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樹樹日記

じゅじゅにっき。樹木と野鳥に関する面白い話をご紹介します。

五重塔売ります

2009年05月29日 | 木造建築
日本で最も高い五重塔は京都の東寺のもので、もちろん国宝。おもしろいことに、最も小さい五重塔も国宝に指定されています。
奈良の海龍王寺という小さなお寺にある五重塔は4m。東寺の五重塔が54.8mですから、10分の1以下。国宝になっているのは、小さいながらも歴史的に価値があるからでしょう。奈良の文化財修理の専門家も、その著書に「なりは小さくても味がある。仕事もビシッとしている」と書いています。

             
            (海龍王寺にある日本最小の五重塔)

重要文化財に指定された五重塔が全国に25基あり、そのうち国宝に指定されているのは11基。うち5基が奈良県に、3基が京都府にあります。
こうした貴重な寺院建築は今でこそ保存継承されていますが、「廃仏毀釈」運動が巻き起こった明治時代には大きなダメージを受けました。経済的に苦しくなった寺院は仏像や寺宝、さらには建築物まで売りに出したようです。

       
            (最小の五重塔が収められている西金堂)

例えば、奈良の円成寺は多宝塔を売却したために現在は残っていません。買われた後、関東方面に移築されたとか。さらに、現在は国宝に指定されている興福寺の五重塔も売りに出されました。結局、買い手がつかなかったために残され、現在は重要な観光資源として奈良に貢献しています。

             
             (売りに出された興福寺の五重塔)

歳月の波だけでなく、そうした社会的・政治的な荒波にも耐えて生き残った文化財を目にすると、「よく頑張ったね~。あんたは偉い!」と声をかけたくなります。
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世界最古の企業

2009年05月08日 | 木造建築
タイトルを見て「室町時代あたりに創業した老舗の話かな?」と思ったでしょう? なかなか。鎌倉時代も平安時代も通り越し、さらに奈良時代を遡って飛鳥時代の578年に創業した企業が大阪にあります。名前は金剛組、業種は宮大工。
聖徳太子が四天王寺を建立するために百済から建築技師を招いたのが始まりという、古~い企業です。日本には100年以上続く企業が5万社あり、その中で1430年続く金剛組は世界最古の企業だそうです。

       
              (世界最古の企業が建てた四天王寺)

創業以来、江戸時代までは四天王寺のお抱え宮大工として数多くの塔頭を建設しています。また、四天王寺は戦火や自然災害によって7度の焼失に見舞われましたが、その度に金剛組が再建。1934年の室戸台風で倒壊した五重塔(上の写真)も再建しています。
1955年に株式会社化し、創業以来の個人企業体制が終了。さらに現在は高松建設の傘下に入り、実質的には金剛家の経営ではありませんが、相談役の現当主は39代目。100人以上の宮大工を擁し、日本全国の神社仏閣や城郭の再建・修理、さらに山車やだんじり、神輿の修理・新調を手がけています。

       
                 (金剛組の本社ビル)

本社は四天王寺のすぐ横にあります。「木工現場が見られるかな~」と期待してノコノコ出かけましたが、普通のオフィスビルしかありませんでした。作業場は別の所にあるようです。残念!
金剛組のwebサイトはこちら
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木の校舎

2009年02月09日 | 木造建築
木造校舎に郷愁を感じる方も多いのではないでしょうか。私の小学校も木造でした。木の教室で、木の机に座って勉強し、授業が終わると木の床を雑巾で拭き掃除したものです。
その木造校舎も少なくなって、今では写真集が出版されるほど珍しい存在になってしまいました。

       
              (今や珍しくなった木造校舎)

木造校舎が児童にいい影響を与えるという事例がいくつかあります。その一つが、埼玉県玉川村の小学校。「子どもたちの学習環境を改善したい」という村長の強い思いから、校舎そのものは鉄筋コンクリートなのに、内装(床と壁)を県産のスギやヒノキでリニューアルしたそうです。

       
                   (体育館も木造)

村長にそう決意させたのはある実験データ。静岡大学でマウスを使って異なる素材で飼育したところ、コンクリート製では生存率が2割、金属製では4割、木製ではほぼ10割だったそうです。
リニューアル以降、子どもたちは授業に集中するようになり、転んでもケガをすることが少なく、インフルエンザも115人から15人に減ったとか。床が冷えず、弾力性があって立っているのがラクだと先生にも評判。その結果を得て、村長は中学校も木造に改装したそうです。

             
               (懐かしい木の廊下と木の教室)

写真は埼玉県の学校ではなく、京都府南部の木津川市にある恭仁(くに)小学校。校舎も体育館も昭和11年に建てられたまま残っています。
管理が大変でしょうし、空調効率も悪いでしょうが、「この小学校の生徒たちは幸せだな~」と思いながら撮影していました。
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国立公園のツリーハウス

