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樹樹日記

じゅじゅにっき。樹木と野鳥に関する面白い話をご紹介します。

足の神様

2008年05月16日 | 伝説の樹
以前、駅のホームに生えている樹をご紹介しました。私がいつも利用している京阪電車の「萱島(かやしま)」駅です。
同じような樹が阪急・宝塚線の「服部」駅にもあるというので、宝塚市のOPEN GARDEN FESTAの帰りに寄ってきました。萱島駅のは高架式のホームも屋根も突き抜けた巨木でしたが、こちらは平地のホームに生えて屋根を突き抜けている普通サイズ。樹種はどちらもクスノキです。

             

もともとこの駅や線路の敷地が服部天神宮の境内だったので、ご神木としてこのような形で残されたそうです。神棚が設けられ、しめ縄も飾ってあります。毎年、夏の天神祭りの際には、このホームで安全祈願の神事が行われるとか。

       
              (改札を出て踏切から見たクスノキ)

その服部天神宮は足の神様と聞き、せっかくなのでお参りしてきました。この冬2回も膝を痛めて不安があったので、ちょうどいい機会でした。
菅原道真が大宰府に流される途中、このあたりで持病の脚気が出て歩けなくなったところ、村人の助言に従ってこの社に祈願したら治ったという由来から、「足の神様」として崇められるようになったそうです。

       
                  (絵馬の図柄はワラジ)

足の悪い人だけでなく、足を使うスポーツの選手もお参りに来るらしく、マラソンの土佐礼子選手、サッカーの大黒将志選手などが祈願の絵馬を奉納していました。土佐選手は昨年9月の大阪世界陸上で銅メダルを取った後、お礼参りにも来ています。大学や高校の陸上部やサッカー部の絵馬もありました。
足の神様に祈願したお蔭か、今のところ膝の痛みは出てません。
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600年の眠りから覚めた椿

2008年04月04日 | 伝説の樹
11年前、宇治の平等院で庭園を発掘調査した際、室町時代の地層からツバキの種が発見されました。パックに封入して保存していたところ発芽したため、宇治市植物公園が管理し、実生株とサザンカへの接木株に分けて栽培。6年後の4月に接木株に初めて花が咲きました。
2004年から「室町椿」の名前で一般公開され、植物公園の春の名物になっています。今年は寒かったせいか開花が遅れていましたが、先日ようやく対面できました。

       
        (例年は2月に一番花が開花するのに、今年は3月26日)

種は池の底から土器などといっしょに出土したもので、土と水で空気から遮断されたために腐らなかったようです。
育成を指導したツバキの専門家は、「色や形が室町時代に中国から伝わった品種に似ている。日本のヤブツバキとの雑種ではないか」と話しています。

            

昨年は79個の花が咲きましたが、今年はなぜか少なく6個。それでも、椿展の会場の正面に飾られて貫禄を示していました。現在の樹高は172cm。
600年の眠りから覚めて、今でも鮮やかな花を咲かせるツバキ…。その赤い花を眺めながら、樹木の生命力というか、自然の神秘を実感しました。植物って、不思議ですね~。

       
        (椿展の会場にはいろんな品種が展示してありました)
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美し松

2008年03月17日 | 伝説の樹
滋賀県の甲西町平松という所にウツクシマツの自生地があり、国の天然記念物に指定されています。
植物学上はアカマツの1種ですが、普通のマツは幹が1本なのに対して、ウツクシマツは根元で何本にも株別れするのが特徴です。標高227mのその名も「美松山」の南東斜面に大小200本が群生しており、一帯は公園として整備されています。

            

東海道の道筋に近いために昔から松の名所として知られ、「東海道名所図絵」にも紹介されているそうです。
平安時代、この地で病気療養していた藤原頼平の前に、京都の松尾明神が遣わしたという妖精が現れ、それがウツクシマツに変身したという伝説が残っています。平松という地名は頼平の平と松尾の松に由来すると伝えられ、近くには頼平が創建したという松尾神社があります。
普通のアカマツに比べて葉先がやや平らになっているのも特徴で、平松の名はここに由来するのかも知れません。

