樹樹日記

じゅじゅにっき。樹木と野鳥に関する面白い話をご紹介します。

オリンピックオーク

2009年01月12日 | 伝説の樹
1936年に開催されたベルリンオリンピックの三段跳びでは日本の田島直人選手が優勝。金メダルとともに与えられたドイツ柏(ヨーロッパオーク)の苗木を持ち帰り、母校の京都大学に植えました。
その樹は農学部グラウンドの片隅で大きく成長し、いつしか「オリンピックオーク」と呼ばれるようになり、京大のスポーツ選手を見守ってきました。ところが、去年の夏以降ナラ枯れ病に侵されたため、12月2日に伐採されてしまいました。
元気な頃の写真は撮れなかったのですが、先月京大に行く機会があったので、その跡を見てきました。

       
               (オリンピックオークの伐採跡)

オリンピックオークは伐られましたが、その横には顕彰碑が立っています。それによると、銀メダルも京都大学の藤江正夫選手が獲得したそうで、同じ大学の同級生が金銀を独占するという快挙を称えていました。

       
      (以前、京都フラワーセンターで撮影したヨーロッパオークの葉)

ヨーロッパオークは日本で言えばミズナラ。私が通う栃の森でも、たくさんのミズナラがカシノナガキクイムシによるナレ枯れ病に侵されています。この害虫は市街地の、しかも外国産のナラにも侵入するんですね。恐るべき繁殖力です。
伐採前のオリンピックオークはこちら
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富士の峰

2008年12月08日 | 伝説の樹
宇治市の隣に久御山(くみやま)という町があります。規模は小さいですが、大型ショッピングセンターや高速道路のインターチェンジが建設されたために財政が豊かで、周辺市町との合併話には目もくれません。
その中央公民館の庭にサザンカの巨木があり、ちょうど満開だというので見てきました。

       
          (白花のサザンカ。まだたくさんの蕾がありました)

サザンカは童謡「たきび」でも知られるように、北風がピープー吹く今頃開花します。先日ご紹介したお茶の花と同じくツバキの仲間ですから、数少ない冬の花の一つ。生垣にもよく使われるので、「垣根の 垣根の 曲がり角」は多分サザンカの生垣のことでしょう。
久御山町のサザンカは樹齢200年以上と豪語するだけあって、私も初めて見る大きさ。もともと民家の庭にあったものを、7年前の高速道路の建設に伴って移植したそうです。町の木にサザンカを制定していることもあるのでしょう。

             
          (枝は剪定されているものの、まだまだ元気)

移植に際しては、祇園の枝垂れ桜の桜守りである第16代佐野藤右衛門さんのアドバイスを受けたとか。そのお陰で、老木にもかかわらず、今もご覧のようにたくさんの花を咲かせています。
うちの庭にも赤花のサザンカがありますが、野生種は白。でも、久御山町のサザンカは「富士の峰」という園芸品種だそうです。

       
              (うちの庭のサザンカは赤花)

童謡「たきび」では「サザンカ サザンカ 咲いた道 焚き火だ 焚き火だ 落ち葉焚き」と歌うので、サザンカの落ち葉で焚き火していると思いますよね? でも、サザンカは常緑樹ですから焚き火するほど落葉しませんし、葉が厚いので燃えにくいはず。まぎらわしい歌詞ですね。

       
       (サザンカの横には成人式で植樹したスギが並んでいます)

ちなみに、久御山町のこの辺りの地名を「一口」と表記しますが、誰も読めないと思います。私が知っている「難読地名」のベスト3に入ります。「ひとくち」ではなく「いもあらい」。日ハムや阪神タイガースで活躍した片岡篤史選手はこの一口の出身です。
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巨樹

2008年10月31日 | 伝説の樹
書店の樹木コーナーに行くと、棚の約4分の1を巨樹関連の本が占めています。ネット上にも巨樹に関するサイトが山のようにあります。世の中にはそれだけ巨樹ファンが多いということでしょう。
巨樹が定義されたのは最近のことで、1988年に環境庁(当時)が「全国巨樹・巨木調査」を行う際に、「地上1.3mの位置で幹の周囲3m以上の樹木」と定めました。「胸高周囲」と言います。その後2000年にもフォローアップ調査が行われ、日本全国で68,000本の巨樹・巨木が記録されています。

             
       (下谷の大カツラ。物差しになっているのは同行の仲間)

私がいつも行く栃の森に、京都府で3番目に大きい(太い)巨樹があります。樹種はカツラ。先日訪れた際、コースを少し外れて同行の仲間といっしょにその大カツラを見に行きました。
案内看板によると、2007年4月の測定で直径3.4mですから、周囲は10m。樹高は38.4m。驚いたことに、まだ成長し続けているようで、看板の数字が書き替えられていました。

