ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

応用力

2011-01-14 05:22:29 | 脳みその日常
みなさんは年賀状をどうしていますか。昨年以前のものは処分してしまいますか。

実は今年次のようなことがありました。もう何年も年賀状を交わしている人のうち、数人から同じようなリアクションがあったのです。ある人は昨年末に電話があり、「住所を教えてくれ」と。

また別の人はいつも年頭に送ってくるのですが、今年はワシが送ってからしばらくして届きました。その年賀状には「昨年の賀状に住所が書かれていなかったから年頭に送れなかった。今年は住所が書いてあったら送ることができた」と。

はて、これはどういうことなんだ?と思い、昨年ワシが送った賀状を見てみました。

すると、確かに昨年の賀状には住所を記していませんでした。ただ、名前だけを書いて出した記憶がよみがえってきました。「はあ、なるほど、そういうわけだったのか」と納得。そして悪いことをしたなと反省。

と同時に、ふと考えたのです。もし自分が逆の立場ならどうしただろうかと。

毎年送っている相手なら、昨年の賀状があるはず。ならば、それを見れば住所が書かれているのではないか。仮に転居したとしても転送されるだろうからとにかくその住所に送ればよいのでは? ワシならばそうします。

もちろん最初に書いたように、そのためには昨年以前の賀状を保存していることが条件となります。でも昨年の賀状がないとしたら打つ手がないのはいうまでもありません。だから相手も自分と同じ考えだろうと思うのは極めて危険なのです。それに、そもそもワシが昨年の賀状に住所を書いていれば何の問題も起きなかったわけですから。その意味で反省したわけです。

それはそれとして、そのほかの人たちからはフツーに賀状が届いたことを考えると、たぶんそれらの人たちは一昨年の賀状(住所が記されている)を見て送ってきたんだな、もしくはアドレス帳に保存してあったのだなということがわかります。

データがなければ何もできません。しかし、もし手元に過去のデータがあるとすればそれを引っ張り出すのが応用力というもの。臨機応変に対処できるかどうかはその応用力の有無でもあるのです。

ともあれ、相手に調べる手間を取らせるのはよくないことですから、今後はちゃんと住所を書こうと心に決めたワシでありました。
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