       

斜面を登って行くと、何本もの幹が炎のように立ち上がるアカマツに囲まれ、確かに普通の松林と違う異様な風景でした。私は園芸品種には興味がないですが、同じように幹がいくつにも分かれる多行松(タギョウショウ)という庭用のマツがあるそうです。
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栴檀木橋

2008年02月29日 | 伝説の樹
大阪の中心部に三休橋筋という通りがあります。ここの街路樹は現在はトウカエデですが、電線地中化と歩道拡幅を機会にセンダンに切り替えられるそうです。
理由は、通りの北端に栴檀木橋(せんだんのきばし)という橋があるから。この橋は江戸時代初期、中之島の蔵屋敷に渡るために架けられたもので、橋のたもとにセンダンの大木があったためにこの名前になったそうです。現在、橋の南詰にセンダンが立っていますが、大きさから推測すると近代以後に植えられたものでしょう。
この界隈にオフィスを置く都市計画や建築関係の人たちが集まり、こうした由来を生かして街路樹のリニューアル計画を立てたそうです。

            
            (栴檀木橋の南詰に立つセンダン)

「栴檀は双葉より芳し」の木と誤解されますが、諺のセンダンは香木の白檀(びゃくだん)のことで日本には自生しません。日本産のセンダンはけっこう身近にあって、今の時期は枝先に薄い黄色の実をたくさんつけているので、みなさんもどこかでご覧になっているはずです。
センダンの実は苦く、その成分を活かして駆虫剤に使われるとか。叶内拓哉さんの『野鳥と木の実ハンドブック』にも「不快感を覚えるほど苦い」と書いてありますし、以前、知人が試しに口に入れてすぐに吐き出したのも知っていましたが、どれくらい強烈なのだろうと恐る恐る口に入れてみました。

       
      (木の下に落ちていた実を橋の欄干に集めました。この後、試食)

ところが、意外にも苦味はなく、逆にほのかに甘くて梨のようでした。時期によって味が変るのでしょうか。私が試食したのは落果、知り合いが食べたのは木成りの実だったからかも知れません。
初夏に薄紫の花をつけるので、街路樹としては喜ばれるでしょう。実際、東京の高級住宅地・田園調布にはセンダンの並木道があるそうです。でも、私の知る限り、枝が四方に伸びて樹形が乱れるので、植えた後の管理が大変だろうな~。

       
        (栴檀木橋を渡るとレンガ造りの中之島中央公会堂へ)
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道路を曲げた樹

2008年01月14日 | 伝説の樹
京都では昨日「全国女子駅伝」が行われ、47チームの選手が碁盤の目のような通りを走り抜けました。
京都市の中心部は道がほぼ正確に東西南北に走っていますが、何ヶ所かは曲がったり膨らんだりしています。その一つに伝説の樹がからんでいる場所があります。
西大路通りと八条通りが交差するあたりに「若一(にゃくいち)神社」があります。この周辺は平安時代に平清盛が「西八条第」という大邸宅を造営したところで、その鎮守社として1165年に建てられたそうです。その傍らに、清盛が自ら植えたというクスノキが今も残っています。

       
             (少し西側に膨らんだ西大路通り)

昔は京都にも路面電車が走っていて、この西大路通りも電車道でした。昭和9年、軌道を敷設するためにこのクスノキを移植しようとしたところ、工事関係者が次々と事故や不幸に遭ったため、結局断念して電車を迂回させることにしたそうです。
西八条第は平家が都を落ちる際に焼かれましたが、このクスノキは燃えなかったそうで、それが事実なら樹齢は800年~900年ということになります。

            
            (清盛が手植えしたと伝わるクスノキ)

西大路八条よりもさらに大きく曲がっているのは、東本願寺の前の烏丸通り。ここにはイチョウがたくさん植えてあって、晩秋には美しい黄金色に染まりますが、樹木が理由ではなく、お参りする人々の安全のためにお寺が用地を買収して公園にしたので市電が迂回したとか。その代わり、別の用地と莫大な寄付金を京都市に提供したそうです。

