樹樹日記

じゅじゅにっき。樹木と野鳥に関する面白い話をご紹介します。

玩物喪志

2016年10月27日 | 野鳥
先日、宇治在住の3人の会員と共に宇治川の野鳥生息調査を行いました。その帰り、観光客や散歩の人たちが行き交う道の街路樹に小鳥が出入りしているのを発見。双眼鏡で確認すると、エゾビタキとサメビタキの群れです。その中にムシクイも混じっていて、同行の会員が「ジッ ジッ」という声を聞いたのでオオムシクイと同定しました。
当日はカメラを持っていなかったので、3日後に同じ場所へ行って撮ってきました。



オオムシクイは、私にとっては初めての出会いですが、ほとんど感激がありません。わざわざ撮影に行ったのは、野鳥の会のホームページに動画を掲載するためでした。
もともとはメボソムシクイの亜種だったものを、4年前に鳥学会が独立した種として格上げした鳥だからという事情もありますが、それよりも見た目はメボソムシクイと同じだから。
27年鳥を見ていますが、私は細かい識別には無頓着です。さまざまな色や形や生態の鳥を見るのがバードウオッチングの楽しみだと思っているので、視覚的にわずかな差しかないメボソムシクイとオオムシクイを別の種として見ても喜びを感じないのです。
バードウオッチャーの中には、そのわずかな差にこだわって識別することに喜びを見出す人が多いですが、それはまた別の趣味だと私には思えます。例えば車の好きな人が、「○○という車の何年式は××が少しだけ違う」などと言っているのに似ています。
どの趣味の世界にも過度にディテールにこだわる人がいますが、それを目にするたびに「玩物喪志(がんぶつそうし)」という言葉を思い出します。意味は、「無用なものを過度に愛玩して、本来の志を見失ってしまう意で、枝葉末節なことにこだわり、真に学ぶべきことや学問の本質を見失うこと」。
例えば「どこそこにマミジロキビタキが出ているよ」と教えられても、私は多分行かないでしょう。眉が白いキビタキを見ても、喜びを感じられないからです。
私は鳥類学者になるつもりはないので、これからも枝葉末節にこだわらず、アバウトな識別で鳥見を楽しもうと思っています。
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6 コメント

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Unknown (ちどり)
2016-10-27 19:28:48
同感です!
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ちどり様 (fagus06)
2016-10-28 08:58:44
力強いご賛同、ありがとうございます。
ちどりさんも、やはり、そのように感じておられるのですね。

私の場合、面倒くさがり屋というか怠け者というか、細かい差異を勉強しても頭に入らないという側面もあって、「どっちでもえ~やん、そんな細かいとこ」と思ってしまいます。
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Unknown (guitarbird)
2016-10-28 15:55:45
こんにちわ
サメビタキとエゾビタキが街路樹に来るんですね、見てみたいです。
こちらでもあるかもしれないですが、あまり話を聞いたことがありません。

オオムシクイは私にとって身近な鳥で、逆にメボソムシクイは分離独立の経緯があってからは縁遠い鳥になりました。
ようやくオオムシクイと呼ぶことに慣れて頭もすぐにつながるようになりました(笑)。

私の場合、見た目のわずかな違いがどうというよりは、どうして似たような鳥が違う生活形態を選んで違う鳥になったのか、そして見た目まで違うものになったのか、ということに興味があり、そのことを考えます。
進化論の本を読むのが好きだった影響だと思います。

珍しい鳥がいるからそこに行く、ということは私もないですが、逆に自分のホームフィールドに珍しい鳥が出たら喜びはします。
いつか、ビートルズの歌になったBlackbird、クロウタドリを自分のホームフィールドで見たいというのが私の夢です(笑)。

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なるほど (fagus06)
2016-10-29 08:01:37
そういう見方もありますね。
クロウタドリは日本でも記録があるようですから、そちらでも見られるかもしれません。
京都支部の室内例会で「鳥とビートルズ」というテーマで話をするつもりですが、その際にはBlackbirdを取り上げます。
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枝葉末節 (宇治のヒカルゲンジ)
2016-11-02 11:22:32
「科学的に分類を厳しくすることは何か詩情を失うような気もするが自然をひたむきに観察すればするほど自然の構造の緻密で変化に富むことに目をひらかれ草や木の種類の豊富さの中にも大きい自然の摂理が働いていることが感得される・・・詩情はそうした自然科学の知識の上にも十分に花開く…」(「雑木林の博物誌」足立輝一)←受け売りです。分類の為の分類、知識のひけらかしは意味がないと思いますが…
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足立輝一さんは (fagus06)
2016-11-03 13:48:04
樹木に関する著作がいくつかありますね。『樹の文化誌』は私も持っています。
そう言われれば、私の場合、鳥は「見る楽しみ」、木は「知る楽しみ」のような気がします。
知る楽しみを追い求めていくと、ディテールへのこだわりが出てくるのかもしれません。
そういう意味で、足立さん、あるいはヒカルゲンジさんのおっしゃることは理解できます。
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