のんびり気軽にさんぽがてら。
本日も泣ける籠城戦「岩屋城合戦」と「高橋紹運(たかはし・じょううん)」についてです。
天文十七年(1548)
吉弘氏の次男として誕生した、「吉弘鎮種(よしひろ・しげたね)」こと「高橋紹運」
(※ややこしいので、後は「高橋紹運」で統一します)
その父「吉弘鑑理(よしひろ・あきただ)」は初期の大友家を支え、「臼杵鑑速(うすき・あきはや)」、「吉岡長増」らとともに”大友家の三老”と呼ばれたほどの武将でした。
主家である大友家も六ヶ国という守護職になったほか、九州探題へと任ぜられていたのです。
まさに、順風満帆な大友家だったのです。
さて、今回の主役・紹運ですが、この頃は父・兄らと共に筑前を担当。
優秀な彼らと共に、”雷神”という異名をもつ戦国武将「立花道雪(戸次鑑連)※写真」もおり、おそらくは彼らの背中を見て育っていたと想像されます。
(※おまけ。道雪[1513]と紹運[1548]は、三十五歳ほど年齢の開きがあります)
天正年間では、父・鑑理、道雪らの補佐として度重なる侵攻を退け続け、またその一方で筑後へと侵攻。
付近の「筑紫広門(つくし・ひろかど)」、「秋月種実(あきつき・たねざね)」らと戦って、その勢力拡大に貢献するのでした。
永禄十年(1567)
紹運の父「吉弘鑑理」らの活躍によって、一時は滅亡していた筑前の名門・秋月氏。
古処山城の落城直前に脱出していた子「秋月種実」は、中国地方へ逃れて安芸は「毛利元就」に身を寄せていたのです。
再興を目指す種実は、旧大内家の所領奪還を目指す毛利氏の九州出兵に協力して帰国。
休松(やすみまつ)合戦では大友の軍勢を破り、本拠である古処山城を回復したのでした。
さらに、元就は得意の調略によって、岩屋城の「高橋鑑種(たかはし・あきたね)」、立花城にあった「立花鑑載」らの離反に成功。
本拠を奪還した秋月氏に呼応し、なんと大友家に反逆してしまうのでした。
毛利氏の九州侵攻に同調して有力国人・家臣らが離反するという、危機的状況になってしまうのです。
ううん、さすがは元就ですねー。
なお、ここで登場した、今回のメイン舞台である岩屋城。
こちらは筑前国御笠群の山城で、大友家の武将であった高橋氏が築いた城です。
筑前国での拠点として機能し、付近には「菅原道真」で有名な太宰府天満宮があります。
種実の父「秋月文種」討伐の戦功によって、筑前三笠郡を与えられていた「高橋鑑種」は太宰府の天満山へ天満城、その支城として岩屋城を築城。
筑前では、守護代的な地位を得ていました。
才を認められていた彼がなぜ毛利氏の誘いを受けたのかは不明ですが、「秋月種実」に呼応して岩屋城に籠城し、結局毛利の退陣まで抵抗し続けることとなります。
さて、ここで総大将に任ぜられた「立花道雪」は、筑前・肥前を転戦。
永禄十二年(1569)には筑前へ侵攻した「小早川隆景」率いる毛利勢を多々良浜合戦にて破るなど活躍し、また宗麟の奇策も当たって毛利勢を九州から完全に退けることに成功するのでした。
⇒ つづく。
次回は「戦功をあげる「高橋紹運」と婚約者」(3/10)
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本日も泣ける籠城戦「岩屋城合戦」と「高橋紹運(たかはし・じょううん)」についてです。
天文十七年(1548)
吉弘氏の次男として誕生した、「吉弘鎮種(よしひろ・しげたね)」こと「高橋紹運」
(※ややこしいので、後は「高橋紹運」で統一します)
その父「吉弘鑑理(よしひろ・あきただ)」は初期の大友家を支え、「臼杵鑑速(うすき・あきはや)」、「吉岡長増」らとともに”大友家の三老”と呼ばれたほどの武将でした。
主家である大友家も六ヶ国という守護職になったほか、九州探題へと任ぜられていたのです。
まさに、順風満帆な大友家だったのです。
さて、今回の主役・紹運ですが、この頃は父・兄らと共に筑前を担当。
優秀な彼らと共に、”雷神”という異名をもつ戦国武将「立花道雪(戸次鑑連)※写真」もおり、おそらくは彼らの背中を見て育っていたと想像されます。
(※おまけ。道雪[1513]と紹運[1548]は、三十五歳ほど年齢の開きがあります)
天正年間では、父・鑑理、道雪らの補佐として度重なる侵攻を退け続け、またその一方で筑後へと侵攻。
付近の「筑紫広門(つくし・ひろかど)」、「秋月種実(あきつき・たねざね)」らと戦って、その勢力拡大に貢献するのでした。
永禄十年(1567)
紹運の父「吉弘鑑理」らの活躍によって、一時は滅亡していた筑前の名門・秋月氏。
古処山城の落城直前に脱出していた子「秋月種実」は、中国地方へ逃れて安芸は「毛利元就」に身を寄せていたのです。
再興を目指す種実は、旧大内家の所領奪還を目指す毛利氏の九州出兵に協力して帰国。
休松(やすみまつ)合戦では大友の軍勢を破り、本拠である古処山城を回復したのでした。
さらに、元就は得意の調略によって、岩屋城の「高橋鑑種(たかはし・あきたね)」、立花城にあった「立花鑑載」らの離反に成功。
本拠を奪還した秋月氏に呼応し、なんと大友家に反逆してしまうのでした。
毛利氏の九州侵攻に同調して有力国人・家臣らが離反するという、危機的状況になってしまうのです。
ううん、さすがは元就ですねー。
なお、ここで登場した、今回のメイン舞台である岩屋城。
こちらは筑前国御笠群の山城で、大友家の武将であった高橋氏が築いた城です。
筑前国での拠点として機能し、付近には「菅原道真」で有名な太宰府天満宮があります。
種実の父「秋月文種」討伐の戦功によって、筑前三笠郡を与えられていた「高橋鑑種」は太宰府の天満山へ天満城、その支城として岩屋城を築城。
筑前では、守護代的な地位を得ていました。
才を認められていた彼がなぜ毛利氏の誘いを受けたのかは不明ですが、「秋月種実」に呼応して岩屋城に籠城し、結局毛利の退陣まで抵抗し続けることとなります。
さて、ここで総大将に任ぜられた「立花道雪」は、筑前・肥前を転戦。
永禄十二年(1569)には筑前へ侵攻した「小早川隆景」率いる毛利勢を多々良浜合戦にて破るなど活躍し、また宗麟の奇策も当たって毛利勢を九州から完全に退けることに成功するのでした。
⇒ つづく。
次回は「戦功をあげる「高橋紹運」と婚約者」(3/10)
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