お寺さんぽ Ver.03

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朝廷を震撼させた純友さま (海賊大将・藤原純友)3

2009年03月15日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
さて、首塚だの呪いだのと、同時代ではブイブイと言わせている有名人「平将門」さま。
そんな彼と比べ、やや地味であるのが今回の主役である「藤原純友(ふじわらの・すみとも)」さまなのでした。
”名前は知っていてもイマイチ何をしたのかよくわかんない人”ということで、ちゃんと調べてみることとしたのです。


平安時代中期。
坂東にて「平将門」が暴れまわっていたのと同じ頃。
まるでその動きに呼応したように、瀬戸内海の海賊らを率いて朝廷を震撼させたのが、「藤原純友」だったのです。
彼は藤原北家の流れを汲む、筑前守太宰少弐「藤原良範」の子でした。

瀬戸内海にて海賊を追捕する役目であった純友ですが、いつしか“千艘ほどの船を有する一大勢力”という海賊と化していたのです。
ミイラ取りがミイラ、という訳なのです。


私物から官物に至るまで、略奪を働くようになっていた純友勢。
それはいつしか京に近い摂津にまで進出するようになり、困った太政大臣「藤原忠平」は「紀淑人(きの・よしひと)」を伊予守へ任じて、海賊らを追捕するよう対策に当たらせたのでした。
淑人は征伐ではなく懐柔策を取って、多くの帰順に成功したため、純友勢はしばらく行動できなくなってしまったのです。

天慶二年(939)
東国では「平将門」が”新皇”と称して関東をほぼ支配するなど、大暴れしていました。
さらに、度々の大地震から火災まで世は不安に包まれ、朝廷と言えばただ神頼みをするような有様だったようです。

一方の西国では、備前介「藤原子高(ふじわらの・むねたか)」と争ってこれに敗れ、圧迫された「藤原元文(ふじわらの・もとふみ)」が純友へと救援を求めてきました。

この事件を切っ掛けとして、過去に行った海賊退治での恩賞を朝廷へ要求した純友。
まず手始めといわんばかりに、摂津・須岐へと乱入。
子高勢を襲撃し、あっさりこれを撃破したのです。

朝廷は、”東国の将門と西国の純友が東西呼応して謀反を起こしたのでは?”と、驚愕・戦慄したと伝えられています。

天慶三年(940)二月。
純友の要求に対し、朝廷は彼を従五位下に叙して、懐柔・慰撫に努めております。
しかしその甲斐はなかったらしく、淡路島を襲撃して官の武器を奪うなど、純友勢の海賊行為は依然として続いておりました。

なお、正月に”追捕凶賊史”となっていた「小野好古(おのの・よしふる)」は、純友勢が京へと進撃する可能性を示唆。
関係性は不明であるものの、放火や盗賊などが京で頻発していたことから、太政大臣「藤原忠平」は都の警護に力を入れるのです。

このように西方での兵乱はより激しさを増していましたが、この頃東では「平将門」がついに討ち取られていたのです。
将門戦死の吉報に安心した朝廷は、純友対策に全力を注げるようになっていくのでした…

⇒ つづく。
  次回は「追い詰められる純友さま」(4/4)


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