。
使者に立った島津方「新納蔵人」に、「麻生外記」という家臣が応対しました。
「主人の盛んな時に励み、功名を残すものは多いが、主人が衰えた時に一命を捨てるのは稀である。
士たる者の仁義を守らざるは、鳥獣に異ならず」
実は、そう言った「麻生外記」こそが、変装した紹運その人だったのです。
「主家である大友家は傾き、九州の各将は島津に恭順するという情勢。
人生は例えてみれば、朝露が陽光待つようにはかないもの。
ただ末長く世に残るのは武名のみと思うので、降参する訳には参りませね…」
こうして厳しい籠城戦は続くこととなったのです。
⇒ つづく。
次回は「玉砕とその後の息子たち」(10/10)
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※九州です。
旅行行きたいなぁ…歩くペースで回るくらいの余裕あれば最高ですね。
本日は泣ける籠城戦「岩屋城合戦」と「高橋紹運(たかはし・じょううん)※写真」についてです。
九州統一に向け、怒涛の勢いで侵攻を開始する島津勢。
迎え撃つ岩屋城には「高橋紹運」、宝満城には「立花直次(高橋統増)」、そして立花城には「立花宗茂」が籠城。
矛先は紹運へと向き、岩屋城は島津勢にぐるりと包囲されてしまったのです。
「わが墓はこの城と思い、討ち死にする覚悟です。それがしは地下で太閤殿下の御厚意に報いましょう」
使者を送った「黒田官兵衛」にも、そう返答しているのでした。
天正十四年(1586)
こうして「高橋紹運」の籠る筑前・岩屋城は「島津忠長(しまづ・ただなが)」率いる五万という軍勢に包囲されました。
守備隊は紹運以下七百程度。
圧倒的な戦力差です。
ここで数倍という敵を引き寄せた紹運は、壮絶な籠城戦を展開するのです。
城兵の士気の高揚を知った島津勢は、まず僧「快心」を降伏の使者として送っています。
それを紹運が承知する訳もなく、七月十四日の午後から攻撃は始まりました。
周囲を焼き払って足場をつくり、じわじわと包囲を狭める島津勢。
紹運は十ヶ所に兵を配置し、それを鉄砲で狙撃。
城壁へ取りついた兵には、岩石や木などを投げる、火矢を放つなど、日没まで必死に防戦したのです。
鉄砲の轟音が鳴り響き、士卒のわめき声が大地に響く…。
断続的に繰り返される攻撃は、城方の激しい抵抗によって撃退され続けていました。
初戦の二日間だけで、島津方はすでに千という死傷者を出しているのです。
三日目には「高橋越前」の守る秋月口の砦を攻略されていますが、紹運の絶妙な指揮によって守備隊はなおも強固に耐え続けたのです。
そこで島津は、降伏勧告というより講和に近い形で彼に交渉を持ちかけました。
九州全土を制圧せんという勢いであった島津勢に、そこまで譲歩させたようなのです。
さすがですね。
使者に立った島津方「新納蔵人」に、「麻生外記」という家臣が応対しました。
「主人の盛んな時に励み、功名を残すものは多いが、主人が衰えた時に一命を捨てるのは稀である。
士たる者の仁義を守らざるは、鳥獣に異ならず」
実は、そう言った「麻生外記」こそが、変装した紹運その人だったのです。
「主家である大友家は傾き、九州の各将は島津に恭順するという情勢。
人生は例えてみれば、朝露が陽光待つようにはかないもの。
ただ末長く世に残るのは武名のみと思うので、降参する訳には参りませね…」
こうして厳しい籠城戦は続くこととなったのです。
⇒ つづく。
次回は「玉砕とその後の息子たち」(10/10)
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※九州です。
旅行行きたいなぁ…歩くペースで回るくらいの余裕あれば最高ですね。