2009年01月23日 | 木造建築
前回、うみほし公園のツリーハウスをご紹介しましたが、子どもたちと一緒に作るのが目的なので本格的なものではありません。丹後ではもう一つのツリーハウスプロジェクトが進行していたので、そちらも見に行ってきました。
場所は、京丹後市久美浜町蒲井地区。以前、関西電力が原子力発電所を建設しようとした小さな漁港です。建てたのは、日本のツリーハウスの第一人者・小林崇さん。

             
           (高さ10mほどの所に家が造られています)
             
              (ツリーハウスの裏側と階段)

漁船が並ぶ小さな入り江の斜面に推定樹齢500年のタブノキがあり、そこに真新しいツリーハウスが造られていました。ここは山陰海岸国立公園のエリアで、小林さんによると「世界初の国立公園内のツリーハウス」だそうです。私が訪れた日は立入り禁止でしたが、室内では美しい海を眺めながらゆったりした気分で過ごせるでしょうね。

       
          (ツリーハウスの前には日本海が広がっています)

ツリーハウスの歴史は古く、イギリスには16世紀に造られた世界最古のツリーハウスが現在も残っているそうです。1977年の台風で破壊されたものの修復され、昔と同じようにシナノキの巨木の上に建っているとか。
また、ハワイ島にはツリーハウスのホテルがあるそうです。大きなアメリカネムノキの7~8mの高さの所に1部屋だけ用意されているらしいです。
アメリカネムノキは日立のCM「この木なんの木」に出てくる樹。あんなに大きくなるので、ホテルの部屋に使えるほどのツリーハウスができるんですね。いつか泊まってみたいな~。

       

上の写真は、日立のCMでお馴染みのアメリカネムノキ、またの名をモンキーポッド。あのCMもハワイで撮影されています。私もハワイまで行って撮影してきました……というのは嘘で、著作権フリーの画像です。
なお、ハワイのマウイ島にはこんなツリーハウスの貸し部屋もあります。
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日本最古の橋

2008年12月26日 | 木造建築
橋の本を読むと、「日本最古の橋は宇治橋」という記述によく出くわします。近くに住む者としては、「ホンマかいな? もっと古い橋があるやろ~」と突っ込みたくなりますが、少し調べてみると、ある意味では本当のようです。
「ある意味」の一つは、丸木橋などは除いて一定の構造物という条件。丸木橋までカウントしたら「日本最古」なんて確定できないですからね~。もう一つは、記録に残っていて、なおかつ現在も(代替わりはあるものの)架橋されているという条件。
記録上では宇治橋よりも昔に、大阪市に「猪甘津(いかいつ)の橋」という橋があったそうですが、現在は架橋されていないので結局は宇治橋が日本最古のようです。

       
      (日本最古の橋、宇治橋。この日はたまたま宇治川が増水中)

宇治橋の東詰に「橋寺」というお寺があって、その境内から由来を記した石碑が出土しました。それによると、道登(どうと)というお坊さんが、増水すると流れが速くて馬や船では渡れずに困っている旅人を見て、橋を架けようという大願を抱き、浄財を集めて架橋に着工。いろいろな悲しい伝説を生みながらも、大化2年(646年)に完成したそうです。
別の資料によると、全長90mの橋桁に、長さ9m(=橋の幅)×幅43cm×厚さ26.4cmの板が敷いてあったそうです。材は記録されていませんが、強度と耐久性に優れたケヤキかヒノキでしょう。

       
      (宇治橋のたもとにある橋寺。由来を記した石碑が残っています)

長い歴史の中では何度も洪水や戦で壊れ、その度に再構築されたはず。私が宇治市に引っ越してからも、道路拡幅のために架け替えられました。
現在は木造ですが、先代の橋は鉄製で、しかもピンクと淡いグリーンというとんでもない配色でした。誰がデザインしたのか、とても日本最古の橋にふさわしいとは言えません。その先代の橋の一部がたもとに残されています。

       
      (先代の宇治橋の一部。かなり色褪せていますがピンクでした)

現在の宇治橋は、橋脚はコンクリート製ながら、ヒノキの欄干に青銅の擬宝珠が飾られています。やっぱり日本最古の橋なんだから、こうでないと。
でも、ほとんどの宇治市民はこの橋が日本最古とは知らないだろうな~。

2008年の「樹々日記」は本日までとします。今年も閲覧していただき、ありがとうございました。来年は5日から始めますので、またアクセスしてくださいね。では、皆様、良いお年を…。
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牛ほめ

