古(いにしえ)の 人の植えけむ 杉が枝に 霞たなびく 春は来ぬらし。これは柿本人麻呂が『万葉集』に残した歌です。言わずもがなですが、意味は「昔の人が植えた杉の枝に霞がかかって、春らしい景色だ」。
この歌は、万葉の時代すでにスギの植林が行われていたことを示しています。「今よりも緑が豊かな時代なのに植林?」と思われるでしょうが、よく考えると当然です。
巨大な寺院や神社、宮殿、そして民家、すべての建築物が木で造られた時代です。また、現代のような防火システムがありませんから、一度火事や地震に見舞われると広範囲に焼失したはずです。そのたびに再建したわけですから、木材の消費量は半端じゃありません。
しかも、現在のような物流システムがありませんから、木材は近隣の山から調達しなければなりません。天然のスギやヒノキだけでは不足するので、どうしても植林が必要だったのです。
(万葉時代すでにこんなスギの人工林があったはず)
下って平安時代にはこんな歌も歌われました。古(いにしえ)の 奈良の都の 宮柱 この結成(かたなし=書庫)に なほ残るかな。つまり、平城京で使われた柱が平安京の建築物に使われていたのです。木材のリサイクルは今に始まったことではないんですね。
また、伊勢神宮は20年に1度建て替えられますが、古い材は捨てるわけではありません。正殿と別宮には新しいヒノキを使い、その古材は鳥居に使ったり、全国の神社に払い下げて再利用されるそうです。
現在のような環境保護という視点よりも、材木調達の難しさから発案された植林やリサイクルだったのでしょうが、今や国際語となった「もったいない」もこんなところから生まれたのでしょうね。
この歌は、万葉の時代すでにスギの植林が行われていたことを示しています。「今よりも緑が豊かな時代なのに植林?」と思われるでしょうが、よく考えると当然です。
巨大な寺院や神社、宮殿、そして民家、すべての建築物が木で造られた時代です。また、現代のような防火システムがありませんから、一度火事や地震に見舞われると広範囲に焼失したはずです。そのたびに再建したわけですから、木材の消費量は半端じゃありません。
しかも、現在のような物流システムがありませんから、木材は近隣の山から調達しなければなりません。天然のスギやヒノキだけでは不足するので、どうしても植林が必要だったのです。
(万葉時代すでにこんなスギの人工林があったはず)
下って平安時代にはこんな歌も歌われました。古(いにしえ)の 奈良の都の 宮柱 この結成(かたなし=書庫)に なほ残るかな。つまり、平城京で使われた柱が平安京の建築物に使われていたのです。木材のリサイクルは今に始まったことではないんですね。
また、伊勢神宮は20年に1度建て替えられますが、古い材は捨てるわけではありません。正殿と別宮には新しいヒノキを使い、その古材は鳥居に使ったり、全国の神社に払い下げて再利用されるそうです。
現在のような環境保護という視点よりも、材木調達の難しさから発案された植林やリサイクルだったのでしょうが、今や国際語となった「もったいない」もこんなところから生まれたのでしょうね。
わざわざ追伸いただき、ありがとうございました。
確か高校の時に読んだ日本語に関する本には(何か忘れましたが)、
英語には「もったいない」「惜しい」「裏」という表現がない、
少なくとも日本語のそのニュアンスが出ている言葉がない、
と書かれていたことを覚えています。
野球の裏もbottomだし、コインの裏はtailですが、
どちらもやはり「裏」とは微妙に違いますよね。
bottomはスコアボードで下にある、という意味かもしれないですが・・・
でも、それらの言葉にはなんとなく
「わび・さび」につながるものがあると私は思いました。
割り箸の記事、楽しみにしております。
ひとまず輸入してまで使うのはよくないと私は思っています。
割り箸のこともいつか記事にしようと思っています。本を読むと、けっこう複雑みたいです。
私が学生の頃は、もったいないと言うのが恥ずかしい世の中でしたね。
今考えるとなんだったんだろうと思いますねあの時代(バブル)は。
余談ですが私が好きなスープカレーは基本的には箸を使わず、
テーブルに金属のスプーンとフォークとナイフが置いてあるので、
それはそれでほんのちょっとした環境への貢献なのかな、と思いました・・・
石の基礎の上に木の柱を立てる方法は、中国から仏教建築とともに伝来したようです。
運送コストよりも、新しいヒノキ材を入手する方が高くつくのかも知れないですね。