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樹樹日記

じゅじゅにっき。樹木と野鳥に関する面白い話をご紹介します。

株主のみなさまへ

2007年05月30日 | 伝説の樹
前回ご紹介した伏見稲荷には「根上がり松」という名物の木があります。写真のように、松の根が2本せり上がって大きく突き出ているのです。昔の人はこの根を人間の脚に見立て、その下をくぐると膝の痛みが直るという信仰を生み出しました。

      

ところが、現在は別のご利益があることで有名になっています。「根上がり」を「値上がり」と読みかえて、株を取引する相場師や証券業界の人々が参拝しているのです。私が訪れた時も、証券会社の名前を書いたミニ鳥居が奉納してありました。
まさに「語呂合わせは日本の文化」なのですが、私は単なる語呂合わせでないことを発見しました。
もともと「株」は「木の切り株」とか「苗の株分け」と言うように、植物の根元あたりを意味します。たくさんの根を張って1本の樹を支えるところから、共同の利益を守る同業組合を「株仲間」と呼ぶようになり、そこから「株式会社」や「株券」という言葉が生まれたのです。
つまり、「根上がり松」は「株上がり松」とも言えるのです。語呂合わせで「値上がり松」にしなくても、もともと株が上がっているわけです。稲荷神社の広報部に教えてあげようかな?
私は持っていませんが、株を持っている方はぜひ伏見稲荷にお参りください。ただし、「根上がり松」は現在は枯れていて、コンクリートで固めてあります。それでも、全国から投資家や株主が訪れるらしく、鳥居や小さな祠がたくさん建っていました。
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滝の千年ツバキ

2007年04月20日 | 伝説の樹
「お国自慢の巨木の樹齢はほとんどウソ」と書いたばかりなのに、その舌の根も乾かないうちに何ですが、私の故郷の名木「滝の千年ツバキ」です。

      
          (ミソサザイが鳴くような山奥にあります)

滝という地域にあるのでこの名で呼ばれ、巨木やツバキの本にはよく登場する有名な樹です(プチ自慢)。日曜日に帰省した折に(というか開花時期に合わせて帰省したので)、久しぶりに訪れて撮影してきました。ところが、今年はどういうわけか花が少なく、本やネットで紹介されている美しい姿が見られませんでした。
昔から地元では「ムラサキツバキ」と呼んでいたようですが、昭和63年にツバキ研究家に調査してもらったところ、「推定樹齢1200年、日本最古のクロツバキ」ということになりました。本州に自生するツバキはヤブツバキかユキツバキなので、クロツバキはヤブツバキの変種でしょう。

      
        (ツバキの花弁をモチーフにした「椿文化資料館」)

平成6年には、近くに「椿文化資料館」という小さなミュージアムが建てられ、町おこしに一役買っています。その中の説明パネルによると、ツバキは1700年頃にヨーロッパに伝わり「東洋のバラ」と紹介されたそうです。展示物に混じって、母校の後輩の美術部員が描いた油絵も飾ってありました。
この「千年ツバキ」は私の故郷「与謝野(よさの)町」のシンボルツリーでもあるのですが、合併前の隣町にある樹なので、私自身はいまいち親近感がないです。でも、専門家が「樹齢1200年」と言っているのに、控えめに「千年ツバキ」と言うところが可愛いでしょ? 「千二百年ツバキ」と言いにくいだけか

      
      (当日は「椿祭」が開催され、大勢の人々で賑わっていました)
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火を消す樹

2006年11月28日 | 伝説の樹
職員の逮捕など不祥事が相次いだ京都市役所の近くに本能寺があります。織田信長が最期を遂げた場所として知られています。
この本能寺は何度も火災に遭っていて、明智光秀による焼き討ち(1582年)の後、現在の地に再興されたものの、天明の大火(1788年)で再び焼失。さらに、幕末の蛤御門の変(1864年)でまたまた焼失。
何度も火災に遭遇するので火に敏感なのか、本能寺の「能」の字の右の「ヒヒ」を別の字にしたそうです(パソコンの漢字にはないので表記不可)。このことはscopsさんのブログで知りました。
そんな本能寺の境内に、これも火災がらみの「火伏せのイチョウ」があります。

         
  (信長の墓の横に立つ「火伏せのイチョウ」。今頃は黄葉しているでしょう。)