2008年11月10日 | 木造建築
落語に「牛ほめ」というネタがあります。ある男が小遣いを稼ぐために、叔父さんが新築した家をほめに行き、ついでに牛をほめて落ちがつくというストーリーです。
その中で、ご隠居さんが家のほめ方を伝授するくだりがあります。「家は総体檜造り、表構えが総一面の栂(とが)造り、中に入ると土間が縮緬漆喰,上がり框が三間半節無しの桜、上にあがると畳が備後表の寄り縁、天井が薩摩杉の鶉杢(うずらもく)、奥へ通ると南天の床柱に黒柿の床框(とこがまち)…」。
順番に説明すると、檜は最高級の建築材、栂(とが=ツガ)はマツの仲間で、おそらく門構えなどの材に使われたのでしょう。桜は多分ヤマザクラ、薩摩杉の鶉杢とは美しい木目の出た屋久杉、南天は赤い実の成るナンテン、黒柿は柿の渋で黒い縞模様が入ったカキノキのこと。合計6種類の木材が登場します。

       
              (京都府の有形文化財、旧三上家)

下の写真は、落語に出てくる黒柿の床框(とこがまち)。実家に近い宮津市にある旧三上家のものです。宮津市には母の実家があり、私はこの町で生まれました。今はさびれてしまいましたが、江戸時代は港町として栄えていました。
三上家は回船業や酒造業、糸問屋を営む傍ら、宮津藩の財政や政治にも関わった名家で、その屋敷を京都府が有形文化財として保存しています。「牛ほめ」の主人公になったつもりで、帰省のついでに寄ってきました。

       
          (黒柿の床框。黒い模様に値打ちがある銘木です)

黒光りするケヤキの大黒柱、土間の上に渡した太いマツの梁など、昔ながらの重厚感あふれる造り。また、上で紹介した床框のクロガキとか、下の写真の床柱のカリンとか、和風建築の愛好家なら溜息が出るような銘木があちこちに使われています。

       
            (茶室の床柱はカリンの芯を磨き上げたもの)

       
       (床の間の違い棚は欅の玉杢、床柱は南天ではなく北山杉)

実家の近くにありながら訪れるのは初めてでしたが、予想以上にすごい屋敷でした。もう一度じっくり見学したいです。落語と違って、ほめても誰もお小遣いはくれませんが…。
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栗の板で葺いた国宝

2008年11月03日 | 木造建築
神社など日本の伝統建築の屋根はほとんどがヒノキの樹皮を使った檜皮(ひわだ)葺き、または板を使った杮(こけら)葺きです。同じ字に見えますが、「杮」は「カキ」ではなく「板」を意味します。
杮(こけら)葺きには普通、サワラ、スギ、ヒノキなどを使いますが、クリの板を使った珍しいお寺があるというので行ってきました。
京都府北部の綾部市の山中にある光明寺。帰省する際、少し遠回りして寄ってきました。このお寺の仁王門はクリの杮葺きで、国宝に指定されています。京都府には国宝がたくさんありますが、府内で最も北に位置する国宝だそうです。

       
                (クリの杮葺きの光明寺仁王門)
       
                (近所の宇治神社は檜皮葺き)

何度かご紹介しましたが、クリは水や腐朽に強く、古代の掘っ立て小屋の柱に使われましたし、白川郷の合掌造りの家でも、台所など水周りにはクリが多用されています。だから、屋根にも使われたのでしょう。
とは言え、檜皮葺きよりも耐久性に劣り、20年~25年で葺き替えなければならないそうです。

       
          (光明寺仁王門の杮葺きはかなり痛んでいます)
       
          (宇治神社の檜皮葺きは去年葺き替えたばかり)

クリの杮葺きは出雲地方や山陰地方にわずかに残るのみで、現在は木材不足と後継者不足のダブルパンチで風前の灯だそうです。檜皮葺きも似たような状況で、屋根を葺く職人は結構いるものの、ヒノキの皮をはぐ職人がもう一人か二人しか残っていないそうです。
いつも思うことですが、こういう目立たない伝統技術が一つなくなると、神社仏閣や祭礼道具などの修理や復元ができなくなります。時代の流れととは言え、何とか残す方法はないものでしょうか。
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木のビル

2008年10月17日 | 木造建築
京都市のど真ん中、四条烏丸(からすま)の一等地に9階建ての木のビルが建っています。
と言っても構造は鉄骨造りですが、外壁に木材を使い、「下見板張り」と呼ばれる京町家風の外観に仕上げています。外壁のみならず、エレベーターホールや廊下、室内のサッシなどにも木をふんだんに使っているようです。1階は店舗、2階~9階はオフィスフロアという構成で、建築面積は106.7坪。

             
             (茶色に見える部分はすべて木)

設計者は京都大学の大学院で環境マネージメントを学んでいるそうで、「我々は環境マネージメントとしての設計に取り組んでいます」と明言しています。デザインとして木を取り入れるだけでなく、外壁の木材が約8トンの二酸化炭素を固定することまで計算。また、エアコンの負担を軽減するよう、自然換気を促す大きな吹き抜けが設けられています。
しかも、外壁や内装に使っているのはスギの間伐材。おそらく、北山杉の間伐材でしょう。建築許可の関係でしょうが、外壁の木材には不燃加工を施しているとか。

