心なき身にもあはれは知られけり 鴫立つ沢の秋の夕暮れ
高校時代は鳥に無関心でしたが、授業で習った西行のこの歌は今でも覚えています。「出家して俗世間の感情は捨てたけれど、秋の夕暮れ、シギが飛び立つ沢にいると感傷的になる」というような意味でしょうか。
後年、アオアシシギの哀愁ただよう鳴き声を聞いて、「あ~、西行を感傷的にさせたのはこの声だな」と納得しました。下の動画は8月末に収録したアオアシシギ。
この有名な歌以外にも西行はたくさん鳥を詠んでいます。ある研究者によると、西行の歌集『山家集』全2038首のうち鳥を詠んだものが206首、約1割あるとのこと。次のような歌もあります。
古畑のそばの立木にいる鳩の 友よぶ声のすごき夕暮れ
古畑は今で言う「耕作放棄地」。その横の崖に立つ木にハトが止まっていて、仲間を呼ぶ声が寂しく聞こえる、という意味です。「すごき(凄き)」は「ぞっとするほど寂しい」というニュアンスだそうです。
この「鳩」をキジバトと解釈する人とアオバトと解釈する人がいて、後者は「アオーアオー」という異様な声のアオバトだからこそ「ぞっとするほどの寂しさ」が伝わると主張しています。私もこの荒涼とした風景にキジバトの声は合わないと思います。
ぞっとするような声は入っていませんが、京都御苑で撮ったアオバトです。
西行はホトトギスやウグイスなど和歌や俳句に常連として登場する鳥だけでなく、ウソやマヒワなどちょっとマニアックな鳥も詠んでいます。アカショウビンを詠んだ次の歌もあります。
山里は谷の筧(かけひ)の絶え絶えに 水恋鳥の声聞こゆなり
「水恋鳥」はアカショウビンの別名です。
日本野鳥の会の創設者・中西悟堂は、『山家集』には37種の鳥が詠まれていると書いています。別の資料によると、『万葉集』には43種、『古事記』は24種、『日本書紀』には33種の鳥が登場するそうですが、単独で37種も詠み込んだ西行はよほど鳥好きだったのでしょう。
バードウォッチングの大先輩なのです。
高校時代は鳥に無関心でしたが、授業で習った西行のこの歌は今でも覚えています。「出家して俗世間の感情は捨てたけれど、秋の夕暮れ、シギが飛び立つ沢にいると感傷的になる」というような意味でしょうか。
後年、アオアシシギの哀愁ただよう鳴き声を聞いて、「あ~、西行を感傷的にさせたのはこの声だな」と納得しました。下の動画は8月末に収録したアオアシシギ。
この有名な歌以外にも西行はたくさん鳥を詠んでいます。ある研究者によると、西行の歌集『山家集』全2038首のうち鳥を詠んだものが206首、約1割あるとのこと。次のような歌もあります。
古畑のそばの立木にいる鳩の 友よぶ声のすごき夕暮れ
古畑は今で言う「耕作放棄地」。その横の崖に立つ木にハトが止まっていて、仲間を呼ぶ声が寂しく聞こえる、という意味です。「すごき(凄き)」は「ぞっとするほど寂しい」というニュアンスだそうです。
この「鳩」をキジバトと解釈する人とアオバトと解釈する人がいて、後者は「アオーアオー」という異様な声のアオバトだからこそ「ぞっとするほどの寂しさ」が伝わると主張しています。私もこの荒涼とした風景にキジバトの声は合わないと思います。
ぞっとするような声は入っていませんが、京都御苑で撮ったアオバトです。
西行はホトトギスやウグイスなど和歌や俳句に常連として登場する鳥だけでなく、ウソやマヒワなどちょっとマニアックな鳥も詠んでいます。アカショウビンを詠んだ次の歌もあります。
山里は谷の筧(かけひ)の絶え絶えに 水恋鳥の声聞こゆなり
「水恋鳥」はアカショウビンの別名です。
日本野鳥の会の創設者・中西悟堂は、『山家集』には37種の鳥が詠まれていると書いています。別の資料によると、『万葉集』には43種、『古事記』は24種、『日本書紀』には33種の鳥が登場するそうですが、単独で37種も詠み込んだ西行はよほど鳥好きだったのでしょう。
バードウォッチングの大先輩なのです。
鳩の方は、季節がいつなのだろうとしばし悩みました。
俳句の癖で季語を探したのですが、そうか短歌(和歌)はそこは自由に解釈していいのかなと思いました。
私はそれを読んで、秋を想像しました。
そこで頭に浮かんだのはキジバトでした。
アオバトはこちらでは9月にはいなくなるので、私にとっては夏の鳥以外ではないので。
キジバトもこちらでは夏鳥ですが、10月いっぱいはいて秋になると見る機会が増えます。
いずれにせよ、西行の和歌はそのうちよんでみたいです。
季語は地域によってずれが出てきます。特に北海道の場合、鳥の季語は冬鳥と夏鳥が逆転することもあるということですね。