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樹樹日記

じゅじゅにっき。樹木と野鳥に関する面白い話をご紹介します。

樹の祖先

2008年03月24日 | 木と歴史
沖縄のヤンバルの森では、ヒカゲヘゴがあちこちで枝を広げていました。

       

ヘゴの類は植物学的には樹木ではなく、木性のシダ植物という扱いになっています。ヒカゲヘゴは日本最大のシダ植物。写真の錦蛇のような模様は、枝が自然に落ちた痕です。
ゼンマイのような形をした新芽は、アク抜きすれば天ぷらや三杯酢で食べられるそうです。また幹の芯は煮込むと大根のような食感で、八重山諸島では祭りに欠かせない料理だとか。

             

私がヘゴに関心を持ったのは、これらの植物は樹木の祖先だからです。しかも、私たちはついこの間まで、この植物のお世話になっていました。恐竜がウロウロしていた時代、こういうシダ植物が地盤沈下などによって地中に堆積し、2億年から3億年後に掘り出したのが石炭です。
今では目にする機会さえほとんどなくなりましたが、昔は蒸気機関車やストーブなどのエネルギーとして頼っていました。私の母校でも教室の暖房は石炭ストーブでした。

       

私は「鉄っちゃん」ではありませんが、その懐かしい石炭に再会するために、京都駅近くにある梅小路蒸気機関車館に行ってきました。ここでは、短い距離ですが今でもSLが子ども連れの家族を乗せて走っています。
説明パネルによると、D51を1km走らせるために40kgの石炭が必要で、100km走らせるためにスコップで2000回も投入しなければならない重労働だったそうです。

       

この黒い石が、2億年だか3億年前まで今の樹木のように地球の野山で緑色の葉を伸ばしていたのかと思うと、何だか愛おしくなってきました。
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命を救った樹

2007年12月14日 | 木と歴史
10月末にこんなニュースがありました。1945年、あるユダヤ人がアウシュビッツ強制収容所から逃走し、民家の裏庭にあったカバノキの空洞に9時間隠れて命拾いをした。そして今年、83歳になったその人が60年ぶりに自分の命を救ったカバノキと対面した。
長い歴史の中には、こういう話はたくさんあったはずです。日本にも有名な話が残っています。
源頼朝が平氏との合戦に敗れて逃げたとき、倒木の洞に隠れて「八幡大菩薩」を唱えた。追っ手は洞の中に弓を突っ込んで探ったが、ハトが飛び出したので「誰もいない」とあきらめた。
この話は『源平盛衰記』に出てきますが、ほかにも聖徳太子が物部守屋と戦った際にムクノキの空洞に隠れて難を逃れた話や、天武天皇が大友皇子に攻められたときエノキの空洞に隠れて助かった話もあります。

       
     (京都御所にあるムクノキの巨木。人が隠れるほど大きく成長します)

以上は樹が人の命を救った話ですが、逆のケースもあります。源頼朝の子である実朝は、イチョウの大木に隠れて待ち伏せした公卿(くぎょう)に暗殺されました。親は樹で命拾いし、子は樹で命を落すという皮肉な運命です。
鎌倉の鶴岡八幡宮にはその伝説の「隠れ銀杏」が今も残っています。ただし、その樹齢から考えて鎌倉時代には人が隠れるような巨木ではなかったはず、という樹木研究者もいます。

             
  (樹齢250年、幹周3mの宇治名木百選のイチョウ。これなら隠れられる?)

実朝が暗殺されて頼朝の直系が絶えたために北条氏に実権が移ったようです。歴史は人間が変えるのでしょうが、その傍らで樹木もこんな形でその節目に関わっているんですね。
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白樺に書いたラブレター

2007年12月10日 | 木と歴史
『トロイカ』というロシア民謡をご存知ですか? 「トロいイカ」じゃないですよ、ロシアのソリですよ。
「♪雪の白樺並木 夕陽が映える 走れトロイカ~」という歌詞がスラスラ出てくるのは、私より上の世代でしょうね。
ロシアには白樺の森が広がっているようですが、フィンランドに近いノヴゴロドという町で、白樺の樹皮に文字を書いた14世紀の文書がたくさん発見されました。白い樹皮の表面に、ピサロと呼ばれる鉄筆で古代ロシア語が記されていたそうです。
遺言状、契約書、嘆願書など1000通以上の文書が残っており、中には女性が書いたラブレターもいくつかあったそうです。私は「白樺のラブレター」という点に注目しましたが、学者は中世の一般の女性が文字を書いた点に注目しているようです。

       
                (霧ケ峰高原のシラカンバ)

