お寺さんぽ Ver.03

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羅怙羅 (仏像・仏弟子)

2010年11月14日 | 仏像
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は「黄檗山萬福寺(京都・宇治)」の回でも唯一大きく取り上げました「羅怙羅尊者(らごら・そんじゃ)」です。


様々に表現される仏像たち。
見ていくと、アフロ状態のもの(五劫思惟)、割れてるもの(西往寺「宝誌和尚立像」)、裸像(新薬師寺「おたま地蔵」)など、たまに驚くようなものが見られます。
こちらの「羅怙羅尊者」も、やはり様々に表現される方なんですが…その1つがやたら独特で、そういったラインアップに匹敵するものでした。

初見はどこぞのお寺にあったポスターです。
ぱっかーとお腹を開いたその姿に、思わず目を見張ったことを覚えています。
もう、その場で即座にお寺名を携帯に登録してましたからねー。

そんな訳で、本日は「釈迦」の高弟である十大弟子・十六羅漢の一人という「羅怙羅尊者」について。
まず、お名前の漢字のうち、「ご」の部分は色々とあるみたい。
いちおう、「黄檗山萬福寺(京都・宇治)」での表記に従っています。



「釈迦」が出家前に妃「耶輸陀羅(やしょーだらー)」との間にもうけたのが、この「羅怙羅さま」です。
ヤルことやってんじゃない。
もう、やだなぁ(笑)

…しかし、彼の名前「羅怙羅」・梵名「ラーフラ」は、インド神話に登場する悪魔「ラーフ」から付けられたとされています。
日食・月食を起こす悪魔なんだそうな。
奥さまの懐妊を知った当時十六歳の「釈迦」は、誕生を喜ぶどころか”障害である”と称したそうです。
現代では社会問題になりそうな、トンデモな旦那ですね。
人生について深く考えていた彼にとって、子の存在は出家の障害だと感じたのでしょう。
あるいは、それが出家の切っ掛けである、とも言われてます。
(※後に二十九歳で出家)

成長した息子「羅怙羅さま」も父を慕い、後を追って出家することとなりました。
これには祖父の「浄飯王(じょうぼんのう)」も大いに悲しんだとされています。
まぁ、釈迦族の後継ぎが次々にいなくなるのだから、それも当然でしょう。
果たしてどこで育て方を間違ったのか…みたいな。



釈迦の実子ということで、彼は当然ながら人々から注目される存在でした。
「羅怙羅さま」もそれを認識し、人一倍の努力をしております。
(もっとも、小さいころは逆だったらしい)
決して驕ることなく、規律をよく守り、”戒行第一”と言われました。
人々の模範になったそうです。

ここからは仏像のお話。
十大弟子の像は単独というのがほぼなく、釈迦像の眷属としてつくられるのが一般的です。
また、それぞれ特に決まった形もありません。
ただし、前述したようにお腹開いた方がいれば、「羅怙羅尊者」で間違いないでしょう。たぶん。
修業によって得た真実の悟りの姿を見るように、と自らの腹を引き裂いてみせた姿だそうです。


[関連記事] 【天部、その他】
⇒ 仏像の種類 (お父さんのための仏像講座) [前編] [後編]
⇒ 木彫の技法について (お父さんのための仏像講座)
⇒  お寺で動物ウォッチング「鳥獣座について」(お父さんのための仏像講座)
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ひろ さちや,本山 一城
鈴木出版

※カワイイ絵柄ですね。
 こうしたので見るのが、最も頭に入るだろうなぁ。


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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
なるほど・・・ (satoru)
2010-11-16 21:01:05
最後の写真が「ぬらりひょん」みたいですね
返信する
たしかに (あおぶひでる)
2010-11-17 02:05:03
顔とか頬のバランスですねー。
でも、たいていあんな感じでは。

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ホームページで川越歴史博物館 (超大絶賛します)
2010-11-18 22:56:28
大絶賛ぜっひ皆さん行ってください 川越歴史博物館はか20年以上運営している3F立て博物館です。
武具甲冑関しては古い物で現存数が極めつくない鎌倉時代のウブ星兜鉢・鎌倉末期の筋兜など室町後期の変わ兜・安土桃山期の変り兜や南北朝時代の軍陣鞍鐙・室町末期頃の馬鎧・室町中期木製盾などなど中世~慶長元和期まで室町戦国桃山時代の資料が中心に所蔵され全てウブのまま展示されています 年間定期ごとに展示変えされていますがいまだに20年以上展示ししけれない兜具足腹巻胴丸や刀剣類が展示しけれない物が沢山あるそうです。今わ国立博物館・外国・私立美術館博物館などに貸し出しはしていないそうですが全て写真撮影できます
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大絶賛ぜっひ皆さん行ってください 川越歴史博物館はか20年以上運営している3F立て博物館です。 (大絶賛ぜっひ皆さん行ってください 川越歴史博物館はか20年以上運営している3F立て博物館です。)
2010-11-18 22:56:49
大絶賛ぜっひ皆さん行ってください 川越歴史博物館はか20年以上運営している3F立て博物館です。
武具甲冑関しては古い物で現存数が極めつくない鎌倉時代のウブ星兜鉢・鎌倉末期の筋兜など室町後期の変わ兜・安土桃山期の変り兜や南北朝時代の軍陣鞍鐙・室町末期頃の馬鎧・室町中期木製盾などなど中世~慶長元和期まで室町戦国桃山時代の資料が中心に所蔵され全てウブのまま展示されています 年間定期ごとに展示変えされていますがいまだに20年以上展示ししけれない兜具足腹巻胴丸や刀剣類が展示しけれない物が沢山あるそうです。今わ国立博物館・外国・私立美術館博物館などに貸し出しはしていないそうですが全て写真撮影できます
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