前回の続きで、園芸の町・宝塚の話。
宝塚市(特に山本地区)が日本三大園芸産地になった経緯は、鎌倉時代までさかのぼります。当時、この辺りを治めた武将が造園の術に長けていて、園芸家としてその地位を築いたのが始まり。
そして安土桃山時代、その子孫である坂上頼泰(さかうえよりやす)という人物が接木(つぎき)法を発明して、さらに園芸が栄えたようです。その頼泰に豊臣秀吉が与えた称号が「木接太夫(きつぎだゆう)」。
(木接太夫の偉業を称える石碑)
別の樹の幹や枝をつないで品種改良するこの接木法は今なら確実にノーベル賞ものだそうで、その偉業を称えて、阪急・山本駅の近くには「木接太夫彰徳碑」が建てられています。私たちがおいしい果物を食べたり、病気になりにくい花木を楽しんだりできるのも、木接太夫のおかげです。
(ある園芸屋さんのバックヤード。玉仕立てのウバメガシ)
また、千利休も生け花や茶庭の花木をこの木接太夫に依頼したそうで、近くに残る「京伏見街道」が伏見桃山文化との繋がりの深さを物語っています。京都の神社や寺院、茶庭に植えられた樹も、この山本で育てられたものが多いのではないでしょうか。
(圃場ではいろんな苗木が育てられています)
山本地区のオープンガーデンを見て歩きながら、「さすが三大園芸産地」と感心しました。あちこちに植木屋さんのバックヤードがあり、多彩な樹木が植えてあります。圃場もたくさんあってさまざまな苗木が育てられています。小学校の校庭の植栽さえ、マツ、ポプラ、ヤナギ、サクラと多彩。
(小学校の校庭の植栽も多彩)
町全体が植物園のようで、散歩するだけでいろんな樹木や花が観察できます。「周囲にこれだけ植木があったら、自分ちの庭に樹を植えなくてもいいんじゃないの?」とさえ思えます。
うらやましいな~、宝塚市に引っ越そうかな…(なんちゃって)。
宝塚市(特に山本地区)が日本三大園芸産地になった経緯は、鎌倉時代までさかのぼります。当時、この辺りを治めた武将が造園の術に長けていて、園芸家としてその地位を築いたのが始まり。
そして安土桃山時代、その子孫である坂上頼泰(さかうえよりやす)という人物が接木(つぎき)法を発明して、さらに園芸が栄えたようです。その頼泰に豊臣秀吉が与えた称号が「木接太夫(きつぎだゆう)」。
(木接太夫の偉業を称える石碑)
別の樹の幹や枝をつないで品種改良するこの接木法は今なら確実にノーベル賞ものだそうで、その偉業を称えて、阪急・山本駅の近くには「木接太夫彰徳碑」が建てられています。私たちがおいしい果物を食べたり、病気になりにくい花木を楽しんだりできるのも、木接太夫のおかげです。
(ある園芸屋さんのバックヤード。玉仕立てのウバメガシ)
また、千利休も生け花や茶庭の花木をこの木接太夫に依頼したそうで、近くに残る「京伏見街道」が伏見桃山文化との繋がりの深さを物語っています。京都の神社や寺院、茶庭に植えられた樹も、この山本で育てられたものが多いのではないでしょうか。
(圃場ではいろんな苗木が育てられています)
山本地区のオープンガーデンを見て歩きながら、「さすが三大園芸産地」と感心しました。あちこちに植木屋さんのバックヤードがあり、多彩な樹木が植えてあります。圃場もたくさんあってさまざまな苗木が育てられています。小学校の校庭の植栽さえ、マツ、ポプラ、ヤナギ、サクラと多彩。
(小学校の校庭の植栽も多彩)
町全体が植物園のようで、散歩するだけでいろんな樹木や花が観察できます。「周囲にこれだけ植木があったら、自分ちの庭に樹を植えなくてもいいんじゃないの?」とさえ思えます。
うらやましいな~、宝塚市に引っ越そうかな…(なんちゃって)。
3つも有名なものがあるんですね(あとひとつは競馬です・・・)
安行、というか埼玉のそのへんは園芸特に盆栽で有名なのは知ってました。
街を歩くと植物園みたいというのは楽しそうですね!
私は競馬はしないので詳しくないですが、宝塚の競馬場というのは阪神競馬場のことですね。
競馬好きがばれましたか、って、自分で書いてますが・・・(笑)。
そうです阪神競馬場で、「宝塚記念」という最もグレードが高いレースが
毎年6月に行われています。
このレースはファンの人気投票も加味されて出走馬が決まります。
木と馬に囲まれて…、いいですよ~(笑)。