鳥見ツアーで訪れた信州では、シラカンバ(植物学的にはシラカバではなくシラカンバ)やダケカンバをたくさん見てきました。幹にも触ってきました。ツルツルした気持ちのいい感触で、私の知る限りいちばん滑らかな樹皮です。シラカンバの樹皮は文字通り白いし、表面が滑らかなので、きっと文字が書きやすかったのでしょう。
カバノキの英名Birch(バーチ)は「樹皮に文字を書くことができる木」という意味のサンスクリット語に由来するそうですし、北米にはPaper Birchというシラカンバもあるそうです。カバノキの樹皮は世界的に紙として使われていたということですね。
「白樺文書」の画像を見たい方はこちら(書籍の表紙です)。
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5000年前の人間の持ち物

2007年08月08日 | 木と歴史
暑中お見舞いの代わりに、本場の宇治金時をどうぞ。

      

近所にあるお茶屋さんのカフェのメニューです。この店のスイーツはとんねるずのテレビ番組「喰わず嫌い王」のお土産ベスト5に選ばれて、それ以来お客さんがドッと増えました。オープンした頃はいつ行っても空いていましたが、先日は月曜日なのに満席でした。
少しは涼しくなりました?
では、無理やりですが、氷つながりの木のお話です。と言っても樹氷じゃないですよ。
1991年にスイスで氷づけになった5000年前の男が発見されました。その冷凍ミイラは、白樺の樹皮で作った筒型の容器を持っていたそうです。炭火のおきを入れる容器ではないかと推測されています。5000年前といえば、日本では縄文時代中期。当時の人類はどんな生活をしていたのでしょう。

      
         (信州ツアーで撮ったシラカンバの樹皮)

また、ロシアのある民族やアメリカの先住民は白樺の樹皮でカヌーを作ったそうです。油を含んでいるので水には強いでしょうし、何より軽いのが重宝されたのでしょう。
もうすぐお盆ですが、岩手県盛岡市近辺ではお盆の迎え火や送り火に使うために白樺の樹皮を売っているそうです。油分が多くて燃えやすいからでしょう。以前、白樺の樹皮をタイマツに使ったことをご紹介しましたが、同じ理由ですね。
現代の私たちは樹皮にはほとんど無関心で、せいぜい樺細工の茶筒くらいしか目にしませんが、昔の人にとっては木の皮は大切な材料だったんですね。
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木材不足は昔から

2007年07月25日 | 木と歴史
古(いにしえ)の 人の植えけむ 杉が枝に 霞たなびく 春は来ぬらし。これは柿本人麻呂が『万葉集』に残した歌です。言わずもがなですが、意味は「昔の人が植えた杉の枝に霞がかかって、春らしい景色だ」。
この歌は、万葉の時代すでにスギの植林が行われていたことを示しています。「今よりも緑が豊かな時代なのに植林?」と思われるでしょうが、よく考えると当然です。
巨大な寺院や神社、宮殿、そして民家、すべての建築物が木で造られた時代です。また、現代のような防火システムがありませんから、一度火事や地震に見舞われると広範囲に焼失したはずです。そのたびに再建したわけですから、木材の消費量は半端じゃありません。
しかも、現在のような物流システムがありませんから、木材は近隣の山から調達しなければなりません。天然のスギやヒノキだけでは不足するので、どうしても植林が必要だったのです。

      
      (万葉時代すでにこんなスギの人工林があったはず)

下って平安時代にはこんな歌も歌われました。古(いにしえ)の 奈良の都の 宮柱 この結成(かたなし=書庫)に なほ残るかな。つまり、平城京で使われた柱が平安京の建築物に使われていたのです。木材のリサイクルは今に始まったことではないんですね。
また、伊勢神宮は20年に1度建て替えられますが、古い材は捨てるわけではありません。正殿と別宮には新しいヒノキを使い、その古材は鳥居に使ったり、全国の神社に払い下げて再利用されるそうです。
現在のような環境保護という視点よりも、材木調達の難しさから発案された植林やリサイクルだったのでしょうが、今や国際語となった「もったいない」もこんなところから生まれたのでしょうね。
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世界一長寿の樹

2007年04月18日 | 木と歴史
日本一長寿の樹に続いて、今日は世界一長寿の樹。
その樹はアメリカ東部のホワイト山という山中に生えているイガゴヨウマツという樹で、樹齢は4600年。下の写真はアッテンボローの『植物の私生活』という本を写したものですが、記事には「骨の折れる調査が続けられ、何本かは4600歳だと断定することができました」と書いてあります。写真を見ると空洞があるので、縄文杉と同じく中の木片を放射線炭素法で調べたのでしょう。

      
         (世界一長寿とされているイガゴヨウマツ)