       
      (前の数字が削り取られて新しい数字が書き込まれています)

樹齢は示してありませんが、私の推測で800~1000年というところでしょうか。あまりにも長く、大きく成長したので、枝の又などにコシアブラやカエデ、アズキナシなど別の樹が生えています。
私は巨樹マニアではありませんが、このクラスの巨木の前に立つと、やはり畏敬の思いが湧いてきます。「よくぞここまで生きてきましたね~」と声をかけたくなります。

       
             (大カツラの樹皮。風格があります)

近くにもう1本カツラの巨木があり、それが第4位。特に京都府にカツラが多いというわけではありません。京都府の巨樹を樹種で分けると、スギ(148本)、ケヤキ(102本)、クスノキ(69本)、エノキ(56本)、スダジイ(48本)がベスト5。ちなみに、京都府の巨樹第1位はトチノキ、第2位はスギです。
カツラは彦生えが出て株立ちになるので太さの勝負には有利で、全国的にはカツラの巨木は多いはずです。ちなみに、わが家の庭のカツラを計ったら周囲78cm。ついでに自分の腹囲を測ったら、メタボぎりぎりセーフの82cmでした(ウェストじゃないですよっ)。ダイエット成功!
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おじいさんの木

2008年10月22日 | 伝説の樹
大阪府には天然記念物や市町村の保護木に指定された巨木や名木が約1000本あるそうです。
そうした指定に漏れた樹木の中から、珍しい木や地域で大切にされている木が選ばれ、「おじいさんの木」として保護されています。運営しているのは、樹木医や園芸関係者のNPO団体「おおさか緑と樹木の診断協会」。
老木という意味で「おじいさんの木」と名づけたようです。「巨樹」や「巨木」よりも親しみが湧く名前で、言葉を仕事にしている私もいいネーミングだと思いますが、ある市に協力要請したところ「男女共同参画社会の中では、男性だけの名称では困る」と断られたそうです。
それも一理あるので、「おじいさんの木・おばさんの木」とすべきかも知れませんね。

       

その「おじいさんの木」第1号は、箕面小学校のカキノキ。1909年に学校がこの場所に移転した時にはすでにあったらしいので、樹齢は100年以上ということになります。当時は校庭の端でしたが、拡張工事によって次第に運動場の中に位置するようになったそうです。
残念ながら渋柿ですが、授業の一環として柿を収穫し、干し柿にして生徒のおやつにしているとか。私も干し柿が大好きなので、うらやましいです。私が訪れた10日ほど前はまだ熟していませんでしたが、たくさんの実が成っていました。

       

侵入事件を防ぐため、校門の横にはガードマンの詰め所がありました。許可を得て校庭で撮影していると、生徒がカメラに向かってピースサインを出しながら下校していきます(笑)。「おじいさんの木」の下を天真爛漫な子どもたちがワイワイ言いながら歩いていく…、こころ和む風景でした。
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木の根橋

2008年10月15日 | 伝説の樹
丹波シリーズ、その3。前回ご紹介した「丹波年輪の里」の帰り、柏原(かいばら)という町で兵庫県指定の文化財「木の根橋」を見てきました。
旧町舎の横に奥村川という幅6mの小さな川が流れていて、対岸にケヤキの巨木が立っています。その根が橋のように川をまたいでいるのです。

       
              (背景に見えるのは木造の旧町舎)

ケヤキは樹高22m、幹の周囲6m。川には小さな橋が架かっていて車も通りますが、橋に沿うように太い根が張り出し、町舎の敷地まで伸びて再び土に潜っています。おそらく、川が生まれる前にケヤキが育ち、後から川や橋ができたのでしょう。

       
            (木の根が川をまたいで橋になっています)

推定の樹齢は1000年ということですが、樹勢は衰えることなく、私が訪れた時もたくさんの葉を茂らせて大きな木陰をつくっていました。幹には注連縄が張ってあります。

       
                (川から見たケヤキの根)

木の根橋といえば、クボタのテレビCMにインドの木の根橋が登場します。こちらは、ゴムの木の根を編んだもので、上下2段の橋を住民が実際に渡っています。
どういう経緯でこういうものが生まれるのか不明ですが、世の中には不思議なものがたくさんありますね。
クボタのテレビCMに出てくる木の根橋はこちら
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ニレの木事件

2008年09月26日 | 伝説の樹
スウェーデンはドイツと並ぶ環境先進国。2010年までに原発を廃止する一方、風力やバイオマスなどグリーンエネルギーによって2020年までに脱石油社会を実現しようとしています。
日本ではペットボトルの飲み物が自動販売機で自由に売られていますが、スウェーデンではデポジット制以外のペットボトルは販売禁止。こうした徹底した環境運動は、実はある樹木から生まれました。

