今年は『源氏物語』が完成して千年に当たるところから、宇治市や京都市、大津市など物語や紫式部に縁のある街では「源氏物語千年紀」と題した観光キャンペーンが繰り広げられています。
その紫式部は清少納言をライバル視していたらしく、日記に「清少納言は偉そうにしているけど、書いていることは間違いだらけ」と記しています。間違いだらけかどうか、清少納言は『枕草子』の中でいろんな樹木に言及していて、アスナロについてもおもしろいコメントを残しています。
アスナロはヒノキによく似た木で、「明日はヒノキになろう」からアスナロという名前になったと言われています。教科書で井上靖の『あすなろ物語』を読んだ方も多いのではないでしょうか。
(左がヒノキの樹皮、右がアスナロの樹皮)
清少納言はその由来について、「どういうつもりで明日はヒノキになるというような名前をつけたのだろう。無責任な約束で、ヒノキになることを誰が保証してくれるの?と聞きたくなるようなおもしろい名前だ」と書いています。こういう理屈っぽいところが紫式部のカンに触ったのかも知れません。
(上がヒノキの葉、下がアスナロの葉)
清少納言は私と同じくツリーウォッチャーであると同時にバードウォッチャーでもあったようで、鳥に関する記述も残しています。
「鳥は こと所(外国)の物なれど 鸚鵡(オウム)いと哀れなり 人の言うらん事を真似ぶらんよ」。この後、ホトトギス、クイナ、シギ、ミヤコドリ、ヒワ、ヒタキ、ヤマドリなどたくさんの鳥について記述しています。
また、ホトトギスの鳴き声を聴くために、牛車に乗ってわざわざ田舎に出かける様子も描いています。鳥を見るために車で遠出する今の私たちと同じです。
それにしても、平安時代すでに外国からオウムが輸入されていたことには驚きますね。
その紫式部は清少納言をライバル視していたらしく、日記に「清少納言は偉そうにしているけど、書いていることは間違いだらけ」と記しています。間違いだらけかどうか、清少納言は『枕草子』の中でいろんな樹木に言及していて、アスナロについてもおもしろいコメントを残しています。
アスナロはヒノキによく似た木で、「明日はヒノキになろう」からアスナロという名前になったと言われています。教科書で井上靖の『あすなろ物語』を読んだ方も多いのではないでしょうか。
清少納言はその由来について、「どういうつもりで明日はヒノキになるというような名前をつけたのだろう。無責任な約束で、ヒノキになることを誰が保証してくれるの?と聞きたくなるようなおもしろい名前だ」と書いています。こういう理屈っぽいところが紫式部のカンに触ったのかも知れません。
(上がヒノキの葉、下がアスナロの葉)
清少納言は私と同じくツリーウォッチャーであると同時にバードウォッチャーでもあったようで、鳥に関する記述も残しています。
「鳥は こと所(外国)の物なれど 鸚鵡(オウム)いと哀れなり 人の言うらん事を真似ぶらんよ」。この後、ホトトギス、クイナ、シギ、ミヤコドリ、ヒワ、ヒタキ、ヤマドリなどたくさんの鳥について記述しています。
また、ホトトギスの鳴き声を聴くために、牛車に乗ってわざわざ田舎に出かける様子も描いています。鳥を見るために車で遠出する今の私たちと同じです。
それにしても、平安時代すでに外国からオウムが輸入されていたことには驚きますね。
現代人は昔のことを「技術や文明が遅れていて、不便な生活をしていた時代」と思いがちです。だから、こういう事実とか、例えばカラクリ人形などを目にして驚くのでしょうね。
「古い時代を舐めたらアカン!」ということでしょうね(笑)。
北海道は針葉樹のイメージが強いですが、スギもヒノキも自生していなくて、マツやイチイの仲間なんですね。逆に勉強させてもらいました。
ペットショップの小鳥売り場によく行くようになりましたが、
オウムやインコは、日本にはいない鳥ですが、何か不思議な生物だなと
あらためて思うようになりました。
反応や動きがかなり人間っぽいですね。
そのオウムが平安時代にもういたというのは私も驚きました。
そして「ヒノキのようにあすなろ」の話も古いものなんだと。
ヒノキは円山公園にありますが、アスナロはこっちにはないかと思います。
「枕草子」の出だしがそうですが、自然の風景や植物、生きものが好きだったんでしょう。
紫式部はものすごいライバル意識を持っていたようですが、清少納言は紫式部に対するコメントは残していないそうです。