以前、宇治で発掘された平安時代の木組みの井戸をご紹介しましたが、宇治市の隣の久御山町ではもっと古い弥生中期の井戸が発掘されています。約2000年前のもので、日本最古級。
(久御山町庁舎に展示されている木組み井戸)
宇治の井戸はヒノキ製。久御山の井戸は樹種が明示してありませんが、おそらくヒノキかコウヤマキでしょう。どちらも水に強い樹種です。
(宇治で発掘された平安時代の井戸)
ちなみに、下の写真は奈良文化財研究所の資料館に展示してあるコウヤマキの樋。今で言えば水道管でしょうか。当時は身近な材料としては木や土しかありませんから、当然ながらライフラインも木だったわけです。
(平城宮の水道管。黒く見えるところは空洞)
ところが意外なことに、近代以降もライフラインに木が使われていました。日本初の横浜の近代水道ではイギリスから輸入した鉄管を使いましたが、その後の各地の水道工事では鉄管と木管が併用されたようで、木管専門の国内メーカーもあり、丸太をくり抜いたタイプと桶のように板を組み合わせたタイプの2種類の水道管を昭和初期まで作っていたそうです。
昭和44年に東京の水道工事で当時の水道管が発掘されましたが、材質はヒノキで内径は15cmだったとか。アメリカでも木の水道管を使っていたらしく、1500マイル(2400km)も敷設したという記録が残っています。
(久御山町庁舎に展示されている木組み井戸)
宇治の井戸はヒノキ製。久御山の井戸は樹種が明示してありませんが、おそらくヒノキかコウヤマキでしょう。どちらも水に強い樹種です。
(宇治で発掘された平安時代の井戸)
ちなみに、下の写真は奈良文化財研究所の資料館に展示してあるコウヤマキの樋。今で言えば水道管でしょうか。当時は身近な材料としては木や土しかありませんから、当然ながらライフラインも木だったわけです。
(平城宮の水道管。黒く見えるところは空洞)
ところが意外なことに、近代以降もライフラインに木が使われていました。日本初の横浜の近代水道ではイギリスから輸入した鉄管を使いましたが、その後の各地の水道工事では鉄管と木管が併用されたようで、木管専門の国内メーカーもあり、丸太をくり抜いたタイプと桶のように板を組み合わせたタイプの2種類の水道管を昭和初期まで作っていたそうです。
昭和44年に東京の水道工事で当時の水道管が発掘されましたが、材質はヒノキで内径は15cmだったとか。アメリカでも木の水道管を使っていたらしく、1500マイル(2400km)も敷設したという記録が残っています。
その丸太をくり抜いた水道管は見てみたいですね。
もちろん現存はしていないのでしょうけど、例えば何かの催し物で、
その技術を再現したものでも、見てみたいです。
この件を調べている時、昔は銅管も使われたそうですが、その後、銅のさびは有毒なので取り替えられたものの、まだ残っている地域もある、という恐い情報にも出合いました。
確かに、丸太はどうやってくり抜くんでしょうね?
作品をじっくり拝見しました。ブログで製作過程を見ておりましたので、「あれがこうなったのか!」と感心しておりました。
栃の銘々皿は杢がきれいに出ていましたね。
次回、お会いできる機会を待っております。