のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は日本百名城の一つ、「八王子城址」についてのレポートをお送り致します。
長いのを避けるために全三回にて。
今回は八王子城址のお話。
こちら八王子城は小田原北条家、氏康の三男として生まれた「北条氏照」によって築城された規模の大きい山城です。
これより前に氏照は「滝山城」を居城としていましたが、永禄十二年(1569)の武田晴信による小田原侵攻の際に滝山城を攻められ、三の丸まで落とされるという危機に直面しております。
その反省があり、大軍の攻撃にも耐えうる城として「八王子城」の築城を考えたようなのです。
なお、完成後は太田氏房(※北条氏政の三男)の岩槻城、北条氏邦(※北条氏政・氏照の弟)鉢形城、らと北条氏の三大支城になっていました。
豊臣秀吉の軍勢が迫っていた際、氏照は主力を率いて小田原城へ入城しています。
そのため、留守は僅かな兵だけであったのです。
さて、秀吉は次々に支城陥落の報が届く中、あまりいい表情ではありませんでした。
「戦というものは、片方は降伏させても、もう一方は攻め殺すようでないと示しがつかん」
そう、これまでは包囲の末に降伏・開城ばかりだったんですね。
なるほど。
そんな秀吉の命を受けた「前田利家」・「上杉景勝」ら北陸勢はターゲットを八王子城に定め、強引な総攻撃を開始するのです。
これに対し、守将「横地監物(よこちけんもつ)」以下、三の丸の「狩野一庵」、二の丸の「中山勘解由」、山麓の「近藤家重」らは寄せ手を一度は退却させるなどよく善戦しますが、大軍相手に押しまくられて、全滅。
天正十八年(1590) 八王子城は一日にして落城。
また、城内の御主殿には氏照の夫人らが籠もっていましたが、落城間近になると次々に滝へ身を投げてしまうのです。
このため、滝の水は三ヶ月もの間紅く染まったと伝えられてます。
ちなみに、最後まで踏みとどまっていた二の丸の「中山勘解由」の見事な奮戦ぶりに感激した「徳川家康」は、戦後に彼の息子らを召し出しているそうです。
そんなエピソードの残る、悲劇の城「八王子城」
メインの「御主殿跡」付近ならば、三十分もあれば行って帰ってこれます。
こちらは山坂ゆるく、ちょっとしたハイキングにもいいでしょう。
ただ、目的地となる館跡はだだっ広い野原だけで、ちょっとがっかり。せめて記念碑でもあれば良かったんですが…。
また、こちら山頂でないため、眺めは木々に囲まれているだけでした。
達成感を味わいたいなら、山頂の本丸跡、神社を目指しましょう。
ちなみに、ひでるさんは行きませんでした。
だって、山坂しんどそうなんだもん(笑)
ちなみに、行った時期が夏から秋に変わる九月であったので、蚊 がものすごかったです。
あのねぇ、デジカメ構えるところを狙われるんですよ。
写真撮ろうとすると目前の指に蚊がとまるでしょ、慌ててそれを追っ払うから写真がブレる、撮れんと大騒ぎでした。
…そうこうしているうちに、他の箇所をしっかり刺されていました。ついでに、いつの間にか手も数カ所やられてしまいました。
かゆかゆです。虫よけスプレー必須。
また、前日が雨だったこともあり、つるりと滑りやすい山道はちょっと危険でした。
古道でない道の途中には石仏が複数あり、ひでるさんはそっちの面でも楽しめました。(田代寺?)