       
           (アップにすると「下見板張り」が分かります)

この設計者は京都の木のビルのほか、沖縄では屋根に芝生を敷いてエアコンを不要にしたデイサービス施設も設計しています。
今後、ビルやマンション、公共施設などでこういう建築物が増えるのを期待したいですね。
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本当の“世界最大の木造建築”

2008年10月01日 | 木造建築
以前、「世界最大の木造建築」として奈良の東大寺大仏殿をご紹介しました。伝統的な建築物の中では最も高いので一般的にそう言われています。
ところが、面積で計った場合、世界最大の木造建築は京都の東本願寺にある御影堂(ごえいどう)だそうです。幅76m、奥行き58m、高さ38mで、屋根には17万6千枚もの瓦が載っているとか。体積でも大仏殿を上回る世界一の木造建築です。
その次に大きい面積を誇るのは、そこから500mほど離れた西本願寺の御影堂。東西の本願寺に世界第1位と第2位の木造建築があるわけで、奈良もスゴイけど、やっぱり京都はスゴイです。

       
        (世界で2番目に大きい木造建築、西本願寺の御影堂)

親鸞聖人の750回御遠忌に当たる2011年を目指して、現在は東西とも御影堂の修復が行われています。世界一の東本願寺の方はまだ工事用の覆い家で隠れていますが、第2位の西本願寺で修理現場の公開が行われたので見てきました。
東の御影堂に比べてひと回り小さく、幅62m、奥行き48m、高さ30m、瓦の数11万5千枚。それでも、修復には10年もの歳月と56億4千万円という莫大な予算(6割が国の補助)が注ぎ込まれています。
今回の主な修理は屋根。膨大な瓦の重みに耐えかねてマツ材の骨組みが何本か折れていたので、ヒノキ材に取り替え、さらに当て木をして折れにくいように修理したそうです。瓦は一旦全部降ろし、そのうちの4割はそのまま再利用したとのこと。

       
         (折れていたマツ材の骨組み。展示パネルの写真)

200年前にも大修理が行われており、現在よりも大規模な工事だったにもかかわらず、約3年で完了しているそうです。クレーンなどの重機がない時代なのに現在よりも早かったのは、それだけ多くの人員を投入できた、つまり財力があったからだろうと京都府の係員は話していました。

       
      (金や漆、極彩色を使って極楽浄土を表現した最内部の部屋)

内部も案内され、金箔を貼った丸柱、漆で仕上げた床面など、通常ではお目にかかれない所も見せていただきました。建築や工芸など日本の伝統的な技術や文化は仏教によって磨かれ、維持されてきたんだな~、と改めて思い知らされました。
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粋な黒塀

2008年09月03日 | 木造建築
50年ほど前、春日八郎という歌手が「♪~粋な黒塀 見越しの松に あだな姿の洗い髪~」と歌っていました。歌舞伎の演目を題材にした『お富さん』という歌です。
当時はラジオでしか聴けないので、小学生の私は「♪~行きな、黒兵衛 神輿の祭り あだ名姿のアラ!歪み~」と聴き取っていました。黒兵衛という少年がお神輿を担ぎにお祭りに行ったけど、あだ名でいじめられて性格が歪んじゃった、というような意味不明の歌でした。
その黒兵衛…じゃなくて黒塀に使われているのは、火で焦がした杉の板。日本の伝統的な建材ですが、最近はあまり見かけなくなりました。塀だけではなく壁にも使われています。

       

上の写真は酒処、伏見のある蔵元の酒蔵。写真マニアには有名なポイントで、河原に咲く菜の花とセットでよく撮影されます。黒い板壁がいい感じでしょう?
この焼き杉板は、実際に板の表面に火をつけて燃やすのが本来の製法ですが、最近はガスバーナーで焦げ目をつけたり、単に塗装するだけの簡単なタイプもあるそうです。

       
            (近所の黒塀。これは塗装タイプのようです)

なぜ板をわざわざ焦がすのか? そう思って調べてみましたら、表面を炭化させると腐食しにくくなって耐久性が増したり、初期段階の着火が遅れるので防火の役目を果たすそうです。
それに加えて、私は黒という色が好まれたのではないかと推測します。瓦の黒とともに家全体をブラックでまとめるというのは通好みの、それこそ「粋な黒塀」だったのではないでしょうか。

       
     (近所の黒い板壁。焦げ目は剥げていますが、凹凸が出ていい感じ)

新潟県村上市はこの黒塀で町興しをしています。また、歌にある「粋な黒塀、見越しの松」は東京の神楽坂あたりによく残っている風景だそうです。
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