案内板によると、本能寺の変の後この場所に移植されたもので、天明の大火で京都が猛火に襲われたとき、このイチョウから水が噴き出て木の下に身を寄せていた人々を救ったそうです。
イチョウには各地にこうした話が伝わっていて、京都にはもう一つ有名な「西本願寺の水噴きイチョウ」があります。こちらは、安政5年(1858年)の大火で西本願寺に火が迫ったとき、門前のこのイチョウが水を噴いて類焼を食い止めたそうです。
西本願寺は現在大修理の真っ最中で、このイチョウは工事用のテントに覆われていて見ることはできませんが、テントに映った陰を見るだけでも驚くほどの巨樹です。
このほか、滋賀県木の本町の石道寺にも「火伏せのイチョウ」がありますし、おそらく日本全国に防火に貢献したイチョウが残っているはずです。
イチョウが本当に水を噴くのか疑問ですが、ある専門家は、火が近づいて周囲が熱くなったとき、イチョウが樹体内の水分を一気に蒸発させる姿が水を噴いたように見えるのではないかと言っています。
イチョウのほか、以前ご紹介したサンゴジュにも防火の効果があるようですし、ある樹木学者はアオギリが火を防ぐシーンを目の当たりにしたと書いていました。
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庭木の王の王

2006年11月20日 | 伝説の樹
京都市伏見区にある海宝寺というお寺にモッコクの巨木があると知って、カメラ片手に出かけてきました。

      

そのお寺はいつも私が渋滞を避ける抜け道にあって、秀吉が伏見城にいた頃は伊達政宗の屋敷だったそうです。境内にその経緯を説明した看板があるのですが、面白いことにその看板は仙台市の名前で立ててあります。伊達政宗の地元の仙台市がわざわざ京都のお寺で説明しているのです。こういうのは初めて見ました。
この辺りの地名は「桃山町正宗」、私が利用していた抜け道は「伊達街道」。独眼流政宗の影が色濃く残っています。

      
       (葉の軸が赤いのがモッコクの特徴)

モッコクという名はあまりご存知ないかもしれませんが、「庭木の王」と呼ばれていて、園芸の世界では優等生です。個性がないので私は好きになれませんが、葉に光沢があって美しい、手がかからない、大きくならないので剪定も不要など、庭木にするにはいいことずくめです。
大きくならない樹なのに、こんなに大きな海宝寺のモッコクは相当な樹齢のはずです。伊達政宗が自ら植えたといいますから、その時点からでも約400年になります。
モッコクが「庭木の王」なら、この海宝寺の樹は「モッコクの王」。幹に巻かれた布が痛々しいですが、もうしばらくは王座に君臨できそうです。
モッコクはツバキ科。沖縄では重要な建築材で、首里城にも使われているそうです。
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駅のホームに巨木

2006年09月11日 | 伝説の樹
私が仕事で京都と大阪を往復し始めて、かれこれ25年になります。その間、ずーっと京阪電車を利用してきました。
その京阪電車の大阪寄りに「萱島(かやしま)」という駅があり、そのホームに大きな枝がニョキニョキと出ています。以前から気になっていたので、先日、途中下車して取材してきました。この駅で降りるのは初めてです。

      

ホームの案内板によると、樹齢700年のクスノキで、昭和47年の高架複々線工事の際、この巨木に寄せる地元の人々の思いに応えて残したそうです。「ご覧の通り、樹木がホームと屋根を突き抜けるという全国に例をみない姿となりました」とも書いてあります。こんな巨木を傷つけずに駅の工事をするには、費用も時間も余分にかかったでしょう。

      
      (樹の部分だけホームの屋根がありません)

高架の駅のホームの下には、萱島神社という小さな神社があり、その横にクスノキの巨木が根を張っています。「大楠大明神」と書かれた旗や提灯も飾ってあります。
地元では宗教的な意味のある巨木なのでしょう。「大阪みどりの百選」にも選ばれています。

          
      (この樹の上が駅の高架式ホームになっています。)

大阪に通うようになって25年ですが、それ以前から京阪沿線で暮らしていますので30年くらいお世話になっています。関西の私鉄と言えば阪急や近鉄、南海が有名で、京阪は野球チームを持たなかったせいか、どちらかというと地味なイメージです。
でも、私は緑色が好きなので、京阪の緑の2トーンカラーの車両が気に入っていました。この萱島のクスノキのことを知って、さらに京阪電車に好感を持ちました。
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遣隋使が植えた柳

2006年09月04日 | 伝説の樹
京都市のど真ん中に六角堂というお寺があります。正式名は頂法寺ですが、本堂が六角形なのでこの名があり、寺の前の通りを「六角通り」と呼んでいます。
ここに、遣隋使の小野妹子が植えた柳があるというので行ってきました。近くはよく通るのですが、境内に入ったのは初めてです。ここは生け花の池坊流の発祥の地でもあり、横には池坊会館が建っています。

