樹樹日記

じゅじゅにっき。樹木と野鳥に関する面白い話をご紹介します。

野鳥保護のルーツ

2017年11月23日 | 野鳥
私が所属する日本野鳥の会は野鳥保護団体ですが、この「野鳥を保護する」という思想はいつごろ生まれたのでしょう? 会が誕生したのは1934(昭和9)年ですから、少なくとも昭和初期にはそういう気運があったわけです。
しかし、その萌芽はもっと以前にあるはずと思って調べると、徳川五代将軍・綱吉の「生類憐みの令」にたどりつきます。一般的には「人よりも犬を大事にする悪法」と解釈されていますが、詳しくひも解いてみるとそうではないようです。環境史の専門家・根崎光男さんの『生類憐みの世界』によると、この一連の政令は世界的にもまれな鳥獣保護政策であったとのこと。


徳川五代将軍・綱吉(土佐光起・画 徳川美術館・蔵 Public Domain)

まず綱吉は、武士の必須科目であった鷹狩りを将軍就任後一度も挙行しなかっただけでなく、幕臣にも禁じます。鷹狩りでは小鳥やツル、ハクチョウなどが犠牲になったようですが、そうした殺生を避けるのが目的。また、鷹狩りで仕留めた鳥や鷹そのものを将軍と大名の間で贈答するという儀礼も停止します。さらに、幕府が飼育していたツルも自然界に放鳥します。
綱吉の鳥獣保護策は徐々にエスカレートし、一般庶民が野鳥を料理したり食べること、さらに飼育や売買も禁じます。現在、日本野鳥の会の反対運動によって、基本的には国内の野鳥の捕獲や飼育、売買が禁止されていますが、それと同じ状況が江戸城下に現出していたわけです。
綱吉がすごいのは、鳥獣だけでなく魚や虫の殺生もご法度としたところ。漁業は別にして魚釣りや生きた魚の料理、金魚の飼育、松虫や鈴虫などの飼育、それらの売買も禁止します。ここまでくると現代でも受け入れられないでしょう。あまりにもラディカルなので、「人よりも犬を大事にする悪法」という評価が定着したようです。
もっと驚くことに、綱吉の生類憐みの視線は人にも及びます。今でいうホームレスに米を支給したり、入牢者の待遇を改善するなど弱者救済策を打ち出します。さらに、当時は余力のない家族が病人を遺棄するケースが多かったようですが、その養育を幕府が支援することを前提に捨て人禁止令を出します。同じく、捨て子も禁止。
今から300年以上も前に、現在の福祉政策に匹敵するような政令を次々に打ち出したわけです。綱吉の頭の中には、鳥も獣も魚も虫も人も同じように命あるものとして生涯を全うすべきであるという思想があったのでしょう。
ただ残念なことに、綱吉亡き後、こうした「生類憐みの令」は徐々に廃止されます。特に、鷹狩りが大好きだった八代将軍・吉宗はこれを復活させ、せっかく生まれた先進的な鳥獣保護策も反故にしてしまいます。
コメント (2)
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