       
                    (ハルニレの葉)

1971年の春、ストックホルム市当局はショッピングセンターを建設するために、公園にあるニレの老木を伐採しようとしました。すると多くの若者集まってニレの木を取り囲み、デモを繰り広げたり、警官隊と激しく争いながら伐採阻止運動を展開。酸性雨などの自然破壊に疑問を持つ若者たちが、「これ以上の環境破壊は許さない」とアピールしたのです。
この騒動は「ニレの木事件」と呼ばれ、ここからスウェーデンの環境革命が始まったと言われています。ニレの木を守った若者たちの間から、後の環境省の長官や環境保護派の政治家が生まれ、現在のような厳格な環境政策を打ち出したのです。

             
                (ハルニレの若木の幹)

スウェーデンでは誰の所有であろうと野山を自由に散策する権利があり、日本のように「私有地につき立入禁止」という看板を立てることが逆に法律で禁止されている国。そんな文化があるから樹木の伐採にも敏感なのでしょう。
日本でニレと言えば、ハルニレ、アキニレ、オヒョウの3種。このスウェーデンのニレは、おそらくセイヨウハルニレのことでしょう。ヨーロッパの樹木図鑑を見ると、樹形も葉も日本のハルニレによく似ています。ハルニレは北海道に多く分布し、アイヌ文化とも関わりの深い樹木です。
スウェーデンの環境革命のシンボルであるニレの木は、伐採されそうになった時のチェーンソーの傷を残したまま、今でもその公園に立っているそうです。
なお、ハルニレは関西ではほとんど自生しないので、森林総合研究所関西支所の樹木園で撮影しました。
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一乗寺下り松

2008年09月01日 | 伝説の樹
京都市の北東部に、宮本武蔵と吉岡一門の決闘で有名な「一乗寺下り松」が今も残っているというので見てきました。

       
           (石垣で築いた塚の上に建つ顕彰碑とクロマツ)

その場所には「宮本 吉岡 決闘の地」と刻まれた石碑と4代目というクロマツが並んでいました。近くには、武蔵が決闘前に祈願したという八大神社や「武蔵羊羹」を売っているお店があり、ちょっとした観光スポットになっています。
しかも、八大神社には決闘当時の下り松の古木がご神木としてガラスケースに飾ってあるほか、宮本武蔵の銅像も建っています。さらに、中村錦之助が主演した映画『宮本武蔵 一乗寺の決闘』のポスターや写真の展示コーナーまで…。

             
       (ガラスの写り込みで見にくいですが、ご神木の松の古木)

ところが、京都のある樹木研究家は、決闘の地は別の場所だろうと推測しています。京都の北西部に七本松という場所がありますが、その付近の一条通りに「一条下り松」と呼ばれる名木があったそうで、決闘は「一乗寺下り松」ではなく「一条下り松」で行われたのではないかと言うのです。
そう言われれば、「一乗寺下り松」周辺は全体が斜面になっていて、決闘に適した場所とは思えません。どっちが正しいのか今となっては確かめようがないですが、関西弁の「言うたモン勝ち」で、石碑や銅像を建てれば既成事実になります。

             
                  (宮本武蔵の銅像)

その樹木研究家によると、下り松とは枝が垂れた松のことで、武蔵が活躍した江戸時代には京都にその名所が5つあり、最も古いのが一乗寺下り松。古来、京都から比叡山へ登る道の目印にされていて、『平家物語』にも登場するそうです。
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宝来船松

2008年07月28日 | 伝説の樹
全国的なトレンドかどうか分かりませんが、宇治は抹茶スイーツで盛り上がっています。
抹茶を使ったいろんなお菓子が開発されるほか、抹茶カフェが次々にオープンして、今や半径2km圏内に6軒もあります。以前ご紹介したお店もその一つ。
そのブームを作ったのが中村藤吉という老舗のお茶屋さん。7年前、店の奥にあった製茶工場をリノベーションしてカフェを開店したのが始まりでした。

       
          (○に十の字の暖簾ですが島津藩とは無縁です)

お勧めは「生茶ゼリー」。冷やした竹筒に抹茶の生ゼリーと抹茶アイス、白玉、小豆が盛られています。このほか、ソフトクリームを載せた宇治金時などスイーツファン垂涎のメニューが並んでいます。

       
           (生茶ゼリー720円。私もスイーツ大好きです)