      

607年に小野妹子が中国から持ち帰って植えたという話が残っていますが、何度か枯れたり、倒れたりしたしながら、挿し木や接ぎ木で植え継がれてきたのでしょう。大きい柳ですが、現在の樹齢は150年くらいと思われます。

          

案内板には、聖徳太子や桓武天皇にゆかりのあることや池坊発祥のことは説明されていますが、この柳の言い伝えは表示されておらず、「縁結びの柳」という看板が立ててあるのみ。「遣隋使が植えた柳」と言うよりも、恋愛成就の樹としてアピールした方が観光客や女性にアピールするということでしょうか。柳の枝にはたくさんのおみくじが結ばれていました。
江戸時代の記録には、「六角堂の柳は垣の外まで垂れている。この柳は中国の種だと言い伝えており、俗にシダレヤナギという樹の中でも特に枝の長い樹である」と書いてあるそうです。
シダレヤナギは中国から渡来した樹ですが、ひょっとするとこの六角堂の柳が日本初上陸だったのかも知れません。
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蛸は大阪名物

2006年08月30日 | 伝説の樹
仕事先の方に「蛸の松」という由緒のある樹があると聞いて、炎天下、大阪の中之島を歩いて見てきました。

         

堂島川に架かる田蓑橋を渡った左手に、立派な石碑と共に1本のクロマツが植えてあります。案内板によると、江戸時代、中之島には諸藩の蔵屋敷が建ち並び、その前には各藩自慢の松が植えられて、人々は屋敷の白壁と松の緑を楽しんでいたそうです。中でも、久留米藩と広島藩の境の浜にあった松は枝振りが立派で、蛸が泳ぐ姿に似ていることから「蛸の松」と呼ばれていました。

      

ところが、次第に樹勢が衰え、明治になってついに枯れたため伐採されました。その切り株は現在も大阪教育大学に保存されているそうです。
そして、約120年後の一昨年、篤志家たちによって「蛸の松」が再現されました。今では林立するタワービルに囲まれていますが、江戸時代は白壁と瓦屋根の蔵屋敷を背景にした風情のある景色だったでしょう。
そんな当時の様子を描いた絵を、神宗(かんそう)という老舗の昆布屋さんが所蔵していて、商品のパッケージに使っています。現在では、こうした絵から当時の様子を想像するしかありません。

         

京都は歴史の古い街なのでいろんな伝説のある樹が多いですが、商売の街、物流の街、大阪にもいろんな由緒のある樹があるようです。最初、「蛸の松」という名前を聞いたとき、「大阪名物、たこ焼きに因んだ松かな」と勝手に想像しましたが、全然違いました。
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浦島太郎の皺

2006年08月22日 | 伝説の樹
先週、お盆休みで故郷の丹後(京都府北部)に帰ってきました。7、8年前から、実家に世話をかけないためと、こちらもリゾート気分を味わうため、近くにある宿泊施設を利用しています。
その一つ「宇川温泉・よし野の里」の近くに、「皺榎(しわえのき)」という伝説の樹があるので見てきました。

         

網野町(現在は合併して「京丹後市」)という漁村に、銚子山古墳という小高い山があります。登ると、墓地や果樹畑の間に写真のようなエノキの古木が立っていました。
一見、マダガスカル島にあるバオバブの樹のような面白い樹形です。柵の中の石碑には、次のように書いてあります。
「ここは浦島太郎の終焉の地で、太郎の館の跡という説がある。玉手箱を開けてたちまち老翁になった太郎が、驚愕のあまり、その顔の皺をはぎ取ってこの樹に投げつけた。それ以来、この榎は醜い皺だらけの樹皮になった、という民話が伝承されている」。

      
      (確かにシワだらけの樹皮です)

丹後地方には古墳がたくさん残っていて、考古学を専攻していた知人が愛知県からわざわざ訪ねてきたこともあります。私も幼い頃、田んぼや畑でよく土器の破片を見つけました。
また、海岸の漁村には浦島太郎伝説があちこちに残っています。この皺榎から少し離れた町には浦島神社があり、亀の甲羅が飾ってあります。

もちろん、人間の顔のシワが樹皮になる訳がなく、エノキの老木にはよくこんなシワが出ます。また、どう見ても樹齢が浦島太郎の時代と合いません。この樹のシワを見た誰かが創作したのでしょうが、それにしても人間の想像力って面白いですね。
なお、「宇川温泉・吉野の里」は木づくりの温泉施設で、こじんまりした木造の宿泊施設やリーズナブルな値段のレストランがあってオススメです。私たちは4、5年連続して利用しています。
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