鳥取市の山陰道跡から平安時代の街路樹が発見されました。10世紀後半の盛り土100mの区間に18本の木の根と大量の杭が見つかり、50cmから2mの間隔で並んでいるので街路樹と判断されたようです。
メディアは「柳の木の根」としか報道していませんが、シダレヤナギだと思います。中国原産の木ですが、平安京の朱雀大路にもその街路樹があったことが当時の記録に残っています。
『古今和歌集』には「見渡せば 柳桜をこきまぜて 都ぞ春の錦なりける」という歌がありますし、『続日本後記』には「朱雀大路の柳が激しい雷雨で揺れた」と書いてあるそうです。
京都・白川沿いの柳の街路樹
さらに、奈良の平城京跡からはシダレヤナギの種が出土しています。平城京も平安京も中国の長安をモデルに建都されたわけですから、街路樹も中国産のシダレヤナギにしたのでしょう。あの独特の樹形は日本の樹木にありませんし、当時は何でも中国風が尊ばれたので、わざわざ移入して植えたのだと思います。
今回の発見で、都大路だけでなく街道にも柳の街路樹があったことが証明されたわけですが、私が注目したもう一つのポイントは、大量に発見された杭の樹種がクリだったこと。
クリは腐りにくいので、昔から家の土台や鉄道の枕木に使われてきました。今回の杭も、その特徴を生かして街路樹を支えるために使われたのではないかと勝手に推測しています。
街路樹としてのシダレヤナギは、以前は「銀座の柳」と歌われるほど人気が高かったものの、現在は右肩下がり。京都でもほとんど見かけません。風に揺れて枝が広がるのを、昔の人は「風情がある」と思ったのでしょうが、現代人にとってはただうっとおしいだけかもしれませんね(笑)。
メディアは「柳の木の根」としか報道していませんが、シダレヤナギだと思います。中国原産の木ですが、平安京の朱雀大路にもその街路樹があったことが当時の記録に残っています。
『古今和歌集』には「見渡せば 柳桜をこきまぜて 都ぞ春の錦なりける」という歌がありますし、『続日本後記』には「朱雀大路の柳が激しい雷雨で揺れた」と書いてあるそうです。
京都・白川沿いの柳の街路樹
さらに、奈良の平城京跡からはシダレヤナギの種が出土しています。平城京も平安京も中国の長安をモデルに建都されたわけですから、街路樹も中国産のシダレヤナギにしたのでしょう。あの独特の樹形は日本の樹木にありませんし、当時は何でも中国風が尊ばれたので、わざわざ移入して植えたのだと思います。
今回の発見で、都大路だけでなく街道にも柳の街路樹があったことが証明されたわけですが、私が注目したもう一つのポイントは、大量に発見された杭の樹種がクリだったこと。
クリは腐りにくいので、昔から家の土台や鉄道の枕木に使われてきました。今回の杭も、その特徴を生かして街路樹を支えるために使われたのではないかと勝手に推測しています。
街路樹としてのシダレヤナギは、以前は「銀座の柳」と歌われるほど人気が高かったものの、現在は右肩下がり。京都でもほとんど見かけません。風に揺れて枝が広がるのを、昔の人は「風情がある」と思ったのでしょうが、現代人にとってはただうっとおしいだけかもしれませんね(笑)。
京阪出町柳駅の近くにはその名の元になったと言われるシダレヤナギの古木があります。中は朽ちていても元気です。
だいぶ前に出町柳から川端通沿いに荒神橋まで土手の柳の数を数えたことがありますが、50本あって驚いたことでした。
今は枯れたのもあって少しは減っているでしょうね。
出町柳から荒神橋まで50本もありますか、そんな印象は残っていないです。その数を数えるのはさすがちどりさんですね。
今はシダレヤナギは人気がなくなって、以前は街路樹の樹種ベスト10に入っていましたが、現在は圏外です。
曜日感覚がずれていてこの記事書き込み忘れていましたすいません・・・
シダレヤナギはそんなに古いんですね。
イチョウと並んでもはや「日本らしい外国出身の木」ですね。
シダレヤナギこちらはすすきの辺りに街路樹がありますが、その辺りは古い街並みで日本らしいと思います。
が、北海道としてみるとシダレヤナギはあまり似合っていないようにも感じます。
時々あるんですよ、地方にいってひょっこり1本とか、妙だなあ、と(笑)。
黒澤明監督の遺作『まあだだよ』には、自分の庭にシダレヤナギを植えることにこだわった内田百閒が登場します。当時はシダレヤナギが庭木でも人気No.1だったのでしょうね。現在のアメリカハナミズキとかシマトネリコみたいな存在だったのでしょう。
そういえば、イチョウとともに中国原産の木ですね。