中庭がオープンテラスになっていて、真ん中には大きな黒松が植えてあります。しかも、横枝を伸ばして船形に、主幹の枝を四角にして、全体で帆立船に仕立ててあります。その名も「宝来船松」。数寄者であった2代目が「家業安全」を祈って植えたものだそうです。

       
             (手前の横枝が船体、四角いのが帆)

船の長さ12メートル、帆の高さ6メートル、推定樹齢は200年で、宇治名木百選の一つに数えられています。創業が150年前ですから、樹齢50年以上の松を植えたことになります。名木百選の樹が店内にあるというのは老舗ならでは。
本店はJR宇治駅の前にありますが、よほど繁盛しているのでしょう、2年前には平等院の近くに2号店がオープンしました。2代目の願いどおり家業は順風満帆のようです。
中村藤吉のサイトはこちら
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柳と楊

2008年05月28日 | 伝説の樹
京都市の北隣の亀岡市に篠村八幡宮という古い神社があります。そこに「足利尊氏 旗上げの楊(やなぎ)」があるというので、帰省の途中に寄ってきました。

       
                (篠村八幡宮の拝殿)

1333年、足利尊氏は鎌倉幕府の京都の出先機関・六波羅探題を攻略して北条氏を滅ぼし、室町幕府を開きます。その時に挙兵したのがこの場所。全国の武将に参軍を求め、このヤナギに家紋を印した白い旗を掲げて目印にしたと伝えられています。
亀岡市の説明によると、その当時の樹を挿し木によって継承したもので、現在で6代目か7代目ということですが、挿し木の技術が開発されたのは伏見桃山時代ですから、どうなんでしょう?

             
           (石の柵で囲われ、案内板が立っています)

ヤナギと言えば、みなさんはシダレヤナギかネコヤナギしか想像しないでしょうが、この仲間は種類が多く識別が難しいです。また、普通は「柳」と表記しますが、この樹のように「楊」という漢字も使います。
中国では「柳」と書けばヤナギ属(シダレヤナギやネコヤナギ)を、「楊」と書けばヤマナラシ属(ポプラの仲間)を意味します。日本人には「楊」はあまり馴染みがないですが、爪楊枝には使います。中国ではヤマナラシ属の木で楊枝を作ったので、この熟語が残っているのでしょう。

       
              (名前の通り、ヤナギなのに葉が丸い)

この足利尊氏の楊はその場で識別できなかったので、帰宅後に図鑑で調べたらマルバヤナギのようです。ところがマルバヤナギはヤナギ属なので、漢字表記は「柳」のはずですが、案内板の文字は「楊」。なぜそうなったのかは不明ですが、表記が混乱しています。
普通のヤナギとは違う由緒ある樹として表現するために、わざわざ日本人に馴染みのない漢字を使ったのかも知れません。確かに、こうしたいわれのある樹としてはマルバヤナギは珍しく、私も初めてです。
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日本一の松

2008年05月21日 | 伝説の樹
京都の西のはずれの善峰(よしみね)寺というお寺に、「日本一の松」があるというので行ってきました。
聞き覚えのない名前なので小さな山寺を想像して出かけたら、何の何の、歴代の天皇や徳川5代将軍綱吉の生母が創建や再建にかかわった大きなお寺でした。

       
                  (立派な山門)

何が日本一かというと、枝の長さ。お寺の説明によると、樹齢600年の五葉松から54メートルも枝が伸びているそうです。ところが、平成6年に松喰い虫にやられて15メートル切断。ということは現在は約40メートルということです。
それでも日本一なのかどうか、そもそも誰が日本一と判定したのかは明示してありません。石碑には「日本一と人口に膾炙(かいしゃ)されている」と書いてあるので、確かな根拠があるわけではないようです。

       
         (左奥の幹から手前に伸びる枝。半分くらいの位置)

それにしても、すごい長さです。幹よりも太いくらいの枝が延々と伸びていて、大蛇のよう。こういう松の枝は蛇ではなく龍に例えられて、よく「臥龍の松」と呼ばれますが、ここのは「遊龍の松」。江戸時代の偉い人が命名したそうです。
私自身はこうした園芸手法とか盆栽とか、樹木を人工的に奇形させることには抵抗がありますが、松の枝を伸ばすことにエネルギーを注ぐ日本文化の構造には興味があります。

       
    (左から右に伸びる枝の真ん中あたり。枝をくぐって石段を降ります)

このお寺は「日本一の松」とは別のことでも有名です。阪神大震災の際、壊れた高速道路からバスが転落寸前で踏みとどまって乗客が助かったことがありました。あのバスの運転手さんが持っていたのがこの寺のお守り。あれ以降、「落ちないお守り」として受験生に人気だそうです。
何でもこじつけるなあ~。これも一つの日本文化でしょうか。
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