ギネスブックにも「世界一長寿の樹」として記載されています。しかし、前回も書いたように空洞のない立木は放射性炭素法で樹齢が計測できませんから、このイガゴヨウマツ以上に長寿の樹が他にあるかも知れません。
屋久島の縄文杉を世界一長寿の樹として誰かが報告したらしく、ギネスブックには「日本から紀元前5200年生まれの樹の報告があった」という記録が残っているそうです。信憑性に問題があったのか、結局は世界一と認定されなかったようです。
前回の大王杉(樹齢3000年)にしても、このイガゴヨウマツにしても紀元前から生き続けているのです。おそらく地球上で最も古い生物でしょう。水野晴郎じゃないですが、「いや~、木ってホントに素晴らしいですね」。
なお、「世界一高い樹」で日本の樹に触れませんでしたが、「日本一高い樹」は私の知る限り3本あります。いずれもスギで、秋田県の「きみまち杉」は58m、高知県大豊町の「杉の大杉」は60m、山梨県身延山にある杉も60m。それぞれが「日本一」と主張しているようです。
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日本一長寿の樹

2007年04月16日 | 木と歴史
以前、「世界一高い樹」と「世界一太い樹」をアップしたところ、bulbulさんから「長寿の世界一や日本一の樹を紹介してほしい」というリクエストをいただきました。それにお応えして、とりあえず今日は日本一の方を。
一般的な木の本やサイトには、「屋久島の縄文杉は樹齢7200年」と書いてあります。これが本当なら縄文杉が日本一&世界一です。
ところが、縄文杉も含めて各地に伝わる樹齢○○年というのは、ほとんど根拠がありません。と言うか、科学がこれほど発達している現代でも、立木の樹齢を正確に計測する方法がないのです。
幹に穴をあけ棒状のサンプルを採取して年輪を数える「生長錐」という道具がありますが、あくまでも林業用なので直径1m以下の樹にしか使えません。また、X線によるCT検査という方法もありますが、機材が200kgもあって山の中に持ち運べず、しかも太い樹には使えないそうです。

      
 (京大・木材研究室にあった屋久杉のサンプル。直系180cm、推定樹齢900年)

放射性炭素法というのがあって、その樹が生まれた頃に固定された二酸化炭素を測定すれば年代が分かるのですが、樹木の中心部(つまり樹が誕生した頃)の木片を採取しないと樹齢は計測できません。遺跡から出土した木器や寺院の建築材の年代は計測できますが、立木は計測できないのです。
ただ、縄文杉は中が腐って空洞になっているので、そこにあった木片を取り出して放射性炭素法で調べた結果、樹齢2170年という数字が出ました。また、縄文杉が発見されるまで最大の屋久杉と言われていた大王杉も空洞の木片を採取して調べたところ3000年でした。

科学的な方法が確立できないのは、樹齢計測がタブー視されているという事情もあるようです。日本各地にお国自慢の巨樹があり、それぞれ樹齢一千年とか、源義経など歴史上の人物が植えたとか、中にはヤマトタケルノミコトがからんだ巨樹もあります。
樹齢を科学的に計測するとそれらの伝承樹齢がほとんどウソになり、地元の誇りや観光事業を傷つけるので専門家も積極的になれないようです。
千葉県の国の天然記念物のスギには、折衷案的に「樹齢1000年、実樹齢400余年」という札がかけてあるそうです。この400余年という実樹齢は、多分近くで切り倒されたスギの年輪とその太さからから冷静に推測した数字でしょう。
ということで、サンプルの木片が誕生当時のものという条件付きですが、日本一の長寿の樹は屋久島の大王杉(樹齢3000年)と決定!
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伏見の桃山

2007年03月30日 | 木と歴史
今の家に引っ越す前、私は京都市伏見区桃山という所に住んでいました。日本史で習った「安土桃山時代」の桃山です。ここにあったお城で秀吉は息を引き取りました。

      
          (現在の伏見桃山城)

以前から「桃の産地でもないのになぜ桃山なんだろう?」と疑問を持っていましたが、先日ある木の本を読んでいて氷解しました。それによると、お城が廃城になった跡地にたくさんの桃を植えたからだそうです。
江戸時代のガイドブック『都名所図絵』には、「今はこの丘上に桃花を数千株植えて(略)、遠近この山に集まりて春色に酩酊し、桃花の色を奪ふ、これを伏見の桃見といふ」という記録が残っています。桜の花見のように桃見で賑わっていたのです。
江戸期の学者・貝原益軒も「伏見の桃は吉野の桜に匹敵する」と書いています。また、芭蕉も「我衣(わがきぬ)に伏見の桃の雫せよ」という句を残しています。ちなみに、この句から名前をもらった「桃の滴」という伏見の清酒があります。
その桃の林も、明治天皇のお墓(桃山御陵)を造るために取り除かれて現在は残っていません。1964年に写真のお城(模擬城)が建築されて「キャッスルランド」という遊園地が生まれましたが、御多分にもれず4年前に閉園となり、現在は京都市の運動公園になっています。
遊園地がある頃は私も甥や姪を連れて遊びに行きましたが、長らく行ってないので、先日久しぶりに訪ねてきました。昔を偲んでか、園内には数ヶ所に桃が植えてありました。