なんていうか、ちょっと不思議空間ちっくですよ。
⇒次回は「謎の歴史資料館と氏照墓所」
[住所] 八王子城址 元八王子町3ー2715ー2(管理棟)
★オススメ! 【 特別展 仏像 一木にこめられた祈り (東京上野):10/3 ~ 12/3 】
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※紅く染まる…と言えば最近見たこちら。
相変わらずひぐらしノイローゼがつづくひでるです。
ラストシーンはなんだか色々な意味で納得。
…びっくりするけどね。そんなんがひぐらしちっく。
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長いのを避けるために全三回にて。
今回は八王子城址のお話。
こちら八王子城は小田原北条家、氏康の三男として生まれた「北条氏照」によって築城された規模の大きい山城です。
これより前に氏照は「滝山城」を居城としていましたが、永禄十二年(1569)の武田晴信による小田原侵攻の際に滝山城を攻められ、三の丸まで落とされるという危機に直面しております。
その反省があり、大軍の攻撃にも耐えうる城として「八王子城」の築城を考えたようなのです。
なお、完成後は太田氏房(※北条氏政の三男)の岩槻城、北条氏邦(※北条氏政・氏照の弟)鉢形城、らと北条氏の三大支城になっていました。
豊臣秀吉の軍勢が迫っていた際、氏照は主力を率いて小田原城へ入城しています。
そのため、留守は僅かな兵だけであったのです。
さて、秀吉は次々に支城陥落の報が届く中、あまりいい表情ではありませんでした。
「戦というものは、片方は降伏させても、もう一方は攻め殺すようでないと示しがつかん」
そう、これまでは包囲の末に降伏・開城ばかりだったんですね。
なるほど。
そんな秀吉の命を受けた「前田利家」・「上杉景勝」ら北陸勢はターゲットを八王子城に定め、強引な総攻撃を開始するのです。
これに対し、守将「横地監物(よこちけんもつ)」以下、三の丸の「狩野一庵」、二の丸の「中山勘解由」、山麓の「近藤家重」らは寄せ手を一度は退却させるなどよく善戦しますが、大軍相手に押しまくられて、全滅。
天正十八年(1590) 八王子城は一日にして落城。
また、城内の御主殿には氏照の夫人らが籠もっていましたが、落城間近になると次々に滝へ身を投げてしまうのです。
このため、滝の水は三ヶ月もの間紅く染まったと伝えられてます。
ちなみに、最後まで踏みとどまっていた二の丸の「中山勘解由」の見事な奮戦ぶりに感激した「徳川家康」は、戦後に彼の息子らを召し出しているそうです。
そんなエピソードの残る、悲劇の城「八王子城」
メインの「御主殿跡」付近ならば、三十分もあれば行って帰ってこれます。
こちらは山坂ゆるく、ちょっとしたハイキングにもいいでしょう。
ただ、目的地となる館跡はだだっ広い野原だけで、ちょっとがっかり。せめて記念碑でもあれば良かったんですが…。
また、こちら山頂でないため、眺めは木々に囲まれているだけでした。
達成感を味わいたいなら、山頂の本丸跡、神社を目指しましょう。
ちなみに、ひでるさんは行きませんでした。
だって、山坂しんどそうなんだもん(笑)
ちなみに、行った時期が夏から秋に変わる九月であったので、蚊 がものすごかったです。
あのねぇ、デジカメ構えるところを狙われるんですよ。
写真撮ろうとすると目前の指に蚊がとまるでしょ、慌ててそれを追っ払うから写真がブレる、撮れんと大騒ぎでした。
…そうこうしているうちに、他の箇所をしっかり刺されていました。ついでに、いつの間にか手も数カ所やられてしまいました。
かゆかゆです。虫よけスプレー必須。
また、前日が雨だったこともあり、つるりと滑りやすい山道はちょっと危険でした。
古道でない道の途中には石仏が複数あり、ひでるさんはそっちの面でも楽しめました。(田代寺?)
なんていうか、ちょっと不思議空間ちっくですよ。
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※紅く染まる…と言えば最近見たこちら。
相変わらずひぐらしノイローゼがつづくひでるです。
ラストシーンはなんだか色々な意味で納得。
…びっくりするけどね。そんなんがひぐらしちっく。
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なにせカメラのシャッターにかけた指に止まるので、もう写真どころではありませんでした。
すごかったです。
‥そう言えば京都でも何度か刺されました。
キツイ修行ですねー。