       
      (東本願寺前の烏丸通りは公園のために東側に大きくカーブ)

駅伝は地元・京都が大会新記録で4連覇しました。何故か京都は駅伝が強いのですが、9人のランナーのうち2人の中学生を除いてほとんどが立命館宇治高校の在学生かOG。年末の全国高校駅伝で優勝した強豪校です。うちの近くにあって、よく陸上部の選手が近辺を走っています。
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逆杉(さかさすぎ)

2007年08月22日 | 伝説の樹
前回、前々回に続いて故郷シリーズその③です。
前回の天橋立の写真は、成相寺(なりあいじ)というお寺から撮りました。西国二十八番札所のお寺で、境内には左甚五郎作の龍の彫刻や悲話を伝える「撞かずの鐘」などがあります。

      

お寺と成相山の頂上の中間に「逆杉(さかさすぎ)」という巨木があります。樹高は25m、幹周りは7.1m。地上1.5mの部分から3本に枝分かれして、それぞれがそのまま主幹として伸びています。
お寺の言い伝えによると、もともとこの位置にあった成相寺は1400年に山崩れに遭遇。堂宇を廃頽する時、それ以上崩れるのを防ぐためにスギの杭を打ったところ、その杭から新芽が出て、逆さに枝を出した樹がこのように大きくなったそうです。山崩れから22年後、成相寺は現在の地に再建されました。

            

この成相寺も小さい頃は遠足や親に連れられてよく行きました。でも、この逆杉のことは、約50年ぶりで訪れた今回初めて知りました。故郷なのに、けっこう知らないことがありますね。
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天に昇る橋

2007年08月20日 | 伝説の樹
8月3日に新しい国定公園が誕生しました。丹後天橋立大江山国定公園、私の故郷です。56番目の国定公園で、新規指定は17年ぶりだそうです。
下の写真は日本三景の一つ、天橋立(あまのはしだて)。これまでは福井県の沿岸部とひとまとめにして「若狭国定公園」でしたが、周辺のブナ林や鬼伝説のある大江山を新たに加えて独立の国定公園になりました。

      
          (丹後半島側の展望台から撮影した天橋立)

小学生の頃は遠足や海水浴、写生大会などでしょっちゅう天橋立に行きました。地理学的には砂州(さす)という現象で、大江山を水源とする川が砂を運び、宮津湾の海流がそれを堆積させてこんなに細長い砂地が生まれました。写真の手前が内海、向こう側が外海です。
3.6kmの砂州には約5,000本のクロマツが林立していて、いわゆる「白砂青松」の風景を形作っています。イザナギノミコトが天に通うためにハシゴを造ったが、寝ている間に倒れて天橋立になった、という言い伝えが残っています。
松は神様が天から降りてくる樹とされているので、そんな伝説が生まれたのでしょう。能舞台の背景に松が描かれているのもそのためで、能は神様を喜ばせるための芸能なんだそうです。

           
        (砂州の松林は自転車と歩行者のみが通行可能)

他の松原も同様でしょうが、天橋立のマツも松枯れ病や台風に何度も遭遇しています。10年ほど前は砂が波に侵食されるので、埋め戻し工事をやっていました。また、マツ以外の樹木が侵入するのを防ぐために、雑木を伐採したこともあるようです。
東京で過ごした学生時代、出身地を「京都府北部の海に面した…」と説明すると、「京都府って海に面してたっけ?」とよく言われました。みなさんは京都府が海に面していたことご存知でした?
景色は美しいし、魚は旨いし、温泉もあるし、いい所ですよ丹後は。ぜひ一度、新しい国定公園に来てください。
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校庭の名木百選

2007年07月13日 | 伝説の樹
みなさんの小学校の校庭にどんな樹が植えてあったか覚えていますか? 私の母校のシンボルツリーはポプラでした。
京都市はこうした校庭の樹から「名木百選」を選定しています。その中から、近くにある伏見区の小学校のクボガキを見てきました。クボガキはカキの栽培品種でしょう。