      

モモは中国原産で奈良時代に日本に移入されたというのが定説です。ただ、『日本書記』にイザナギノミコトが鬼にモモを投げつけたという話が残っているので、「日本にも自生していた」という説や、「いやいや、それはヤマモモのことである」という説があって定かではありません。
モモについて、中国には「桃源郷」の故事が、日本にも桃太郎伝説があってなかなか興味深い木ですが、長くなるのでまたの機会にします。
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神様のお皿

2007年02月05日 | 木と歴史
下の樹はアカメガシワ。春先に出る新芽が赤いのでこの名があります。
繁殖力が強く、コンクリートで固めた崖の隙間からでも幹を伸ばしています。写真のアカメガシワも川の石垣の間に生えていたものです。どこにでも出しゃばる厚かましい樹なので好きになれませんが、秋になると黄葉してけっこうきれいです。

      

カシワと名が付く木の葉は食事に関係していることが多く、カシワの葉は柏餅に使いますし、このアカメガシワの葉は神様に供える食事に使います。伊勢神宮の神事でもアカメガシワの葉の上に神饌を盛るそうです。大昔はお皿として使っていたのでしょう。
また、『古事記』にも面白いエピソードが残っています。仁徳天皇が催す酒宴に必要なので、皇后が紀州までアカメガシワの葉を集めに行きましたが、その間に天皇が浮気していることを知って、集めた葉を全部海に投げ捨てた、という話です。

      
        (大昔はお皿として使われたアカメガシワの葉)

12月に龍谷大学のシンポジウムに参加した際、アカメガシワのお茶をいただきました。緑の葉を干して、そのまま煎じたものだそうです。このお茶を作られた龍谷大学の先生は、「ストレスがあるとき飲むと和らぎます。私も講義の後、よく飲んでいます」とおっしゃっていました。
大学の教授って、大変なんだな~。

      
          (思ったほどクセのないお茶でした)
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偽物扱いは失礼

2006年12月14日 | 木と歴史
先日、野鳥の会の仲間から「深泥池(みどろがいけ)に珍しい樹がある」と聞き、そのまま同行していただいて見てきました。深泥池は10月13日にもご紹介しましたが、京都市北部にある国の天然記念物で、珍しい水生植物や昆虫が見られます。
目当ての樹はミヤマウメモドキ。池の奥の水辺で株立ちになっていて、小さなスペースながら周囲にはロープが張ってあり、「氷期の遺存種ミヤマウメモドキ保護区」の表示板があります。ここには何度も鳥を見に来ましたが、この樹のことは知りませんでした。

      
      (小川が池に注ぐ所で株立ちになったミヤマウメモドキ)

図鑑で調べると、ミヤマウメモドキは東北から中部地方の高層湿原や近畿の日本海側に分布するようですが、近畿以西ではかなり珍しく、京都府は絶滅危惧種に指定しています。氷期にはたくさん分布していたものの、温暖化によってこのあたりにだけ取り残されたと考えられています。
雌雄別株ですが、株元には赤い実をつけた幼樹が育っていました。近くに雄株があるのでしょう。

      
      (わが家のウメモドキ。ミヤマウメモドキと同じ赤い実。)

ウメモドキ自体はあちこちにあって、赤い実をたくさんつけるので、昔から庭木によく使われてきました。うちの庭にも1本植えてあります。
このウメモドキに比べてミヤマウメモドキは葉が細く、別名ホソバウメモドキ。同じモチノキ科モチノキ属の近似種です。ウメモドキという名前は、梅の葉に似ているところに由来します。
でも、ウメは奈良時代に中国から渡来した樹ですから、氷期から日本に存在していたこの樹に「梅の偽物」という名前をつけるのは失礼な話ですね。

      
      (ツルウメモドキの実は黄色。赤い種が顔をのぞかせています。)

ついでながら、「梅の偽物」は他にもあって、よく植えられるのが「ツルウメモドキ」。こちらも葉が梅に似ているのでこの名ですが、ウメモドキとは別のニシキギの仲間です。うちでもガレージのフェンスに絡ませて日除けにしています。
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