          

この小学校の敷地は江戸時代には尾張藩の屋敷があったそうで、カキの果樹園や茶畑が広がっていたとのこと。クボガキは明治5年の学校創立以前に植えられたもので、当時は3本あったそうですが、室戸台風で2本が倒れ、現在はこの1本が残るのみ。
平成6年の調査では樹高12m、幹周り1.5m。樹齢は120年と推定されていますが、明治5年にすでにあったということは、もっと古いはずです。毎年秋になると、この樹にちなんだ「柿の実運動会」が行われ、赤く熟した実は生徒たちに配られるそうです。いい学校だな~。
京都市立の小学校や中学校を卒業した人は、ぜひ「名木百選」のサイトを見てください。懐かしい母校の樹に出会えるかも知れませんよ。
ちなみに、私が卒業した小学校のポプラは校歌にも歌われていましたが、台風で倒れたのか今はもう残っていません。
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首かけイチョウ

2007年06月22日 | 伝説の樹
6月初めに久しぶりに東京に出張しました。仕事が終ってから、何ヶ所か樹木のポイントを寄り道して、新幹線に乗る前に日比谷公園で「首かけイチョウ」を見てきました。

      
    (樹の向こうは公園内にある明治36年創業のレストラン「松本楼」)

このイチョウはもともと日比谷交差点にあったもので、明治32年頃に道路拡張のために伐採されようとした際、本多静六という日本初の林学博士が東京市議会議長に掛け合って、日比谷公園に移植したもの。イチョウの移植は不可能と言われる中、「私の首をかけても移植してみせる」と言ったためにこの名前があります。

           
         (幹周り6.5m、推定樹齢400年だそうです)

この本多静六は「日本の自然公園の父」とも言える人で、日比谷公園をはじめ明治神宮、福岡の大濠公園などを設計したほか、東北地方に鉄道防雪林を設けたり、国立公園の開設を指導しています。また、博覧強記で知られ、生涯に376冊もの本を書いたそうです。
その一方で、節約して投資しながら莫大な資産を築き、故郷の埼玉県に広大な山林を所有したものの、後にすべてを県に寄贈しています。その生き方や投資術が注目され、最近は樹木分野だけでなく経済分野の雑誌や単行本に時々登場します。
なお、明日から3日間、信州に鳥見ツアーに出かけますので、来週月曜日はお休みして火曜日にアップします。
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七色の木

2007年06月15日 | 伝説の樹
京都府のほぼ中央に位置する京丹波町に「七色の木」があるというので、5月に帰省した折、少し遠回りして見てきました。
関西百名山の一つ長老ケ岳の登山口から少し歩くと、その樹はありました。幹の周囲7.4m、樹高11mのカツラの巨木に、スギ、ケヤキ、フジ、カヤ、イロハモミジ、イタヤカエデの6種類の樹木が共生しているそうです。合計7種類なので「七色の木」。
特別な伝説はないようですが、なかなか風格のある巨木です。京都府の自然200選にも選ばれています。うかつなことに双眼鏡を忘れたので、肉眼で確認できた寄生樹種はスギとイロハモミジだけでしたが、どちらも樹齢100年くらいの太い幹でした。

         

これとは別に、鳥取県にも「七色の木」があります。こちらは本で読んだ知識ですが、大山の麓に「七色ガシ」というシラカシがあり、その樹の葉は春から冬にかけて紫→黄→白→赤→緑→青と色が変わるそうです。以前、鳥取大学がそのメカニズムを調査しましたが、結局分からなかったとか。この樹はネットでも紹介されています。
カシ類には時々こうした葉の色の変化を見せる突然変異体があるようで、岡山県にはウラジロガシの「七色ガシ」があるそうです。
日本各地にこうした不思議な木がたくさんあるのでしょう。それを想像するとワクワクしてきます。
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